総合選抜制度の思い出

 ふと思い出してずっと気掛かりだったことを書いてみる。私が中高生のときに住んでいた兵庫県では一部の地域における高校学区が「総合選抜」制度を導入していた。「総合選抜」の細かいルールは自治体によって異なるものの、一つの高校単位ではなく学区全体で合格者をたくさん決定したうえで、各高校の「水準」が均等になるようにその合格者を振り分ける制度のことである。東京都出身の方には学校群制度、日比谷高校のかつての「凋落」の由来というと通じやすいだろう。
 この「総合選抜」制度について先行研究を探してみたものの、あまり多くはないようである。あるいは、そもそも学区とは何か、何のために存在するのかという教育行政学の理論的な課題になるため、実態としてどうであったかという問いはまだ十分には探索されていないようにみえる。私のかつての卑近な経験例では、当時神戸市内のすべての学区で単独選抜が行われていたのに対して、明石市、西宮市、尼崎市などの周辺自治体では「総合選抜」が導入されていて、このことによって制度の「歪み」とも言えるかもしれない事態が生じていた。第一に越境入学である。もちろん、神戸市の西端と明石市の東端のように町域単位で越境が認められている場合もあった。しかし、その地域ではないところでも中学2年生の時点で引っ越しをして住民票を移すことや、剣呑な場合には引っ越しをしないまま住民票のみを移すことによって神戸市内の高校を受験することも行われていた。現在とは違って神戸市内には3つの学区があり、いずれも明確な偏差値序列で高校がランク分けされていて、とりわけ上位校ほど強い差異化が行われている。そのたえ自らの「学力」に合う学校への入学を求めて越境するのである。特にこのことが生じやすいのは、居住地の中学校に通っていないことから転校をする必要のない生徒である。ありていにいえば進学先となる附属高校がない、国立附属中学校の生徒である。越境入学は認められないこと、そのための住民票の移動なども許されないという指導も中学内で行われているけれども、高校側にその移動が適切なものであるかを判断する方法はないことから、なぜか中2で住所が変わる生徒が複数いた。第二に私立高校の生徒募集である。神戸市やその近隣自治体には戦前からの経緯もあって私立の中学校、高校が比較的多く存在している。いずれかの書籍でも言及されていたかもしれないが、土地や人脈以上に公教育に頼る必要のある新興中間層が集まった街である(なお、現在では極めての難関である私立の中高一貫校も古くからの神戸人からすると旧制ナンバースクールよりも格下にみることもあるらしい)。「総合選抜」を嫌う生徒の進学先がその制度の枠外にあるそうした私立高校である。明石市以西であれば、非常に校則が厳しく学習進度も早いことで知られていた播磨地域の私学が人気となる。また、例外的なケースであるけれども同じく制度外の高等専門学校や公立高校理数科(という名称の実質的な特別進学コース)もおそらく他地域以上に人気であった。これはいわば私立高校からすると有利な状況であり、当時何が生じていたのかをわかりたい。第三にほんとうに狙いどおりに「学力」の学校間格差は解消していたのかどうか、先行研究をみてもよくわからないことである。学校にはチャーター効果が効くことがあるので、社会からのまなざし(と教師や生徒が認識あるいは誤解するようなもの)によって「学力」も影響を受ける可能性がある。明石市であれば「総合選抜」導入以降も、戦前の旧制中学の伝統を持つ高校が上位の進学校として認識されていた。「学力」を定義することは極めて難しいのだけれども、いずれかの分析の角度で理解をしたい。第四に、革新自治体との関係である。以前ある京都出身の学者から「左派が進めた『総合選抜』政策によって進学したくなかった『学力』の低い高校に通う羽目になった、『総合選抜』がなければ京大に進学できたはずなのに悔しい、教育学者は責任をとるべきだ」と詰められたことがある。私がその宛て名になる道理もないような気がするとはいえ、自治体の性格と「総合選抜」の導入や廃止についても比較分析のような理解が可能であるのかもしれない。
 そんなことをぼんやり書きながらも、追記が必要なことがある。それは単独選抜だからといって、中学生が自由に受験校を選択できるわけではなかった事情である。中学校が模擬試験(兵庫模試)や過去の在学者の成績を参考にして、受験するべき学校を強く推していたはずである。極めて怪しいことに、私の出身高校の競争倍率は当時毎年ちょうど1.00倍から1.02倍弱、1学年入学定員450人に対して受験者が450〜460人であった。この数字について、おそらくこれまで公には問題にされてこなかったはずである。「15の春を泣かせない」という教育的配慮のもと、高校と中学の間で事前の調整が行われていたことが推察される。ただし、この追記を学術的な問いにするためにはもっと洗練が必要であり、私にはとても解けないのである。

