学部1年生の新しい人間関係の形成

フレッシュパーソンが新しい友だち作りに戸惑うのは例年のことである。高校生のとき知り合いになっていた人たちとは、趣味・関心、話し方・方言、ファッション、生活時間、お小遣いの有無・学費負担者の有無・バイトの必要性、勉強への取り組み姿勢、将来展望などがまるで異なる「あいつら」に出会うことになるのだ。しかし、今年は通学して実際に会う機会が限られてしまっているため、そもそも友だち作りの一歩手前にとどまらざるを得ない状況が続いている。以下はその問題に関する(いつものように特に結論があるわけではない)、実証的ではない思いつきにすぎないじぶんのためのメモである。

  • 秋になっても部活動・サークル活動に入る機会がない。3年生はそろそろ就職活動(シューカツ)へ関心が向かう時期であり、部・サークルへ時間を割くことが減ってくる。2年生は部・サークルについての意思決定ができるようにはなっていないうえに、COVID-19により十分には活動できないため、秋からのメンバー募集について積極的には行動できない。その結果、1年生が秋以降も入部するきっかけを得られなくなっている。なお、規模が小さかったり設立年が比較的浅かったりする大学ではそもそも部・サークルの種類に数が限られているため、加入率はあまり高くないこともある。「社会問題」を引き起こすような派手なサークルがメディアで取り上げられることもあるためか、大学イコールサークル活動をする場所という印象を持たれることもある。しかし、各大学、大学生協日本学生支援機構、民間団体が実施する各種の学生生活調査では、概ね加入率は高い数値を示すわけではなく、活動時間も多いわけではない。
  • ただし、大学関係者は部・サークルの加入によって学生生活全般へのコミットメントが高まること(成績が上がるとまでは言えないが、授業や教職員に対する満足度は上がり、退学者は減る)を経験的に知っているし、それを実証している教育学系の論文も複数存在している。そのため、大学によっては今年のような状況であっても新入生が部・サークルへ入ることができるような支援を行っている。とはいえ、その試みは次に示すように必ずしも目論見通りとはならない。
  • 「友だちのいないじぶん」を他者に見られることを避けたいと思う場合がある。また、積極的に友だち作りをしているように見える知り合いに対して、どこか醒めた気持ちになってしまうこともある。恥ずかしい思いをしてまで友だち作りをしなくても、高校のときの友だちがいるから問題ないと諦念する。これらのことは進学した大学が第1志望(群)であったか、そうではなかったかという要因も関係している。特に後者の場合の1年生は、学生生活へのコミットを必要最小限にとどめることがある(2年生以上になると、その大学の固有の良さがわかってくるので必ずしもそのままの状態が続くとは限らない)。また、進学先が地元かそうではないかという要因も関係している。昨年までも継続してそうであったけれども、たとえば東大に進学した「御三家」出身者と、地方の高校出身者とでは同じ1年生であっても置かれている状況はまったく違っている。上記のような大学によって提供される機会は、じぶんをさらけ出す怖い場になり得てしまう。
  • しかしながら、だからといってネットを使って同じ大学・学部に通う1年生と友だちになれるわけでもない。年長者であれば、見ず知らずの他人であっても趣味つながりで友だちになって「オフ会」を行うという〈ネット→リアル〉という順番による人間関係づくりはそれほど難しいものではない。マッチング・アプリも同じことだろう。しかし、学部1年生のネットの使い方は〈リアル→ネット〉という順番であろう。高校生のときと同じように、まず先に同じクラス、同じ部活、同じ塾・予備校といったリアルなつながりがあって、それをふまえたうえでアカウントを互いに知らせることになる。「ネットの怖さ」(たとえば「ネットには怪しい悪巧みを常にしている大人がたくさんいて、あたかも同じ学校の生徒・学生のフリをして近づいてくることがあるから注意しよう」)を知っている場合にはなおさらであり、仮にネット上で友だちがいたとしても〈ネット→ネット〉である。
  • 私がよく冗談で話題に出すことで「小学校、中学校、高校のときにできた最初の友だちって、名字の50音が近いひとだった?」というものがある。興味関心の近さよりは、出席番号の近さによって友だち関係が作られることもある。次第に「あ、こいつとはあまり性格が合わないな」と思うようになったとしても、最初に人間関係はそんなものであるのかもしれない(上記の冗談はよく当たるらしいよ('ω')ノ)。そうしたこともあって、リアルな関係性に代わるものを探すのが難しい。
  • 人間関係の形成について悩みが晴れないのは、他者に対して責任を負わせることが難しいからである。講義がオンラインだけで行われることに対して、それらが事実かどうかはわからないものの「教育効果が満足できるものではない」、「教職員が手を抜いている」という批判を行うことがいちおうは可能である一方で、「それでは友だちができない」という批判は困難である。 大学が友だちを作ってあげることはできず、その機会を提供したとしても上述のとおりうまくいかず、結局はじぶんじしんの営為の問題となってしまう。こうした人間関係の特徴については社会学の「後期近代論」で説明が試みられてきたかもしれない。

(後日、加筆する可能性あり)