キチョハナカンシャの意味していたもの

 本書の問いは「なぜ大学生はやりたいことを語り、また問われるのか?」というものである。2012年から2014年頃に大学生を対象として実施したインタビューの結果を対象として分析を行っている。私の記憶では、この頃学生の間で「キチョハナカンシャ」という言葉が話題になっていた。会社説明会の際に学生によって多用される「本日は貴重なお話をありがとうございました。さて、御社では~?」というフレーズを面白く表現したものである。この「さて御社では~?」と続く企業に対する質問は、おそらく本書が課題とする「やりたいこと(であると、とりあえず学生が認識して表現するもの、または、表現を求められるもの)」との接続が意図されていたはずであり、今となっては含蓄に富むコミュニケーションであったとも思われる。分析においては、特にインターネットを利用して求職者と求人者を結び付ける「労働市場媒介者」と、社会学で研究されてきた「状況の定義」という概念が参照されている。後者の「状況の定義」を援用することによって、「行為の主観的な意味を記述する視点を提示できること、その時々の語りが就職活動状況と関連すると提示できること、その行為における主観的意味がその後の行為に影響を与えること(p. 91)」が可能であるとされる。選抜・配置の仕掛けやトリック(?)と、その(学校)教育的な意味付けに関心をもつことの多い教育社会学とはやや異なるアプローチであり、とても勉強になった。また、このエントリでは言及しないものの、想定される問いの背景には個人がライフコースの「選択」を行う/行うことを強いられることの意味を考えるという後期近代論やリスク社会論が存在している。
 問いに対する答えは次のようなものである。

 なぜ大学生は「やりたいこと」を問われ/語るようになっていくのか、本書冒頭に立てた問いに戻ってきた。この答えはイベント型の就職活動の仕組みにある。つまるところ、自由応募の就職活動とは企業、大学生それぞれの行為を就職情報サービスが媒介し、維持するイベント型の就職活動とみることができる。その活動において三者それぞれに「やりたいこと」が用いられる。こうした労働市場におけるマッチングの仕組みが「やりたいこと」を問い/語る行為を求めているのである。
pp. 206-207

 さらにいえばホワイトカラーへ参入していく大学生は、かつてのように与えられた仕事をこなすことが重要だと考えているわけではない。これまで仕事は企業が与えるものであり(田中 1980)、それを引き受けることで戦後日本型ライフコースを所与のものとできた。だからこそ、「やりたいことをやる」という言葉が「サラリーマン」とは相容れないものだったのである(c.f. 久木元 2003、新谷 2004)。一方、ここまでみてきたように、現在の大学生は企業の利害を自らの「やりたいこと」に一致させる。仕事に就く前であるにも拘らず戦後日本型ライフコースに則った将来の生活設計を彼らは語る。こうして入口において彼らが選び取る働き方は旧来的な企業中心の働き方である。少なくとも、労働市場は就職活動を行う大学生にこれ以外の安心を提供できてはいない。ただし、これらはインスタントで脆弱な選択でもある。
 労働力の需要者と供給者のマッチングをめぐる社会的状況において、大学生は一見すると自由に選択することが可能になっている。企業側はその内部での働き方を示し、大学生も「やりたいこと」を語る。調整に失敗した者だけがその自由の矛盾にされされる。この点において学校間格差が明らかであった時代と、企業と大学生との関係は異なる。本書は、イベントを媒介に大学生は企業の情報を得、企業は彼らの選択を問い、結果的に旧来的な働き方によってマッチングが行われる労働市場となっていることを明らかにした。二〇一〇年代、「やりたいこと」を用いたこの仕組みによって市場取引は維持されていた。
pp. 207-208

