パラドックス定数第39項、第41項、第45項の感想

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 劇団「パラドックス定数」のDVDを複数購入した。とりあえず「第39項 731」、「第45項 Das Orchester」、「第41項 5seconds」の順番で視聴した。この3作には共通するテーマがあるように見えた。
 「第39項 731」はそのタイトルのとおり巨大な組織であった関東軍防疫給水部(=満洲七三一部隊)を対象として、その戦後を創作したものである。作中では戦時中の人体実験と生物兵器の開発、戦後における連合国軍最高司令官総司令部の職員との取引、帝銀事件に関する疑惑、民間血液銀行などについて言及される。これまでノンフィクションのみならず、小説や演劇で何度も扱われてきたテーマである。戦後に血液銀行が業務を開始してからも「黄色い血」や薬害エイズ事件といった問題を引き起こしてきた。七三一部隊が語られる際、日本陸軍関東軍のあまりにも残虐で非道な行為や、軍医であり部隊の責任者であった石井四郎の性格に焦点が合わせられることが多い。この作品はその着眼点を踏襲しながらも、「マルタ」の扱いに関与した複数の軍医たちのせめぎ合う〈専門職〉の論点を追及している。言葉にしてしまうと陳腐ではあるものの「たとえどのような手段を用いても医学の進歩に貢献するべきだ」という主張と、それとは相容れない主張があり、その相克の状況に対して戦後における旧軍の軍医たちの地位、名声、経済的状況といった課題―たとえば、出身大学である旧帝国大学に復帰して講座のポストを得られるかどうか―が纏わりついている。〈専門職〉とは何であるのかという問いを突き付けているようである。
 「第45項 Das Orchester」は第三帝国時代のとある管弦楽団が国民社会主義ドイツ労働者党(=ナチス)から派遣された職員(官吏と言うべきだろうか)による高圧的な指示に対して苦渋の決断を迫られる経緯を描き出すものである。楽団内部のヒエラルキーに由来する様々なトラブルを挿入しながらも、数多くの楽団員をその出自を理由として退所させること、演奏中に党の旗らしきものを掲げること、地元の自治体からの助成金を打ち切ることなどのナチスから寄せられる命令へその都度対応する様子が演じられる。この光景の一部はなんだか現代のどこかの大学と国家の関係のようでもある。私が注目したのは〈専門職〉としてのオーケストラ関係者の矜持である。ナチスが「クニ」を愛しているのと同じように、オーケストラ関係者も優れた音楽を長い間育んできた「クニ」を愛している。しかし、その「クニ」が意味するものはけっして同じではない。楽団員によって演奏されるワーグナーナチスのためにあるものではなく、いつかのどこかの政治家や官僚の意思とは関係なく民族や歴史をはるかに超えてゆくものである。古くから存在する音楽についての〈専門職〉と近代以降になって遅れてやってきた「国民国家」、その中でも特に「クニ」の成立に時間のかかった第三帝国との対峙ともいえる。
 「第41項 5seconds」は1982年の日本航空350便墜落事故の際の機長とその弁護士をそれぞれ模した二人芝居である。この事故については当時、「逆噴射」や「機長、やめてください」という表現が流行したこともあって覚えている方も多いことだろう。史実において機長は今の言葉で言う統合失調症を患っていたとされるとおり、劇中においても弁護士との会話があまりかみ合わない。そのコミュニケーションの困難に関して弁護士の力量不足を厳しく責めるほどである。〈専門職〉としての弁護士の仕事はそのような会話の中から整合性のある箇所を見つけ出して、機長に刑法上の責任能力がないことを示して無罪を勝ち取ることである。しかし、あろうことかこの筋立ては〈専門職〉としての機長の思考と矛盾することになる。たとえ無罪となったとしても、機長はその病気の性質上復職することはできないだけではなく、長い闘病生活を強いられることになるはずである。他方、機長は無罪であるならば、当然すぐに復職を果たして、これから新しく導入される機材にも慣れて乗務員のリーダーになると考えている。それこそが運航乗務員の反省と使命のあり方なのである。その仮想のキャリアに対して弁護士が介在する余地はまったくない。「仕事に戻って恩返しをしたい、新しい飛行機に招待しますよ」と弁護士に繰り返し呼びかけるのである。心神喪失者・心神耗弱者の行為について定めた刑法第39条もノンフィクション、小説・演劇において、とりわけ痛ましい事件を題材にするときによく用いられる主題ではある。本作はそこに2つの〈専門職〉による相互の葛藤を絡ませて描いたものである。
 〈専門職〉は社会学、教育社会学が研究対象の一つとして扱ってきたものである。医師、法曹、学校教諭を対象とすることが多かったように思われるものの(学校教諭については学問固有の立場から異なる見解が示されることもある)軍医、音楽家パイロットといった対象についても検討の余地が多く残されているのだろう。