10年トランジション調査に対する教育社会学者の観点

 責任編集者が実施してきた「学校と社会をつなぐ調査」(通称:10年トランジション調査)の発達心理学や青年心理学の観点による分析に対して、3名の教育社会学者、1名の教育行政官、1名の中高教諭経験のある校長がそれぞれの立場から批評を試みるという意欲的な研究である。書籍のタイトルではその意図が見えないようにしているのが少しもったいない。心理学の研究に対する教育社会学による検討、教育社会学の研究に対する心理学による検討が行われる機会はあまりないため、貴重な研究であるとも言える(学術誌の投稿論文における匿名の査読では行われているかもしれない)。 
 3名の教育社会学者が緩やかに共通してもっている問題意識(それぞれにまったく異なる論点提起も行われている)の一つは、結局のところ教育を受けることよる「成長」は限定的であり、その「成長」に寄与するものの過半は学生の出身階層ではないかという懐疑である。

 教育社会学では、この理念と現実の乖離を重く受け止めて、現実の社会がどの程度理念と離れているのか(あるいは近くなっているのか)を分析する試みが長年なされてきた。その際に、基本的な分析の観点となる一つが、OEDトライアングルである(図表2-1)。OEDトライアングルとは、図表2-1に示したように、本人の出自(Origin)、本人の教育成果である学歴(Education)、そして、最終的に到達した社会階層(Destination)の関連を示したものである。ポイントは2つである。一つは、その本人の出自は教育と到達階層に影響を与えているということである。もう一つは、教育成果としての学歴は当然ながら到達する社会階層に影響を与えるため、出自の効果は教育を経由(媒介)して、本人の到達階層に影響を与えるということである。本調査の文脈に当てはめて考えると、本人の資質・能力といった教育成果が大学卒業後の職業生活(Destination)に影響を与えているとしても、そもそもその教育成果(Education)は当人の出自(Origin)に影響を受けていることが考えられる。また、その教育を媒介した効果だけでなく、出自(Origin)はより直接的に当人の到達階層(Destination)を規定している可能性だってあり得る。 第2章 pp. 35-36

 つまり、家庭環境が高校での学びに影響を与え、家庭環境が大学での学びに影響を与え、家庭環境が社会人としてのスキルにも影響を与えているとすると、高校での学び、大学での学び、社会人としてのスキルの3つの間に因果関係がなくても、データとしては単純な相関が出てくるということです。第4章 pp. 83-84

 もう一つ、当初のサンプルが大学進学者の多い高校に限定されている点にも注意が必要です。これは、社会的格差の影響が過小評価される可能性があるということです。高校の大学進学率の状況は社会階層との関連があるということが、長年の教育社会学の研究で繰り返し確認されています。したがって、進学率の低い高校がごっそり抜けてしまうと、社会階層の分散の幅が小さくなるわけです。そうすると、データ分析では社会階層の影響が出にくくなることが予想されます。 第4章 pp. 85-86

 あくまでも私の理解ですが、先生は、学生が自分自身で選択する、自分自身の力で学びをコントロールすることができる大学時代にこだわっていたのだと思います。これはまた別の課題として取り上げるべきですが、大学時代までは、どうしても階層の影響が出てきてしまう。そうしたなか、高校時代までに学習習慣を身に付けろというのは、酷なことでもある。 第5章 p. 107

 責任編集者はこれらの問いに対して読み応えが十分なガードとなる応答をしている。他方、二宮は教育社会学からアプローチをする場合には階層論に加えてメリトクラシーに対する懐疑もあったほうが良かったようにも思える。従属変数として「主体的な学習態度」、「組織社会化」、「資質・能力」などが挙げられているものの、「強い学習者」「強い社会人」「強いビジネスパーソン」を前提として個々人がリーダーシップ力、他者理解力などを「成長」させなければならないという規範に対する検討も必要である。こうした規範的検討は二宮が苦手とする領域であってないものねだりになってしまうものの、「ありのままでよい」「働いたら負けかなと思ってる」といったオルタナティブな生き方のような別の規範を射程に入れた考察を行うという課題が残されているはずである。あるいは、一人の個人としては確かに成長がゆっくりのんびりになってしまう項目があったとしても、共同体の中でそれを補うような視点も重要である。