「若者と社会」独自授業アンケート2019

2019年度(前期)全学共通科目教養育成科目総合科目群「若者と社会」(2単位)の履修者は約100名でした。この科目は学生による授業評価アンケートの対象外ですので、講義終了かつ成績評価決定後の時点で、独自にアンケートを行いました(回答は任意)。21名の学生から回答が寄せられました。ありがとうございます。
ほとんどの履修者が1年生です。その所属学部・学科は理工学部教育学部、医学部医学科、医学部保健学科です(時間割の都合上、社会情報学部の学生はいません)。
事前に許可を頂いていますので、ウェブ上で紹介いたします。

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Q.講義全体の感想

  • 終わってみて、まず思ったのは『よくがんばった私!!!』でした。毎週の予習は時間もかかるし、頭も使うし、周りの友達にはまたこれやってんの大変だね〜って言われるし、で自他共に忙しい講義選んじゃったなーって思いました。でも、終わったポートフォリオを見たときの達成感は今までに感じたことのないようなものでした。
  • 要約もだんだん上手くなってきて、レポートの書き方にも慣れて上手くまとめることができるようになったと思います。
  • 最初は大変だったが慣れると苦しさは感じにくくなった。また、この講義での学びは他の講義でも応用することができた点で有利だった。
  • 毎週の課題の多さと提出物に押されるハンコの意味が分からなくてイライラしていたが、第10回を過ぎたあたりから教授が好感度を上げてきて、最終回にはファンになっている。余白の必要性は初めに行ってほしかった。講義の内容は楽しかった。
  • 愛を知った。
  • 予習には時間がかかったが、講義で扱ったテーマは興味深いものが多かった。
  • 最初はとても予習レポートが嫌で嫌で仕方がなかったですが、回数を重ねる事に書き方のコツを掴み点数が上がっていくのを感じました。テストがない分毎回の予習、授業レポートが大事になると思いました。大変でしたがやりがいを感じました。
  • レポートを書く力が付きます。若者と社会の講義を通して培ったレポートを書く力は、他の講義のレポートでも大いに役立ちました。
  • 最初の方は若者と社会で出される課題が私の生活の中心になっており、レポートがかなり負担になっていて、苦痛でした。ですが少しずつ要約、考察の要領をつかめるようになってきて、最後の方はレポートを難なく書くことができました。楽しい講義もあればよくわからない講義もありました。それでも、自分とは違う視点で物事を見ることができたり、ある問題に対する考え方に共感することができたり、非常にためになりました。
  • 自分のためになる講義です!!
  • 週2枚のレポートによる負担は小さくなかったが、レポートの作成とそのフィードバックへの返信を通して自分の文章を見直す良い機会を得たと思う。
  • 予習課題やミニッツペーパーの作成は一見ハードだったが、講義で取り扱うテーマの興味深さもあり、意外と前期を通じてやりきることができた。
  • 正直に言ってかなり面倒だった。その反面、得るものはあった。講義の内容も自分たちに近いところを取り上げていたので共感できるものもあった。
