日本における社会科学系大学院拡充政策の検証

文系大学院をめぐるトリレンマ (高等教育シリーズ 177)

文系大学院をめぐるトリレンマ (高等教育シリーズ 177)

  • 作者:吉田 文
  • 発売日: 2020/08/19
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
新しい書籍が刊行される。私は第3章「社会科学系修士課程大学院生の能力獲得:教員のレンズを通して」を担当した。

 かつて、日本は学歴社会だといわれていた。学歴社会とは、社会の成員の社会的地位を規定する要因として学歴が重要性を持つこと、そして多くの人がより高い学歴の取得を求めて競争が生じることをいう。ただ、近代社会では、学歴が社会的地位を規定するうえで主な要因であるという点において一定程度の共通性を持ち、決して日本だけの特徴ではないはずだ。しかしながら、欧米諸国からみたら日本は特異な学歴社会だという議論がなされていた。1970年前後の日本社会を見たOECD教育調査団は、その状況を次のように記している。
(略)
 こうした認識のもと、日本の教育社会学研究において、学歴は主要な研究テーマであった。その多くは、日本の学歴社会の程度に関する具体的状況の分析、学歴社会の成立過程に関する歴史的研究、あるいは、なぜ日本は学歴社会になるのか、その原因の追究、さらには学歴社会の将来を予測する研究など多岐にわたる。しかしながら、これらの研究の大半は大学への進学をめぐる競争と大卒者の労働市場での処遇を分析の俎上に載せている点を共通にしているうえ、こうした論調での研究は1980年代に集中している。
 本書は、その学歴をもう一段上げて大学院修士課程、それも社会科学系の課程に限定し、2010年代という時代を対象として分析を進める。後述するように、1990年代から大学院の拡充政策がとられ、そのもとで、1991年当時10万人弱であった大学院在学者は、2019年現在25.5万人強へと約2.5倍にも拡大した。しかしながら、文理どの領域においても大学院学歴の取得をめぐる競争が生じているようにも見えないし、大学院修了者が企業等での採用において、大卒者よりも有利に処遇されているという話も耳にしない。日本社会では、多くの者がより高い学歴を求めるという行動は大学で止まり、大学院へ上行しない。それはなぜなのか。こうした関心から始まった共同研究の成果が、本書である。
pp.1-3

本書全体を通じての問いは、以上に示すとおりである。
研究を開始した2010年代前半、社会科学系修士修了者の民間企業への就職は90年代とは大きく様変わりしていた。修士修了者に対して負のラベルが貼られることが減ったのである。たとえば、本書で考察対象の一つとしている聞き取り調査では、採用担当者から次のようなご意見を頂いている。「学卒と大学院卒の採用コンセプトは、基本的には全く同じで」「面接過程で差別、区別するこおなく選考」「同じレベルで見て採っている」(p.126)として、学部卒と修士修了者に区別を設けず、しかし同時に、修士修了者の「能力」を高く見積もるということは行われていなかったのである。それでもなお、修士修了者に対して厳しい視線が民間から投げかけられていた90年代までの状況を思い起こしてみれば、巷間言われる「大学院拡充政策の蹉跌」に対してはもう少し慎重な姿勢をとったほうがよいのかもしれない。さらにそのうえ、本書で対象とした各種調査の分析がほぼ終わりかけ始めた2010年代後半には、社会科学系修士修了者のみならず博士号取得者をその高い「能力」―とりわけ、データサイエンス事業の勃興などの産業構造の転換を背景として―を見込んで積極的に採用する企業も現れているようである。学部生と「同じレベル」ではなく、仕事に有用な高度な知識・技術を有する者として採用され始めているような雰囲気もありそうだ。このことは、本書に続く今後の研究課題であろう。
また、上記引用では「学歴」という言葉が用いられているものの、これまで日本の大学に関するジャーナリスティックな話題として持ち出されるのは「学校歴」であった。入学後に勉強したい内容がある大学(学部)の入試偏差値が、あまり関心のない大学(学部)のそれよりも5ポイント低かった場合に、その両者へ合格したとしてどちらへの進学を期待されるだろうか。この「学校歴」への固執というのも、国際比較の研究上は興味深いことと理解されてきた。では、拡充政策が進められてきた社会科学系大学院ではどうであろうか。この論点については、本書で検討対象とされている中国の事例が参考となるだろう。「前述したように、大学院卒という学歴、また大学の威信度という学校歴が就職する際に有利に働いている」(p.185)という中国の大学院進学時のいわゆる銘柄校志向とその理由は、日本のそれと何が同じで何が異なるだろうか。端的に言えば、また、スラングを使ってみれば、日本の大学院進学についての「学歴ロンダリング」が当初の侮蔑的な意味をやや薄めて流布されるようになった状況に関して、どのような枠組みで何が説明できることになるか、それは国際比較の観点からはどのような意味として解釈できるのかという問いでもある。この点についてもまだまだ残されている課題である。


追記:90年代になって「学歴社会」研究が激減した理由、別途検討しなければならない。「学歴エリート」(出身・属性、その意識)研究もなくなってしまった。