前垂れとグルントリッヒ

 著者よりお送り頂きました。ありがとうございます。
 博士論文を加筆・修正したものであり、とても多くの論点が含まれている貴重な研究である。考察の主な対象は副題に示されているとおり「秘書教育プログラムの成立と変容」という、いわば「局所」的な教育の内容や方法である。しかし、教育と社会との関係についての戦後史を考えるための長い射程をもっていることがこの研究の特徴であるだろう。経営学的な人材養成教育だから、短期大学教育だからなどの理由で読むのを避けてはいけない。それは次の2つの理由によるためである。
 第1に、社会学であればこの書籍をジェンダー研究として扱うことができるからである。たとえば、著者が短期大学発展期(1981~1995年)と捉える時期は次のように説明される。

 このような学歴観と性別役割分業観が残る中、「発展期」の人材育成目標は、卒業直後の「(直近の)見える目標」として、就職率などに示される職業への移行が設定されていた。そのため、職業教育の内容も就職に有利な内容を設定してはいるが、男性同様に長期就業や昇進・昇格を期待した目標までは設定されていなかった。短期の職業生活の先にある本来の目標としての結婚や出産・育児などの家庭生活を意識した「(将来の)隠れた目標」が設定されていたのである。卒業後に一度は労働市場に参入するが、それはあくまでも通過点としての職業生活であり、その先にある家庭生活こそが短期大学が設定していた教育目標であった。
 「学校から職業への移行」を円滑にするための職業教育として、在学中には就職することを奨励した教育目標は「見える目標」として「職業」を掲げ、他方では常に妻や母の役割としての「家庭」という「(将来の)隠れた目標」を想定した教育が二重規範として女子の短期大学には求められていたのである。
96-97頁

良妻賢母規範が残りつつ、20代前半の数年間だけー巷間言われていたことはクリスマス・イブが12月24日であることから、24歳まで―職を得て働くための目標が設定されているのである。著者が示す短期大学変容期(1996~2010年)には、国や自治体は女性の就業継続を支援する政策を進めるようになり、秘書科や秘書専攻という名称はキャリアやビジネスへ変更されるようになることもあった。しかし、日本の秘書は専門職として確立しているわけではなく、そもそも一般の従業員が何かしらの専門職であるという概念も弱く、欧米のそれとは異なっている。そのうえ、依然としてジェンダーに関する問題をもっていたことが指摘される。

 短期大学が指定する「秘書士」指定のテキストや秘書技能検定の内容において最も重視されているのが、秘書としての心構えを示す「上司の陰の力になる」というコンセプトである。(略)秘書教育プログラムの資質教育では、家庭内の性別役割分業としての内助の功に通じる補佐的な要素を、ケーススタディによって学んでいくのである。
156-157頁

 秘書教育プログラムにおいても同様のロジックが考えられる。家庭のしつけ(私的領域)が、学校教育(公的領域)のプログラムとして機能することで、学生への誘因につながっていたことが考えられる。それが女性のキャリア目標が結婚後の家庭から職場へと変化したことで、マナーに求められる機能も家庭のしつけ(私的領域)から職場の規範(公的領域)へと変化してきたのである。
 マナーや接遇を身につけることは、秘書教育プログラムにおいて「ワンランク上」の女性事務職を演出する要素であった。マナーの実技内容を見ると、対人能力として、企業の上層部との応対を意識した中流階級以上の文化資本形成を重視していることがわかる。
158-159頁

これらの言及は、私(二宮)の経験に強く突き刺さるものである。というのも、学部新卒で入社した企業では、学部卒・男性は多少「やんちゃ」な服装、姿勢・態度でも咎められることはなく、むしろ「男らしさ」規範として推奨される印象さえあった。その一方で、短期大学卒(または専門学校卒)・女性は、在学中に受けたマナー教育、接遇教育を入社後すぐに発揮していた。「しっかりもの」の良妻賢母が夫、子をバックオフィスで支えるという構図が企業内に出現していた。あのときの私の経験は、こうした教育やトランジションのメカニズムに基づくものであったのだろう。
 第2に、公教育は何を行うべきであるのか、という原理的な問いについて考えることにつながるためである。冒頭に紹介するべきであったかもしれないが、本書の目的は次のように提示されている。

 学術の界に職業教育プログラムが導入されることでどのような葛藤が生じるのか。
1頁

短期大学の制度化当初、その後に数を大幅に減らすことになる男性にとっては短期の職業教育機関である一方で、女性にとっては高度な「花嫁学校」という印象がもたれていた(男性については終戦による技術者・技能者不足と学制改革が引き起こしたトランジションのモデルの再構築の時期である)。短期大学でより高い教養を身に付けるのである。しかし、短期大学は保育士、教諭、栄養士などの「女性向き」と認識されていた、家事や育児につながるような仕事に就くための公的資格を得る教育課程を提供するようになる。さらに、本書で明らかにされるように、それらの専門職とは異なる秘書教育プログラムを備えるようになる。ここで生じるコンフリクトは現代日本の公教育の一部にもみられるものである。高等教育(中等後教育)であれば、専門職大学専門職短期大学に対して一部の知識人が否定的見解を示していたように、教育機関における職業に「役立つ」知識、技術の提供は国・地域、階級・階層によっては公教育観を揺さぶるものである。しかしながら、だからこそ教育機関外部からの要請にも応じるかたちで「花嫁」の教養、「女性向き」専門職、秘書教育、そして、いわゆるジェネリック・スキル重視と変容してきた短期大学に着目して、その意味を問うことは有意義である。
 高等教育論の研究上は、秘書士や秘書検定などの(民間)資格をめぐる教育機関と外部諸団体とのポリティクス、実務家教員の参入の過程とその後の処遇(これは私の実務家教員研究にもつながっている課題である)、マナー・接遇に関する知識の「学問」化の困難などについての論考が新しい領域を拓いたといえるだろう。これらもまた、秘書を別の仕事に置き換えても成立する課題であり重要である。そして、ここから先は書かれていないことであるが、現在進行中のジェネリック・スキルもまたジェンダー論の観点で分析が可能であるかもしれず、ジェネリック・スキルの獲得は比較的容易な「見える目標」でしかなく、実は「(将来の)隠れた目標」を想定した教育が行われているかもしれない。




追記:著者には以前から相談に応じて頂く機会があり、そのことについても感謝している。秘書教育は経営学の「人材マネジメント」などの分野でも比較的手薄な分野であり、国立(くにたち)で著者に初めてお会いするまでまったく理解できていなかった。書籍の刊行、おめでとうございます。