  • 最初は書き方がわからず戸惑いましたが、徐々に書きかたがわかり、いいものが書けるようになりました。この授業でレポートの書き方が学べました。今後も「若者と社会」で学んだことを生かしてレポートを書きます!
  • 若者に関する講義に興味を持って、受講した。自分自身が若者であるため、客観的に若者を捉える視点を持っていなかった。しかし、講義を受けたことで今の若者が置かれている現状や、問題点、昔と今での変化などを詳しく学ぶことができた。また、講義と予習の際に紙に要約と考察を書くのは、辛いと思うときもあった。でも、自分の中で内容を噛み砕いて、思考してから文章にアウトプットしていくのはとてもいい勉強になった。受講したことで、基本的なレポートの書き方を学ぶことができ、若者に関することをより知りたいと思えるような講義だった。
  • 4月や5月ごろは要約・考察に無駄なことをだらだらと書いてしまっていましたが、5月の後半ごろから要約に必要であろう部分が少しずつわかってきたので、まとまった要約が書けるようになりました。この講義を受けたことで、要約・考察の力が周りの人より身についたので良かったです。レポートを苦痛に感じることが多々ありましたが、この講義で身につけた力(要約・考察)は今後生きていく上で必要不可欠な力です。
  • 最初は、毎回のレポート作成の予習や、ミニッツペーパーが結構大変で、”だるい講義だな”と思っていました。しかし、だんだんと終わりが近づくにつれて、この講義の”良さ”がわかってきました。全ての講義を受け、毎回予習もこなしたことで初めてこの講義の良さがわかりました。この講義で扱った内容、レポートを書く練習は、必ず他の講義でも役に立つと思います。大学生活を効率よく、より良く過ごすために、基本でありながら最も重要なことを学べたと思います。もしこれからの新入生に、何か一つだけ講義を勧めるなら、この「若者と社会」を選びたいです。
  • 最初はミニッツペーパー、予習レポートの書き方がわからなかったが回数を重ねるごとに書けるようになった
  • 毎週レポートを書くのは大変だったが、レポートを書く力がついたとは思う
  • 色々な視点から物事を考えることが出来て勉強になった。要約力と文章力が身についたように感じる。
  • 最初は予習レポートとミニッツペーパーの2つの文章作成に追われて、つらかった。しかし講義の内容は面白かった。難しくて頭が混乱するような内容の日もあったが、頭が活性化されるような気がしたし、自分なりの考えを持つ大切さを知った。講義を重ねるごとに文章を書く技術が上がっていることが実感でき、レポートの点数が高くなることが嬉しかった。文章を書くことが苦手だった自分が、長い文章の要約で困ることが少なくなったことが最も嬉しかったことだと思う。他の講義での要約課題や考察文章の作成が苦にならなくなった。毎週頑張ってきたからこそ、単位を取れたときは非常に嬉しかった。コツコツ頑張ることが大切だと改めて感じた。コツコツ頑張ることが好きな人、コツコツ頑張る大切さを知りたい人におすすめの講義。
  • 始めは苦手な要約や考察が、回数を重ねるごとに簡単になっているような気がした。自分の身の周りのことが多く、全体を通して非常にためになった。

