学生の皆さんからよく頂く相談を紹介します。以下、私の10年前の経験談に基づく話しなのでけっして一般化できる内容ではないこと、私は社会なるものを機能的にではなく葛藤的に見る傾向があること、それらのバイアスがあることに注意してください。その相談とは「先生のように学部卒業後企業に就職して、それから社会学を研究する大学院に進学したい」というものです。相談というよりは背中を押すことを期待されているのかもしれません。しかし、私はそれをどうしても躊躇ってしまうのです。
私は大学院修士課程へ「社会人特別選考」という試験を経て入学/入院しました*1。その「社会人」向けの制度ができて2年目でした。学部で社会学を修めていなくても問題ない、修士1年次に社会人向けの特別プログラムが組まれる、さらには、「これからは大学院に進学するのが『あたりまえ』の時代が到来する」といったイメージが流布されつつあって、まずまずの人気がありました。うろ覚えですが入試倍率は3.0倍弱ありました。受験者、合格者ともに、ほとんどが別の大学の出身者でした。
さて、「社会人」の経験にどれほどの意味があるのかはわかりませんが、入学者はそれぞれに研究を進めました。修士2年次、あるいは、2回目の2年次において修士論文を書き上げます。そこで、当然の問題は進路のことです。当時、おそらく教員集団は「社会人」大学院生の進路にほとんど関心がありませんでした。「社会人」大学院生は自らのキャリアについてそれぞれに極めて切実な課題を抱えるのですが、その課題を教員集団と共有することはできませんでした。「新卒者ではないのだから、個人個人が『自己責任!!』でキャリアを切り拓け」という暗黙の理解があったのかもしれません。私の同期の「社会人」大学院生のうち半数強が再び職業生活に戻ることになったのですが、修士課程で研究した内容を活かせる職業に就くことは残念ながら稀であって、また、職が見つかったとしても前職よりも待遇がかなり悪くなる―正社員から派遣社員へ、正社員から請負へなど―ことが多いという状況でした。修士課程における研究は、単なる2年間、3年間の職業ブランクとしてみなされてしまうのかもしれません。もちろん、「職業生活などどうでもいいのだ、身分はどうであれ研究ができればいいのだ」という主張もありえるとは思いますが、はたしてほんとうにそこまで割り切ることができるでしょうか。なお、「社会人」大学院生のうち半数弱は博士後期課程に進学して、そのうちさらに半数ほどが常勤、ないし、非常勤の大学教員になっています。現在ではさすがに「社会人」を含めた大学院生向けのキャリア支援の必要性が認識されていますので、私の世代が経験した状況は変わりつつあるのかもしれません。それでもなお、職業生活と大学院を往還するキャリアパスはまだ一般的ではありません。当然のことながら、新卒者が有するような特権的な庇護を享受することもできません。そうしたことから、私は「社会人」を経験してからの大学院進学を勧めることに依然として戸惑いを覚えてしまいます。「社会人特別選考」の人気が低下したのは―おそらく実質的な入試倍率は1.0倍未満になっているでしょう―、今でもなお明確なキャリアパスを示すことができていないことも一つの理由でしょうか。
背中を押すという意味では、その後の私の経験が参考になるかもしれません。修士1年次の終わり頃から、自らの研究力量の乏しさに強い不安を感じていました。また、想定以上に貯金の目減りが速く、また、返済の恐ろしさから奨学金を借りていませんでしたので、このままでは生活が成り立たなくなることが明らかでした。豊かな家庭からの支援、あるいは、徒弟制的な伝統を残す教員からの有形、無形の支援が無尽蔵にある一部のストレート大学院生がとても羨ましい限りでした。そこで、修士2年次の春先には、職業生活に戻ることを決意しました。複数の転職紹介会社に登録をして、企業へ再就職することとなりました―ハローワークにも通いましたが、そこでは納得できる職を見つけられませんでした。前職よりも年収は下がりましたが個人の裁量の大きい職種でしたので―すなわち、時給換算ではかなりの上昇―、あまり不満はありませんでした。そこで、この再就職にとても役立ったのが特定のスキルでした。私は学部3年の頃から自らの専攻とは別に、どうにかして生きていくために賃金や社会保険の実務、人事制度の動向に関する勉強をしていました。所属していた社会学部では雇用関係の講義が充実していて助かりました。そして、幸運にもそれらの勉強を活かせる初職に就くことができました*2。この初職の貴重な経験は再就職に結びつくことになります。とりわけ、社会保険はあまり関心を持たれない領域の知識であって、その知識と実務経験があったからこそ再就職が容易であったのだという実感があります。学歴/学校歴は年を重ねるにつれ、数多ある評価項目のほんのわずかな一要素に過ぎなくなります。人事コンサルというのは華々しいイメージがあるかもしれませんが、たとえば、社会保険に関する例外規定だらけの面倒な法令を前提とした地味な作業をコツコツと積み重ねていくような仕事もしなければなりません。企業統合時の人事制度については関心が集中するのは役職、賃金、評価だけで、その他多くのわかりにくい制度については専門家に任せられます*3。誰かが多くの手数をかけて整理する必要があります*4。今でも研究職を失うことがあれば、すぐにでも社会保険労務士を取得する心づもりをしています―業界のならわしとして、20代前半で第二種衛生管理者は取得済み(笑)。ただし、社労士の資格を持っているだけでは生きていけないので、これは最低限必要な作業だと考えています。すなわち、皆さんが学部卒業後企業に就職したとして、何かしらの企業横断的な特定のスキル―言うまでもなくコミュ力的な「ポータブル・スキル」ではない、汎用的能力と称されるものではない、極めて専門的なスキルである―を身につけておくというのはどうか、という提案をしたいわけです。研究生活を一度離脱するようなことがある際、企業横断的なスキルが役に立つのかもしれません。
ところで、教員免許があれば何とかなるのではないかという意見もあるでしょう。学部で取得済みであって、かつ、教職の実務経験があれば良いと思います。大学院で教員免許を取得するのはとても大変です。また、教職の実務経験がない場合には、常勤であれ非常勤であれ新卒者と同じ扱いになるでしょうから、必ずしも容易に職を得られるというわけではないと思います。とはいえ、私は教職について詳しいわけではないので、この認識に誤りがあればどなたかご指摘頂ければ幸いです。
その後、私は博士後期課程へ進学することになります。再び入学金を納入しました…*5。その経緯については、後日あらためて紹介します。人間万事塞翁が馬としか言いようのないキャリアが待っていました。以上、バイアスだらけの「自己物語」でした。「自己物語」論について、私の講義の履修者は要復習!

