10月1日内定式における翌春就職予定者の拘束

 毎年10月頃、大学教員が企業における内定式に対して不満を表明することがある。(1)まだ働いていない学生を無給で拘束するのはおかしい、(2)授業やゼミ・研究室(卒業論文)を優先するべきである、(3)企業は日頃から大学に対して教育を充実するように要請していることと辻褄が合わない、(4)せめて平日ではなく土曜日、日曜日に開催してほしい、といった主張である。
 そこで、内定式とはそもそも何を意図しているのかに関する研究を探してみることにする。研究検索ウェブサイト CiNii Research を使って「内定式」を探してみると数件しかヒットしない。国会図書館サーチでもあまり変わらない。その中で唯一参考になるのがJIL-PTの記事であった。

小杉礼子、2009、「なぜ内定式は10月1日に多いのか」『日本労働研究雑誌』585、62-65
https://www.jil.go.jp/institute/zassi/backnumber/2009/04/pdf/062-065.pdf

新規大卒採用で慣例化しているもののひとつに10月1日の内定式がある。なぜ卒業の半年も前に内定式をするのか。表面的にいえば、企業間の申し合わせ(日本経済団体連合会による「大学卒業予定者・大学院修了予定者等の採用選考に関する企業の倫理憲章」)で、「正式な内定日は10月1日とする」と定めているからといえるが、この倫理憲章に至るまでには紆余曲折がある。それは,採用活動が卒業の1年以上前から始まる現状(大きな問題になっている「内定取り消し」も,採用を卒業直前の時期に行っていたとしたらほとんど起きなかっただろう)の背景ともなっている。採用活動の期日の問題を中心に新規大卒採用の歴史を振り返ってみたい。
(小杉、前掲論文)

大学の卒業前に採用選考が行われるという戦前からの慣行が紹介されたうえで、内定式を10月1日に行う理由として経済団体による倫理憲章(1997年卒以前の「就職協定」)において「正式な内定日は10月1日とする」と定められていることを挙げている。確かにある時期まで、たとえば春先に大学生と企業の役員が応接室で「握手」をしたとしても、それは「内定」ではなく「内々定」であると釘を刺されていたであろう。この論文は新卒採用の歴史をわかりやすくまとめているものの、その説明では10月1日に固執する理由がわかったとは言い難いかもしれない。内定日と内定式の日を同日にする理由にはならないし、このエントリが書かれている時点ではこの倫理憲章は失効している。倫理憲章については次のように説明されている。


内閣官房「就職・採用活動に関する要請」
就職・採用活動に関する要請|内閣官房ホームページ
アカリク「経団連が策定していた倫理憲章とは?就活ルールに関わらず企業が行うべき取り組み」
https://biz.acaric.jp/column/1759/


2018年10月に経済団体が「採用選考に関する指針」を策定しない方針を表明して倫理憲章を作成しなくなってからは、政府によって内定日は10月1日以降にしましょうと要請されるようになっている。要請されているだけなので企業がそれを断ることも可能である。ただし、このようなルールの取り決めが緩やかであり違反した場合の罰則がないということは倫理憲章・就職協定のときも同じであった。たとえば、新興企業、外資系企業、零細企業がこれらを遵守しないことは以前からあった。
 ところで、10月1日に内定式を行うのは企業だけではない。


平成24年10月1日、東京都庁公立大学法人首都大学東京内定式が行われました」
公立大学法人首都大学東京の内定式を行いました。 | 東京都公立大学法人
「 <日時>令和4年10月3日(月)」「福岡労働局は、令和5年4月1日付新規採用予定の方々及び令和4年10月1日付採用の職員に向けた採用内定式を開催しました」
フォトレポート|令和5年度内定式
「10月3日(月)、内定式が行われました。幹部職員同席のもと事務次官及び人事課長から訓辞を行い、内定者は皆、これから文部科学省職員として自らが描いていく日本の未来を思い浮かべながら、真剣な面持ちで傾聴していました」
文部科学省 採用・キャリア情報 - 【活動報告:内定式】...
徳島県庁内定式 90人余の出席者 意気込み語る」
徳島県庁内定式 90人余の出席者 意気込み語る|NHK 徳島県のニュース