皆さんご指摘のとおり、大学生活において必要とされるレポートを書く方法―単なる文章力ではない―を身につけることができます。4月、5月は大変に感じるかもしれませんが、それ以降(卒業時点まで?)は他の学生に比べてその苦労したぶんだけ楽に書けるようになるはずです。「だるい」と思ってもまったく構いませんので、「だるい」ものでも何となくやりきれるようになりたいですよね。

Q.この講義を受けるコツ

  • 前向きに受けること。論文は早めに読むこと。何回も読まないと内容が理解できないから。二宮先生をリスペクトすること。
  • 予習レポートとミニッツペーパーの上下左右に余白を置いておかないと後で自分が不便
  • 休みの日に課題をサクッと終わらせるひとなら絶対にSが貰えるが、課題をためて前日の朝にやるような人には向いていない。自分なりの楽しみ方をみつけられればそんなに辛くはない。イラストが得意なら講義の要約に使うとやりやすい。
  • 愛を知れば道は開ける。
  • 毎週、予習レポートを余裕を持って書いて提出する。
  • 文章だけでなく、イラストや表を描くと全体的に見やすくなるし、評価もよかったです。前回のリプライはしっかり書いた方がいいです。ミスが減ります。諦めず最後まで授業を受けて欲しいです。
  • 最初の方のレポートは、二宮講師に指摘していただいた点をしっかりと改善すれば合の◯がもらえます。全てのレポートにしっかり取り組めばA評価は確実にもらえるでしょう。
  • 前の方に座りましょう。授業中は、要約や考察を書くためにメモを取りましょう。マージン(空白)を取りましょう。レポートとしてふさわしい情報は書きましょう(名前、学籍番号、学部学科、日付など)。最初の方は大変かもしれませんが、あまり無理しすぎないようにしてください。
  • その日に提出するのではなくて、よく考えて研究室に提出しに行くといいと思います!
  • 講義時間内に提出をすることにこだわらなくても良いです。最初は思うような評価を得られないかもしれませんが、毎週きちんと取り組めば力はつきます。頑張ってください!
  • フィードバックの意図を正確に理解し、友達などと見比べ、よりよいレポートになるよう改善していくとよいと思う。
  • 要約を丁寧にすること。予習の文献の要約は高校でやった現代文みたいなものだし、講義の要約もそこまで難しくはない。オリジナルな考察を毎回出すというのは難しいので、とにかく要約をきちんとする。これでAは取れると思う。
  • 書き方がわからなかったり、点数に思い悩んだら、友達のミニッツペーパーと予習レポートを見せてもらうと、ヒントが得られると思います!
  • 予習で読む文献は、長い論文などが多いため、読むときは重要な部分を紙に書いてまとめていくと良い。段落どうしのつながりを意識して、読み進めていくとまとめるときにやりやすくなると思う。また、図やイラストを入れると、わかりやすく伝えることができる。ただ、書く場合は図の番号を表記することが好ましい。
  • 講義中も常にメモを取っておく。先生からいただくプリントに書き込むのでも、新しく紙に書くのでもどちらでも良い。先生はプリントに書かれていることをわかりやすく解説してくださるので、よく書いておく。また返却された用紙に書いてある、先生からのアドバイスをもとに、自分のレポートをよりよくしていくことが大切である。
  • この講義のコツは、マージン(空白)を作って読みやすいレポートを作るということです。プリントの上下左右に空白がないと読みづらいものになってしまいます。
  • 予習レポートとミニッツペーパーを、遅れることのないようにこなしていくことがコツです。割と労力が必要とされることですが、単位を取るために必要なことであり、避けることはできないことですが、これさえこなせば単位は取れると思って間違いはないです。また、各講義で扱われる内容に対して自分の中で疑問を投げかけることは考察を考える上で必要ですが、「やり方(形式)」は先生によるコメントに”あえて”鵜呑みにするようにしていると、この講義を意味のあるものにすることができると思います。
  • 自分達(若者)の視点で物事を考えること
  • 根気
  • 最初は大変だと思うが、しっかり取り組むことが大切。提出物はすぐに仕上げず、時間をかけて考察した方が点数は高くなると思う。最後にレポート物は冊子にすることを考慮して書くと良い。
  • この講義には正しい答えがないため、何が正しいかという模範解答を求めないことが大切だと思う。とにかく自分なりに、そのテーマについて考え抜いてみる。テーマ一つ一つが独立しているわけではないため、前に扱ったテーマのことと関連させて考察をすると、より考えが深まる。フィードバックに対するリプライはきちんと返す。自分の考えを深めるチャンスであり、読み手側にとって読みやすい文章作成の方法を知ることができる。何を意味してるかわからないマークやスタンプが返されたレポートに多く存在するが、だんだんわかってくるし先生もそれとなく答えを教えてくれるので、いきなり完璧なレポートを目指さず、段階を踏んで良いレポートを作成できるように心がける。
  • 必要な情報(学籍番号、名前、日付等)をしっかりと書く。この時に、目一杯埋めようとせずマージン(余白)を作って書くと良い。この講義は毎回出席する必要があるのでサボり癖がある人にとっては単位取得が難しいかもしれません。

昨年度の感想にもあったのですが、「リスペクト」は要らないでしょう。また、「自分なりの楽しみ方」を見つけることも、大学の履修では大事ですよね。イラストの必要性については所属する学部・学科によって異なる一方、図や表についてはどの学部・学科においても必要かもしれません。

群大ビブリオバトル2019菖蒲月

sakuranomori.hatenablog.com
昨年度と同様、講義でビブリオバトルを行いました。若者に関連する書籍、ただし若者の定義はそれぞれに任せるという条件で実施した結果、全14グループのチャンプ本は以下のとおりになりました。

チーム桐壺

チーム帚木

チーム空蝉

チーム夕顔

「承認欲求」の呪縛 (新潮新書)

「承認欲求」の呪縛 (新潮新書)

チーム若紫

近頃の若者はなぜダメなのか 携帯世代と「新村社会」 (光文社新書)

