アカデミック教員と実務家教員とのふるまいの違い

菊池美由紀、2020、「ボーダーフリー大学におけるキャリア科目担当教員のストラテジー」『教育社会学研究』107、pp.27-47

この論文が大変勉強になった。

本稿の目的は、学生の多様化と専門外の教育への対応という二重の困難に直面した大学教員の授業実践を、教員のストラテジー研究の枠組みを用いて分析することである。これにより、初中等教員とは異なる大学教員特有のストラテジーや、ストラテジー採用の背景にある価値観、規範を明らかにする。
p.28

検討の対象とされている内容は、(1)ボーダーフリー大学におけるアカデミック教員(経営学)への聞き取り調査と、その教員が担当する(専門分野としているわけではない)キャリア科目の授業観察記録、(2)選抜性の高い大学におけるアカデミック教員の担当する授業の観察記録、(3)(1)とは異なるボーダーフリー大学における実務家教員への聞き取り調査、(4)(1)に関連する学生に関するいくつかの資料である。これまで教育学・教育社会学において、幼稚園、小学校、中学校を対象とした授業観察に対する研究は数多く行われてきたものの、高等教育機関に対するそれはほとんど行われてこなかった。「象牙の塔」である大学の講義/授業に関するファカルティ・ディベロップメントの目的ではなく、知識伝達の特徴を明らかにするための研究対象とすることに新規性がある。しかし、同時に、「密教」であった世界を「顕教」として捉えようとすることじたいも、いわゆる「大学の学校化」として批判されることもあるかもしれない。

そこで本稿では、従来型の学生観や大学教育観に基づいて、大学らしい理想の教育を実現しようとするアカデミック教員に顕著なストラテジーを「スカラリー・ストラテジー(scholarly strategy)」と名付けたい。このストラテジーは、理想の教育の実現のために用いられるという点において、サバイバル・ストラテジーよりもペダゴジカル・ストラテジーに近い。しかし、学術的専門性へのこだわりや、学生を成人とみなすなど、大学らしさの維持という側面を有する点において、生徒/教育のためという側面が強い初中等教員のペダゴジカル・ストラテジーとは異なる。また実務家教員は、大学らしさの維持をさほど重視しておらず、スカラリー・ストラテジーを用いることもなかった。スカラリー・ストラテジーはアカデミック教員に特有のものと考えられる。
従来型の学生観、大学教育観の成立が困難な状況下で、授業の成立や逸脱行為の抑制に直接的に有効なストラテジーは、初中等教員が困難な状況下で用いるストラテジーと重なるところが大きい。また、キャリア教育においては、企業出身者や就職支援企業が得意とする就職技法など、学生にとって有用性が分かりやすい内容を扱うことが、逸脱行為の抑制や学習促進に顕著な効果を持つ。しかし、逸脱行為を抑制し、授業を成り立たせるために、初中等教員と類似した対応を行うことや、自らの専門性とは異なる就職技法教育を行うことは、従来型の学生観や大学教育観を内面化しているアカデミック教員にとっては葛藤を伴う。大学教員が「教育的な」活動と誰の目にも見なさられる(二宮注:「みなされる」の意味か)活動を行うことは、下級の仕事して低評価され、敬遠されてしまうとの指摘もある(Bourdieu訳書 2012, p.176)。そこで、A氏は即効性のある「就職技法教育」や「ユーモアを使った婉曲的な注意」といった初中等教員と類似した対応を取り入れながらも、「専門性の取り込み」や「罰則のない事前契約」といったスカラリー・ストラテジーも取り入れた授業を展開することで、困難な状況下であっても、大学らしい理想の教育を実現しようとしていたと考えられる。その一方で、スカラリー・ストラテジーを用いても、授業成立や逸脱行為の抑制、学生の学習を促進する上での効果は見えにくい。ここに、従来型の学生観や大学教育観が成り立たない状況に置かれた今日の大学教員の苦悩がある。
pp.42-43

ひとつひとつ全力で頷きながら読んだ部分である。ただ同時に、私が実務家教員研究プロジェクトという研究を今年から開始していることに関連してもう少し知りたいと思うことがあった。本論文で対象としているキャリア教育は、school to workを研究対象の一つとしてきた教育社会学においては極めて馴染み深い分野である。すなわち、この分野の研究者にとっては「ストラテジー」を把握しやすい。しかし、大学の講義/授業においてキャリア教育はほんの一部を占めるにすぎない。従来型の専門科目や教養科目(一般教育科目、基盤教育科目、普遍教育科目、共通教育科目…)における「ストラテジー」について理解したいのである(二宮が研究するべき「ブーメラン」)。そのうえで、アカデミック教員と実務家教員との対比についてもう少し慎重に考えたい。本論文では両者はお互いに異なる姿勢をとっている。しかし、その違いはキャリア教育という限定的な分野においてだからこそ際立っているのかもしれない。たとえば、医学・保健学(看護等)、工学において実務の経験を持つ教員は珍しくなく、それらの教員にアカデミック教員との違いが見られないこともありえるような印象を持っている。本論文で示されたようなふるまいの違いが生じるのか、解像度を上げて検討したいところである(同じく「ブーメラン」)。さらに、ボーダーフリー大学ではない機関での実務家教員のふるまいについても、より理解を深めたい。実務家教員の有無にかかわらず逸脱行動が「見えやすい」ボーダーフリー大学とは違って、銘柄大学では「見えにくい」逸脱行動が生じているかもしれない。あるいは、学生が論文で示されているようにブルデューがいう「低評価」を教員へ与える(もちろん就職準備のプログラムを嫌う学生もいるよ!)ことに起因する、教員が感じる困難があるかもしれない。
気になることが多いとはいえ、ストラテジーへの着目は勉強になった。特に、ストラテジーは常に成功するというわけではなく、学習者のレディネスが不十分である場合などの状況によっては失敗するというのも参考になる論点である。