著者からお送り頂きました。ありがとうございました。お礼が遅くなり失礼いたしました。勉強いたします。
「はじめに」において、日本の教育社会学の特徴として、方法としての実証主義、社会学的理論と脱常識のマインド、社会的弱者へのまなざしと平等の価値、現場の教育実践への貢献を挙げたうえで、教職課程のカリキュラムにおいて教育社会学が扱われる際の論点を紹介している。
以上が教育社会学の主な特色であるが、本書も上記の点を踏まえている。ただ、教員養成課程のなかで教育社会学を教えていると、教員養成の教育社会学と、それ以外の教育社会学では、その性格や目指すべき方向性が若干異なることに気づかされる。
たとえば、教育社会学では「脱常識のマインド」が重視されるが、切れ味鋭い概念や視点は、ときに教育現場の現状を「暴露」し、教師達を困惑させることがある。研究者の立場からすれば「脱常識のマインド」は知的興奮をもたらすかもしれないが、実践者からすれば自分たちの考え方(常識)を批判された気分になってしまうことがある。みなさんに身につけてほしいのは、「脱常識のマインド」=相対化する視点だけでなく、わかりやすい言葉や造語に飛びつくことなく、教育現場に寄り添いながら教育の可能性を模索する粘り強さである
また、実証主義の立場を重視する教育社会学では、何らかの調査によって得られたデータに基づいて議論することが求められるが、データからうかがえる子供たちの姿は、ある時点(調査が行われた時点)で切り取られた子供たちの姿である。また、質問紙調査やインタビュー調査に関していえば、そもそも質問されていないことについてはデータそのものが存在しない。データからうかがえる子どもたちの姿は、限定的なものとならざるを得ない。ある意味で、データのみで子どもたちを理解した気になることは危険である。みなさんには、子どもたちに関するさまざまなデータを参照しつつも、必要以上にとらわれるのではなく、目の前にいる子どもたちに寄り添い、知ろうとする姿勢や態度を身につけてもらいたい。
社会的弱者へのまなざしと平等の価値についても、それらを大事にすることは学校や教師にとっても重要なことだが、各学校・各教師が平等さらには公正を追求しようとすればするほど、実際には長時間労働や教員不足をはじめとしたリソースの制約が立ちはだかる。教員養成の教育社会学では、今学校が置かれている現実を直視しながら、教師に何ができるのかを具体的に考えていかなければならない
以上のように、本書では教育社会学という学問分野の特色を「翻訳」し、教員養成の中に「移植」するというコンセプトを念頭に編纂した。
(はじめに ⅱ-ⅲ頁)
教師になるための学習を進める学生に対して、教育社会学の意義を丁寧に説明している。現場へ振りかざすような知識ではあってはならないことが端的に示されているのである。
私じしん(二宮)が学部生のときに習った教育学、教育社会学、教育行政学(実際の講義名称は「教育政策」という特殊なもの)を思い出しながら通読した。今でもよく覚えているのを複数挙げてみる。アマラとカマラの存在(第1章)は信ぴょう性が低いという注意付きで教わったからこそ記憶が鮮明である。IRE連鎖(第1章)については、わざわざクイズ形式で他人に対して何らかの問いへ答えさせるコミュニケーション、とりわけ質問者が実はその答えをあらかじめ知っていることを回答させるコミュニケーションは一般社会では極めて特異なものであり、場合によってはトラブルになるはずだという説明もよく覚えている。不登校(第7章)、いじめ(第8章)は80年代に問題が顕在化、社会問題化したことを契機として、90年代にようやく学術的な知見が重なりつつあった。教育社会学のテーマとしては新しいものであった。ジェンダー(第4章)、障がい(第5章)、移民(第6章)は教育諸学ではなく、他の社会学系の講義で教育に関連するテーマとして学んでいた。学校安全(第9章)、地域連携(第10章)、教師の働き方(第12章)は学部生のときにはまったく学習していないはずである。他方、カリキュラム(第2章)、教育格差(第3章)、教師のバーンアウト(第11章)はバーンスティンに即して深く学習していた。教育社会学は他の分野と比較して、教育内容の変遷が早いという特徴があるのかもしれない。
単なる私的経験を通じてであるものの、2つのポイントを挙げてみる。1つは、「新しい教育社会学」を持ち出す必要性の有無である。学会においても「新しい教育社会学」という言葉が持ち出されるのはすでに稀である。本書でも同様に言及されていない。一方で、教育に関する現象を社会学などの観点を手がかりとして考察する際、「新しい教育社会学」以前と以後で比較することで見通しが良くなることもありそうである。もう1つは、本書は「学校文化」「生徒文化」の説明がほとんどない点についてである。類書では本書の各章に通底する論点として教育機関や学習者固有の文化について詳しく説明されることがある。IRE連鎖も学校文化の存在が重要であるだろう(「文化」とはそもそも何か、という問いはさておき)。多くの人が経験したはずであるものの、その通過後にはよくわからないものになってしまう文化である。おそらく教職課程での講義において学習者の関心が高いテーマである。
最後に、私が解決しなければならない課題を記録しておく。「はじめに」で紹介されている「子どもたちに寄り添い」や「教育現場に寄り添い」という言葉に関して、院生の頃からなかなか理解できずに苦労している。「寄り添う」とは何をどのような順番でどのように行えば到達できる行為であるのか、じぶんなりの説明が難しい。かつて大学院のゼミでこの問いについて発言したところ「教育現場を知らないから理解できないのだ」という寂しい答えを頂いたこともある。「寄り添う」ことの教育社会学という課題を常に抱えているのである。