近頃の若者はなぜダメなのか 携帯世代と「新村社会」 (光文社新書)

チーム末摘花

チーム紅葉賀

チーム花宴

チーム葵

少女 (双葉文庫)

少女 (双葉文庫)

チーム賢木

神田川デイズ (角川文庫)

神田川デイズ (角川文庫)

チーム花散里

チーム須磨

ソロモンの犬 (文春文庫)

ソロモンの犬 (文春文庫)

チーム明石

チーム澪標

ノルウェイの森 上 (講談社文庫)

ノルウェイの森 上 (講談社文庫)

2年連続で絶望本がチャンプになっています。強いですね!
ところで、担当教員はこうした1回の授業によっていわゆる「コミュニケーション能力」が高まるとは考えておりません。本が好きになるとも考えていません。それらはもちろん、授業のねらいでもありません。他方、この1回限りの授業でなぜだかできるようになったことがあるはずです。それは何でしょうか?
そして、源氏物語を参考にしてチーム名を作っていたのに、「恋愛しない若者たち」が選ばれるという偶然の皮肉に苦笑しました。

高等教育論セミナー2019夏「戦後日本の高等教育政策①1945~1979」

大学・短期大学にお勤めの事務職員/教員、高等教育論に関心を持つ大学院生を対象としたセミナーを開催します。仕事として高等教育に関わることになった/これからそうなるものの、これまで高等教育論、大学史、教育社会学の講義を聴いた経験があまりない方を対象としています。予備知識は不要です(担当講師がかつて非常勤講師として勤務していた大学で開講していた教養教育科目「高等教育の歴史的展開」と同等の水準・内容です)。
セミナーの目的は、主に事務職員の皆さまの高等教育に関する知識を高めることにあります。なお、本セミナーは担当講師の所属機関・部局による主催ではありません。担当講師による自発的な社会貢献の企画です。そのため、聴講したことを証明する文書の発行などはできません。

担当講師:二宮 祐
群馬大学 学術研究院(主担当 大学教育・学生支援機構教育改革推進室)准教授
業績や経歴については https://researchmap.jp/skrnmr/ をご覧ください

セミナーの内容:1945年前後から1979年前後までの日本の高等教育政策について、その概要、背景、論点を紹介します。

日程:2019年8月4日(日)
14:00~15:40 講義
15:40~15:50 休憩
15:50~16:30 質疑応答・ディスカッション

場所:東京工業大学キャンパス・イノベーションセンター(東京都港区)
5階リエゾン・コーナー
http://www.cictokyo.jp/index.html

参加資格:全国の大学・短期大学にお勤めの事務職員/教員、高等教育論に関心を持つ大学院生

定員:35名(先着順)

参加費用:500円(配布資料コピー代として、当日のお支払い)

申し込み方法:以下のフォームに必要事項をご記入のうえ、送信してください。担当講師の大学メールアドレス(ac.jp)から、参加のご案内が届きましたら受付完了です。定員を超過した場合には、参加をお断りするご案内をお送りする場合があります。
docs.google.com

「わがまま」をときほぐす作業

みんなの「わがまま」入門

みんなの「わがまま」入門

著者、出版社よりお送り頂きました。ありがとうございます。


http://sayusha.com/catalog/books/p9784865282306c0036
「はじめに」の全文は、出版社のウェブサイトから読めるようです(2019年4月22日時点)。


中学、高校生向けの講演が契機となって、まとめられた書籍とのことである。そのため、「はじめに」の後の構成は、1時間目「私たちが『わがまま』言えない理由」、2時間目「『わがまま』は社会の処方箋」、3時間目「『わがまま』準備運動」、4時間目「さて、『わがまま』言ってみよう!」、5時間目「『わがまま』を『おせっかい』につなげよう」となっている。なお、ここで扱われている「運動」というのは、「うん‐どう【運動】[名](スル)2からだを鍛え、健康を保つために身体を動かすこと。スポーツ。『肥満防止のために運動する』『運動競技』」(出所:デジタル大辞泉)という中高生によく知られた意味ではなく、「3 ある目的を達するために活動したり、各方面に働きかけること。『選挙運動』『労働運動』『委員になるため運動する』」(出所:同上)である。あまり馴染みのない言葉かもしれない。辞書の定義ではなんということもない言葉であるけれども、上記の「はじめに」やそれに続く1時間目では「運動」に対する現代的な、否定的意味づけの内容が紹介されている。そこで1時間目では、否定する必要などあるわけもない、運動に至る初発の問題意識や、その問題意識の展開を阻もうとする私たちの意識についての説明が行われている。

