先月、中教審諮問「中長期的な大学教育の在り方について」が出された。特に検討するべき課題として、

  1. 社会や学生からの多様なニーズに対応する大学制度及びその教育の在り方について
  2. グローバル化の進展の中での大学教育の在り方について
  3. 人口減少期における我が国の大学の全体像について

が示されている。1つめ、2つめは従来から課題とされていたことである。そして、来たるべくして来たのが、3つめの観点からの大学教育、研究の見直しである。大学進学者数の減少が大学の様々な機能にどのような影響を及ぼすことになるのか、これは確かに検討が必要な事項である。
しかしながら、諮問に付された諮問理由説明を見ると、またしても「ではの守」型の印象の強い答申になるのではないかと思ってしまう。教育、研究に関して、「米国では・・・、欧州では・・・。ゆえに、わが国もまた・・・。」、また、大学行財政に関して、「民間では・・・、。ゆえに、大学もまた・・・。」ただし、ここで、こうした議論を性急に否定するのでは、もちろんない。米国型、あるいは、民間型の何かしらの仕組みの方が、現行の日本の大学のそれよりも「優れて」(カッコ付だが)いることもあるのだろう。私の危惧は、高等教育研究(高等教育を対象とした研究)が「ではの守」型に席捲されてしまうことにある。そもそも、初等中等も含めて教育研究は、他の領域の研究に比較して「ではの守」が多いように思える領域である。諮問に平行してこの傾向がますます強まることが、果たして研究の積み重ねにとって良いことなのだろうか。