平日に開催するために1日ではなく2日や3日とする場合もあるものの、やはり10月の最初の営業日に内定式を行うことには変わりない。一部の大学教員が嫌うようなお金儲けを目的とする組織ではなくても、やはり10月1日に行うのである。
 自治体や公的機関まで10月1日に揃えなければいけない理由は何だろうか。内定式の目的については、たくさんのウェブサイトで紹介されている。その多くがいわゆる「内定者フォロー」と呼ばれる、内々定を得ていた企業等に対する就職への意識を固めるための仕掛けや、事務手続きのためであることを説明する。ここからは「書かれているもの」があまり見つからないため根拠が弱いものの(法的なこと、実務のことなので誤解があるかもしれないし、業種や規模によっても事情は異なるだろう)、その中で最も重要なのは「就職予定者の(物理的な)拘束」である。10月1日の内定式への出席者に対して「内定通知書」を手交することによって、企業等は翌春の就職予定者をある程度確定させる。ある程度、というのは、仮に予定していた採用者の数が足りない場合には秋採用を積極的に行なうためである。そして、それほど多いケースではないものの理由の連絡がなく内定式へ欠席した場合には内定を出す前に再度面接が行われることもある。そのことによって、たとえば翌春就職予定者が3月まで複数の企業等からの内定をもっているという事態を防ぐのである。そして、日本の企業等は一般的に「メンバーシップ型」雇用であるために、この確定した就職予定者を対象にして配属先が検討される。仮に1人の学生が5つの内定を得ていて、就職直前の3月にそのうち4つを辞退される場合、企業等は計画の変更を余儀なくされる(大学教員や学生にとっては「ほんとうにどうでもいい」ことかもしれないものの)。他社と同日の10月1日に拘束を行わず「内定通知書」を郵送するだけではこの「他社に逃げられる問題」を回避できない。また、「内定_法律」で検索するとわかるように、内定は内々定よりも法的な有効性が強いために企業等はその扱いに対して慎重である。このような理由によって10月1日に開催することが重視されているといってよいだろうか(採用現場のご事情に詳しい方による解説がほしい)。
 冒頭の不満は大学側の事情も関連している。企業人には知られていないことかもしれないが、この20年間で大学教育は大きく変容した。1998年に文系学部を卒業した私の事例では、「1997年秋の講義が開始されるのは10月1日であるし、第1回講義はガイダンスなので欠席しても困らない」、「そもそも卒業に必要な単位のほとんどを3年生までに取得している」、「さらにそもそも教員は学生の出席に関心がないし、学生もまた出席するのが通常であるという規範をもっていない」という状況であったが、現代では「秋の講義が開始されるのは9月中旬・下旬であるし、大学によっては『単位制度の実質化』の趣旨に則ってガイダンスを設定しない」、「同じく『単位制度の実質化』によって4年生でも講義を履修する」、「教員は学生の出席を求めるし、学生もまた出席するのが通常であるという規範をもっている」ということもある。そこで、平日の10月1日は、第3回、第4回の授業日であり、半ば「公欠」であるかのように内定式を理由とする欠席についての届けがあると困惑するのである。他方で、一部の企業人はご自身が経験した感覚で大学の講義への出席に対してその価値を低く見積もっているかもしれない。
 冒頭の(1)無給での参加については、仕事をするわけではないので給料を支給できない、(2)授業やゼミ・研究室優先、(3)要請と辻褄が合わない、(4)土日開催の3点については、内定者の確定という課題とのすり合わせが必要であろうか。単純な解決法は学生の在学中の就職活動、採用活動の禁止ということになるのだろうけれども、それはそれで弊害も大きいだろう。また、(3)についてはこのブログで繰り返し述べているように、経済団体の主張、個別企業の経営者の主張、個別企業の採用担当者の主張は必ずしも同じではないし、場合によっては相互に矛盾することもあると理解しておいたほうがよい。大学団体や学術団体、大学の学長や学部長、個別の学者の主張もそれぞれ同じではない。