学校生活のなかで「あの子ずるいな」「あいつは自己中だな」と思うことはありませんか。「毎回授業に遅刻してきて、授業の進行が遅くなる」とか、「私はまじめに宿題をしているのに、なぜ私の宿題を写しているだけの人と、同じ点数なんだろう」とか…。
また、そういう他人に対する不公平感と同様に、自分を取り巻く環境に対する不満や違和感もあるのではないかと思います。「授業の時間が長すぎる」とか、「存在する理由がわからない校則がやたら多い」とか。
でも、学校生活のなかで不公平感や違和感があっても、おそらくあなたはあまり大々的には言わず、がまんをすることの方が多いのではないでしょうか。
もしかしたら、自分の違和感を大々的に表現したり、権利を主張する人のことを、「わがままだな」「空気読めよ」と思うこともあるし、素直に意見や不満を口に出す、そういう人もまたずるくて自己中だと感じてしまうかもしれませんね。少なくとも、私はそうでした。
だれかを「ずるい」と思うことも、不満や違和感を公にする人に対して「わがまま」と感じることも、よくあることだと思います。
でも、不満を表に出す人に対して「あいつはわがままだ!」と片付けて、自分自身はがまんしてしまうことで、わたしたちの生活する場所が今よりもっと窮屈で、苦しい場所になる可能性もある。がまんすることで、一時的に他人との衝突やモヤモヤをやり過ごせたかのように感じるかもしれませんが、じつは、それは自分の将来を縛っている行為でもあるのです。声は上げなかったせいで、未来の自分が好きなように振る舞えないのは、多分だれしも嫌ですよね。
どうしたら、がまんせずに不満や違和感を口にすることで、ムカつく教室(やクソみたいな職場)をちょっとはマシなものにできるのでしょうか。このことを考えるために、もう少し「わがまま」という行為について考えてみましょう。
17-18頁(1時間目)

私個人的には、3時間目くらいまではどうにか実践できそうだけれども、4時間目以降はなかなか難しい。学生と社会運動をテーマとして議論をする際にも(議論という言葉を嫌う分野の方は「意見交換」と読みかえて頂きたい、ほんとうは同じ意味ではないけれども)、この3時間目と4時間目の間で行ったり来たりすることが多い。138頁ではSNSの話題も取り上げられていて、まさに学生が気にする論点である。また、学生との会話のなかでは「まだ子どもなので、運動なんて縁がない」というものもある。かつて(さて、いつの時代でしょうか?)は中高生も何らかの運動へ積極的に、あるいは、親などの大人に連れられて消極的に(?)参加していた時代もあるけれども、おそらく現代はそうでもない。しかし、子どもであるという学生はいつ大人になるのか、そして、運動に縁が生じることになるのだろうか。さらに、筆者も言及しているように運動という概念をもう少し揺さぶってみれば、実は運動を行っていることもあるのかもしれない。
本書のおもしろい点の一つは、社会学の入門書としても読めるところである。社会学のレンズを通してある現象をみると、別の像が浮かび上がるという事例が豊富に紹介されている。ただ、私(ブログ主)の指導教員がかつてよく言っていたように「社会学は稲光(いなびかり)のような性格を持っていることがあるので、その瞬間はとても鮮明にわかった気になるんだけど、少し時間を置くとやっぱり見えなくなる/わからなくなる」こともあるので、紹介された事例の前後でそっと言及されている書籍や論文を読んでみるのもよいだろう。

