大学と教養教育――戦後日本における模索

大学と教養教育――戦後日本における模索

戦後一般教育史の決定版である。これから「教養」教育改革を進める際の基本的な教科書になる。現在の「教養」教育の混迷は大綱化より遥か以前、戦後直後の大学改革から始まっているのである(立教の皆さんには講義で説明しているとおり、今年はちょうど昨日の回で言及したところである)。軽々しく「リベラル・アーツ教育はじめます」などと言う前に―おそらく、そこで意図されているものは大正教養主義である―、理解しておかなければならない史実はあまりにも多い。
さて、気になった点を2つ挙げる。第1に、筆者が提起する仮説についてである。

また一般教育が、アメリカにおいて伝統をもつリベラル・エデュケーションの理念からは切り離されたものとして導入されたことは、一般教育が階層文化との親和性をもたないものとして紹介されたことを意味し、それがその後の大学の大衆化へ幾分かの寄与をしたのでは、という仮説的な提示をしておきたい。
(略)
そのため、日本にとっての一般教育は何らかの階層文化とかかわりのないところで設定され、その後の大学進学機会の拡大において、障壁にはならなかったことも確かである。
272-273頁

とても面白い仮説である。確かに日本では「グレート・ブックス」批判のような問題が提起されることはなかったように、文化的な葛藤に由来するカリキュラム論争は生じなかった。しかしながら、ある教育が階層文化と切り離されたかたちで存在するという主張は勇み足である。あたかも階層文化との親和性がないように見えることの理由を問うことの方が重要ではなかろうか。
第2に、大衆化に関する次の指摘についてである。

一般的に考えれば、こうした形態で生じた大衆化は、入学者の質の多様化をもたらす可能性が高い。しかし、この時期(二宮注:1960年〜1975年)、入学者の学力の多様化や低下を問題として指摘する議論を見出すことはできない。それはおそらくは、高校の学習指導要領の充実、大学入試に用いられる科目の増加、入学者選抜が厳しさを増して浪人が増加することなどにより、高校と大学との間の学生の学力面での接続は好転していたためであろう。
275頁

この主張は私の認識とは異なっている。筆者も出席したある研究会、昨年の教社で報告、そのうえで論文にしたとおり、一方で、第二次世界大戦以前からの伝統ある規模の大きい大学においては筆者の主張どおりに「接続」は問題にならなかった。そうした大学ばかりが学生運動の盛り上がりという理由もあって報道や学術研究の対象になってきた。他方、私の数少ない事例調査においては、地方であるために入試競争率がそれほど高くなかったり、新設で規模の小さかったりする大学においては、当時すでに「学力」に対する不安が表明されていて、現代で言うところのリメディアル教育や「居場所」づくりなどが一般教育、正課外教育の範疇で実施されていた。国立大学、伝統ある大規模私立大学のみを研究対象に据えることのバイアスに注意しなければならない。もう少し事例調査を進めたうえでこの論点を検討したい(←吉田先生、なんだか出過ぎたことを言っていて恐縮です)。
ところで、本の英文タイトルにおいて「教養」教育は Liberal Education と表記されている。また、大学教育学会(旧・一般教育学会)の英文呼称は Liberal and General Education を用いている。「教養」教育改革の担い手は、まずこの違いの理由を学ばなければならない。