大学院での「学び直し」経験において共通しているもの

 本書は、大学院でリカレント教育を経験した社会人を15名を対象とした聞き取り調査のうち、6名の語りを選択して分析したものである。「現象学的な視点から、質的社会調査の生活史法を参照」(p.82)しているところにオリジナリティがあるのだろう。質的研究については、たとえば社会学はどこから来てどこへ行くのかが参照されていて、その代表性に関する「エビデンス」などの問題は未決着であるとしながらも個々人の持つ合理性への理解が進むことで研究として成立しうるということが示されている。半構造化法として行われた聞き取りでは、(1)学び直しの動機とそこに至る機会、(2)学び直しの感想と自己変容、(3)学び直し後の変化とキャリアへの影響、(4)学び直しの課題、などが尋ねられている。私は社会人を対象とした、とりわけ学習や労働に関心を持って行われる聞き取り調査においても、確かに生活史に近い内容になることがあるという印象を持っていて、だからこそ本書によって学部生の頃に家族社会学を通じて学んだ生活史調査の復習をしなければいけないことを気付かされたのである。
 本書では語りに対するコーディングという言葉は避けられているものの、ひとまとまりの言葉にされた語りのうち重要と認識されたものが第6章に書かれている。第1に「内発的な動機(?)による学び直し」である。内発的という言葉じたいが実は曖昧であるためか、いちおうクエスチョンマークが付けられている。日々の仕事を通じて、その仕事に関連する専門的な知識や技術を自ら得たいと思う経緯が描かれている。第2に「大変な状況での学ぶ喜び」である。いわゆる社会人大学院生は平日日中にフルタイムの仕事をしていたり、ケア労働に従事していたりして研究時間を思うようには確保できないことがある。もちろん、学部から他の仕事などを経験することなくすぐに進学した大学院生であっても同様に大変な生活を送っていることもあるだろう。私はそうした「ストレート」の院生との違いは、おそらくキャリアの不安定化のリスクにあると想定している。安定した職業生活が揺さぶられるからこそ、大変な状況に対する意味付けが強くなるのかもしれない。第3に「院生どうしのつながり」である。私が興味を持った語りの一つが、つながりの中で「脳が耕される」(p.177)というものである。即時的、経済的な価値とは異なる意味での未来の展望を得られるという意味に解釈できるだろうか。第4に「「モノの見方」の変化」である。社会人対象のリカレント教育では、「現場」経験の相対化について言及されることがある。ここでも同様に、大学院で研究する以前とは違う視座を得られたことが示されているのである。
 こうした6名に共通するような重要な語りが紹介されいるのであるが、実はこの6名の仕事、研究分野はそれぞれ異なっている。内訳は、介護老人保健施設社会福祉の大学院、役所→社会福祉の大学院、大学(事務職員)→フリーランス社会学の大学院、病院(看護職員)など→看護の大学院、民間企業→海外MBA、民間企業→学校(教諭)→教育学の大学院、である。これだけバラバラな経歴でありながらも、大学院の「学び直し」に対する意味付けが似通ったものになるのは成人教育論としての論点の一つであろう。日本では成人教育論は児童、生徒を対象にした教育学と比較して必ずしも十分には研究されているとは言い難い。それゆえに、文系大学院をめぐるトリレンマ (高等教育シリーズ 177)の続きを進めなけらばならいのだけども、どなたか一緒に研究しませんか?