「植民地大学」

アメリカ占領期の沖縄高等教育――文化冷戦時代の民主教育の光と影

アメリカ占領期の沖縄高等教育――文化冷戦時代の民主教育の光と影

沖縄における戦後高等教育史、特に琉球大学の歴史について、私は知らないことが多くとても勉強になった。

戦後初期には、ジェームス・ワトキンスやウィラード・ハンナのような教養が高く、教育や文化の重要性を認識していた民事活動担当の将校達が、沖縄の教育復興に貢献したと言える。ミルトン・ミルダーをはじめとするミシガン・ミッションに携わった教授達の多くもまた、地域社会に奉仕するというランドグラント大学(二宮注:米国で1862年に制定されたモリル・ランドグラント法に基づいて作られた、農学や機械工学といった地域の発展のために「役に立つ」学問分野を重視した大学)の理念に則り、沖縄社会の復興と発展を牽引した多くの有能な若者達を育成した。琉球大学ミシガン州立大学の関係は、両校の学術交流が現在まで持続していることに鑑みれば、ミシガン州立大学をUSCAR(二宮注:アメリカ民政府(United States Civil Administration of the Ryukyu Islands))の傀儡と断じた一部の批判的な学生達との見解とは、明らかに異なるものであったと言えよう。
ただし、陸軍省の教育政策は、元来、戦略的に重要な拠点である沖縄の恒久的占領を目的とした文化政策の一環であった。それゆえ、沖縄の返還によって、その目標を達成できなかったというのが、沖縄占領期のアメリカによる高等教育政策に対する正しい評価と言える。そもそも、USCARの広報・文化政策は、占領統治の正当性を、沖縄住民に説得するどころか、反対に沖縄教職員会をはじめとする多くの市民団体の反発を招き、本土復帰に向けた社会運動の紐帯を固める結果となったのである。USCARは、米琉文化センターの設立や広報雑誌の無償配布といった活動を通じて、沖縄住民へのアメリカ文化の普及を試みたものの、本土と沖縄の歴史的、文化的紐帯を弱めることはできなかった。なぜなら、USCARの広報・文化政策には、占領する側とされる側の権力関係が、常に反映されたからである。とりわけ、教育分野は、政治経済的に「後進的な沖縄」の「アメリカ的近代化」という家父長的な特徴が、際立つ領域であった。ミシガン州立大学琉球大学の関係性を、「養子縁組」と形容する陸軍省が始めたミシガン・ミッションには、当初からアメリカの優位性が、明示されていたと言える。
さらに、占領期のアメリカ高等教育政策には、米ソ文化冷戦の要素も強く反映され、沖縄県内での共産主義勢力の封じ込めと不可分の関係性があった。琉球大学支援事業には、当初から反共親米エリート層の育成という冷戦期特有の政治的意図が明確にあり、冷戦コンセンサスの下、ミシガン州立大学ロックフェラー財団のような、アメリカ国内の高等教育機関や民間財団からの積極的な援助が得られたのである。琉球大学では、ミシガン州立大学教授団の助言の下、高等教育の拡充が、着実に進んでいった。
琉大の学生と教員を対象としたアメリカ留学生もまた、高等教育を政治的に利用した典型例であった。沖縄返還の時点で、琉球大学に勤めていた五六四名の専任講師の内、一割強の六一名は、アメリカの学位を有する教員であった。USCARは、留学生のアメリカ体験記さえも、文化冷戦の道具として利用した。
128-129頁

1953年、1956年の「琉大事件」はよく知られていることである。本書はその事件の背景にある米国による統治政策の特徴を、教育政策と関連させて明らかにした点で意義深い。反共思想に基づいて「学問の自治」が埋め込まれていない大学が存在していたということ、(高等)教育政策は統治のための政策という側面を免れえないということがわかるのである。
ただ、議論の対象のほとんどは琉球大学に向けられていて、沖縄全体の高等教育史がまとめられているというわけではない。一般に大学論が語られるとき、(銘柄)国立大学、四年制大学だけが念頭に置かれてしまうことがある。しかし、高等教育論・大学教育論で指摘されることがあるように、「私学」の存在を抜きにして大学論は語られ得ない。その点で、占領下の沖縄女子短期大学琉球国際短期大学などの設立と、米国による統治政策についても知りたいと思ってしまうのである。