研究者教員の「管轄権」

科研プロジェクトの予習として読む。

 そこで実務家教員に期待されるのは、社会のあらゆる場面に遍在する「実践知(暗黙知)」を、教育可能な「形式知」に変換し、体系化する能力である。さらに、その上で高等教育の水準を担保しつつ、社会のニーズや産業界のニーズにも配慮した事業計画を策定し、実際に授業を展開できなければならない。その上で、形式化された実践知を適切な指導方法で教育・伝達する必要がある。
 これらの能力を持つ実務家教員の活躍の場面は、必ずしも高等教育機関のみに限られない。私教育(民間教育事業者)、人材育成会社、組織内研修、企業内大学など、講師の質向上が求められる場面は、社会のあらゆる場面で求められる教育に及ぶ。
313-314頁

参考文献の記載がないもののこの暗黙知についての言及は、マイケル・ポランニーのそれというよりは野中郁次郎による翻案を念頭においたものであろう。やや懐かしいような印象を持つ。

 こうした不幸な結末を避けるためには、実務家教員になる前に自らの授業について深く考える機会を持つことが肝要である。これは実務家教員に限った話ではなく、2019年8月には、博士後期課程における「プレFD」の実施、または情報提供を努力義務化する形で、大学院設置基準が改正された。それまでにも多くの大学が教員養成のプログラムを開講していたが、教学マネジメントの必要性に関する認識が高まる中で、いわゆる研究者教員による教育のあり方も見直される時期がきた、というわけである。
 一方で、学術的な知見を教授する研究者教員と、実践知を継承する実務家教員では、その教育指導力を提供するためのプログラムも異なって然るべきである。実務家教員に特化したプログラムとしては、2020年3月末現在、社会情報大学院大学が東京・大阪・名古屋・福岡の4都市で開講する「実務家教員養成課程(以下、養成課程)」が国内で先駆けて開講されている。
315-316頁

 上記の「教員養成のプログラム」とは、初中等の教員養成ではなく、大学教員の養成の意味である。東京大学フューチャーファカルティプログラム(東大FFP)、京大プレFDなど、とりわけ旧帝大で分野横断的に盛んに行われている、大学院生やポスドクを対象とした教育内容・方法に関する研修プログラムのことである。ただし、私(二宮)の認識は、こうしたプレFDの参加者はまだ少数派であるというものである。当事者の大学院生としても自らの研究時間を割く必要があることから、必ずしも積極的には参加できないという事情もあるかもしれない。本文に戻ると、「その教育指導力を提供するためのプログラムも異なって然るべき」というときに、その理由をもう少しわかりたいという思いが強い。どうして、いわゆる研究者教員と実務家教員とで、プログラムの内容が異なるべきということになるのだろうか。というのも、次に引用する実務家教員候補を対象としたプログラムは研究者教員候補にも必要であると評価できるからである。

 2020年3月末現在、東京・名古屋・大阪・福岡の4会場で開講されている養成課程は、15周・30講からなる講義・演習形式の授業と、7講からなる事例研究から構成される。講義・演習形式の授業では90分を1講とする授業を2講連続で実施し、講義とそれに即した演習を組み合わせて配置している。事例研究、120分ないし180分を1講とする構成で実施する。養成課程は、以上の全61時間で構成される。
320頁

領域 内容
1 ガイダンス 第1講 実務家教員概論Ⅰ
第2講 実務家教員概論Ⅱ
2 キャリアパス 第3講 教員調書と実績
第4講 教員調書と実績演習
3 研究方法 第5講 実践と理論の融合Ⅰ
第6講 実践と理論の融合Ⅱ
4 教育方法 第7講 実践講義法Ⅰ
第8講 実践講義法Ⅱ
5 第9講 シラバス作成の基礎Ⅰ
第10講 シラバス作成の基礎Ⅱ
6 第11講 教授法の基礎Ⅰ
第12講 教授法の基礎Ⅱ
7 制度理解 第13講 高等教育論
第14講 成人教育論
8 教育方法 第15講 教材研究の基礎Ⅰ
第16講 教材作成演習
9 研究方法 第17講 論文執筆の基礎Ⅰ
第18講 論文執筆の基礎Ⅱ
10 教育方法 第19講 ファシリテーション
第20講 ファシリテーション演習
11 第21講 研究指導法Ⅰ
第22講 研究指導法Ⅱ
12 演習 第23講 成績評価の基礎
第24講 成績評価演習
13 キャリアパス 第25講 実務家教員のキャリアパス
第26講 実務家教員のキャリアパス
14 研究方法 第27講 論文執筆演習
第28講 シラバス作成演習
15 演習 第29講 模擬授業Ⅰ
第30講 模擬授業Ⅱ
第31~37講 実務の最先端特講
図表12-1 実務家教員養成課程のプログラム構成(出所:同所322頁)

 研究者教員であっても教授法や、教材・成績評価などに関する指導を受けた経験はあまりないだろう。研究や論文執筆の方法に関しても、時代・専門分野によっては「顕教」に対する「密教」のようなものであり、コースワークによって身についたと自己評価する研究者は少ないであろう(この論点は、大学院教育とは何なのか、たとえば既述の野中「SECI」モデルで説明できるかという問いにもつながるものでもあり、研究の余地が多く残されている)。ところで、専門分野によるとはいえ研究者教員にとって、実務家教員は職域を脅かす可能性を持つものである。特に、こうしたプログラムによって教育についての「実力」を持つ実務家教員が多数養成されるようになる場合には、その葛藤は高まることになるだろう。A.アボットの専門職論における「管轄権」をめぐるコンフリクトについては、これまで他の専門職での事例研究が進められてきたものの、研究者もまた例外ではないということになるだろうか(ただし、専門分野によっては実務家教員はかつてから当然の存在なので、そうした葛藤の存在を単純に主張できるというわけではない)。また、職業の「現場」において部下の教育が上手だった職業人が実務家教員になった場合、高等教育機関においてもその手腕は発揮できるのか、以上のようなプログラムの履修経験は活用されるのか、あるいは、その「現場」での部下の教育が下手だった職業人はどうか、検討するべき課題は尽きない。