*1:「社会人」という概念の曖昧さについてはとりあえず我慢しましょう。

*2:その企業の面接では、大学院に進学したいので数年で辞める予定だ、人事関連の仕事をさせてほしい(それが叶わぬなら、少なくとも総務、経理、IR等管理部門の仕事をさせてほしい)と主張してみたところ、大いに歓迎するという返答を頂きました。もちろん、NECのPC6000シリーズ以来のパソコン好きであったので、当時はまだ風当たりの強かったIT企業としては採用に値する大学生だったのかもしれません。とはいえ、今から考えても風変わりな企業です。

*3:ところで、大学教員に関する資格号俸についてどこからか異議申し立てがあるのではないでしょうか。資格の意義はなお存在するにしても、号俸を説明するのは難しい印象があります。

*4:分社と統合の両者を経験しましたが、とにかく統合の方が大変です。たとえば、統合前のA社とB社のそれぞれのマネージャの仕事を比較して、その責任と賃金を整理するという困難な仕事です。そこでは従業員聞き取り調査を行うのですが、その調査スキルが現在の研究に役立っているという、これもまた塞翁が馬的な話です。

*5:ストレートの進学にはならないので、入学金をあらためて支払う必要がありました。再就職して貯めた貯金、博士後期課程から借りることにした奨学金で賄いました。しかし、この頃、すでに免除職規定が無くなっていました。残念。