2010年代の大学生が「やりたいこと」を語り/語らせられながらも、ここで教育社会学の言葉を使ってみれば結果的に「トラッキング」から逃れられないという結論は重要である。ジェンダー・トラック、大学の属性に関するトラックなどは「やりたいこと」をその字義通りに叶えることを妨げる場合も多いのである。
 ところで、文系の私(二宮)は1997年春に学部生として就職活動を、2002年夏に就業経験のある修士課程院生として就職(転職)活動をした。前者の1997年は就職協定が廃止された後であり、かつインターネットを利用する就職活動・採用活動が始まる前である。思い出してみると、エントリーシートのような制作物はあまり普及していない、OB・OG訪問やリクルーター制が機能している(ただし大学・学部による)、SPIなどのペーパーテスト(学力と性格)は普及している(内田クレペリン検査を課すところもあった)、総合職・一般職の区分は少しずつ廃止されながらも一般職は直接的な雇用関係のない派遣社員に置き換えられ始める、派遣社員化が行われない場合でも全国転勤職・エリア職のようなコース制管理が導入されるといった時期であった。確かに「やりたいこと」はまったく問われないわけではなかったものの、2010年代のようにそれが就職活動の中心的なテーマになっていることはなかった。たとえば、経済学部の学生であれば金融機関を志望するのは当たり前、社会学部の学生であればマスコミや出版社などを目指すのは当然のことである(マンガ『美味しんぼ』の栗田さんの学生時代の専攻は社会学であり、卒業後に東西新聞社へ入社したように)という認識が求人側、求職側の双方にあったのだろう。「やりたいこと」は所属する学部の名前に埋め込まれていたのあって、わざわざそれを提示する必要がそれほどなかった。そうした想定される「標準的」な(?)学部と業種の結び付きから「逸脱」する場合にこそ、「やりたいこと」が問われていた印象である。また、筆者も第3章で就職活動の時代区分を整理している中で説明しているとおり、2000年代に就職情報サービスが一般化する前には、就職協定違反となる非公式の会社セミナーやOB・OG訪問やリクルーター制が活発であった。これも私の経験でしかないものの、「やりたいこと」を自ら説明する必要がなかった理由はOBやOGが私の「人となり」を判断したうえで「マッチング」のための語彙を作ってくれていたためである。つまり、OB・OGが私の拙い志望動機(これは「やりたいこと」のように自己の内面に関するものではなく、たとえば「PlayStationが好きなのでソニーを志望します」「神戸の出身なのでP&Gを志望します」のような単にその企業に関心をもった外形的な理由程度の内容である)を企業内で通じるような語彙に変換していたようにも思われるのである。なお、OB・OG訪問した企業はすべて不採用となったために、この語彙の変換仮説はただの思い付きである。1997年春の就職活動では2月から開始して約100社に挑戦して、6月までに内々定を2社から得るという結果であった。社会学部の学生が就職するような企業については全滅であった。そして、新卒で就職した企業では日本初のインターネット経由での応募しか認めない新卒採用を開始したものの、当時は「そんなことをしたらヘンテコなパソコンオタクしか集まらない」と評価されていた。その後、どの企業でもインターネットを活用するようになった経緯については本書で示されているとおりである。また、2002年夏の就職(転職)活動の際も、「やりたいこと」を尋ねられた記憶はあまりなく、採用されるに至った理由は前職の経験が大きかったはずである。就職氷河期であったものの「やりたいこと」をめぐって自問自答する必要はなかった。こうして私の経験を振り返っただけではあるものの、「やりたいこと」シューカツは必ずしも時代普遍的な現象というわけではない。
 本書について、もう少し考えられそうなことが3点ある。第1に理系についてである。インタビュー調査の対象はほとんどが文系であった。自由応募制、キャリア教育、ライフコースの課題など本書が焦点を絞る論点は文系に限られたものではない。相対的に「やりたいこと」と仕事が結び付きやすいと想定される理系であっても、「労働市場媒介者」を結節点とする自己の再帰的な意味付けが駆動しているかどうか確かめてみたい。工学と理学の違い、医療保健系の特徴など残された課題は多いのだろう。第2に、このブログで何度か言及している「マッチング」の意味についてである。本書では求職側と求人側が1対1の関係を成立させることを「マッチング」とみなしているようである。しかし、就職してからの配属での「マッチング」はどうなっているのか、求人側と求職側のどちらかが不満、あるいは、どちらも不満をもつ場合であっても仕方なく「マッチング」を成立させている場合に既述の「やりたいこと」をめぐる語り/語らせはどうなってしまったのか、筆者も言及するとおり求人側の「マッチング」の論理がまだわからないといった課題があると言えるだろう。第3に高等教育論では、教育機関における知識伝達の課題へ射程が伸びることになるためによく考察の対象となる「学生時代に力を入れたこと」(通称「ガクチカ」)との接続についての考察である。おそらく「やりたいこと」はそれ以外の資源を伴うことで説得力を増すこともあるし減じることもある。それは「キチョハナカンシャ」に続く求人側に対する質問であったり「ガクチカ」であったりする。求人側がとりわけよく聞きたがり、学生がときにキャリアセンターの支援を得ながら準備する「ガクチカ」を「やりたいこと」の関係についてもう少しわかりたいのである。