群馬大学学びのリテラシー(2)「若者について考察する」続編

sakuranomori.hatenablog.com
 この記事の続きである。
 第10回からは

を読んでいる。履修者数は内規上限の40名であり、10のグループに分かれて講読を進める。すなわち1グループは4名であり、その中に事前にレジュメを作成してLMSへアップロードしたうえで当日に説明を行うレポーター1名、ディスカッションを記録して後日議事録を作成する書記1名がすべてのグループにいる。前半の45分を終えた後、レポーター1名と書記1名は別のグループへ移動してそれまでの内容を紹介したうえで、さらにディスカッションを継続する。途中でメンバーを入れ替えるのは「ワールドカフェ」を参考にしている。「友だち」ではない「知り合い」をつくることも重要なのだ。そして、従来通りすべての履修者は「考察」を約400字で後日LMSへ提出する。講義題目は「考察する」となっていることからもわかるように、この後日の一人での学習こそが重要であるとみなされている。
 第11回ではさらにグループ替えを行う。

第11回 第5章「スマホ世代の友人関係」を読む&履修者40名を新たな小グループにわける(90分)
 前半40分
  いつものように学習を進める
 後半50分
  アクティビティ1 4コマ漫画仲間探し
   1人1つずつ短冊のような紙片を受け取る
   その紙片には4コマ漫画のうち1コマが描かれている
   4コマ漫画が成立するように教室内を歩き回って仲間を探す
   (今回諸事情により参加者の1人となった二宮はなぜか必死にバラク・オバマ元合衆国大統領を探すことになった)
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  アクティビティ2 情報整理ゲーム
   グループの代表者が、大きな封筒1通、付箋4セット、A4用紙複数枚を受け取る
   封筒には40枚の「情報」が入っている
   1人10枚の「情報」を受け取るものの、他のメンバーにそれを見せてはいけない
   口頭でのコミュニケーションだけで、その「情報」をもとにA4用紙にあることがらを配置していく
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 さらに履修者は12月下旬の定められた期日までに「プロポーザル」を提出する。これはゼミ論として執筆するレポートの構想をまとめたものである。第12回 第6章「情報源の変化と社会関心」を読む第13回 第7章「減退する社会活動意欲」を読む際に、二宮研究室にてグループ毎にプロポーザルに対する口頭コメントを受け取る。口頭ということは、何かを持参する必要があるはずだね。第15回 ゼミ論集中間報告会において、「ざっくり」書いてみたレポートをグループ内でコメントし合う。以上をふまえたうえで2月上旬にレポートを提出することになる。

促進する・容易にする

ファシリテーションとは何か コミュニケーション幻想を超えての通販/中野 民夫/中原 淳 - 紙の本:honto本の通販ストア
 井上先生からお送り頂きました。ありがとうございます。

 この書籍のねらいの一つは次のように説明されている。

編者(井上)の意図は、ファシリテーションという〈妖しい力を〉社会のなかで適切に制御するすべを探ることにある。制御にはアクセル(加速)とブレーキ(減速)の両方が必要なのだ。
はじめに

 なるほど、確かにファシリテーションは社会の様々な分野において「よい」実践を引き出すための「よい」働きかけの方法として認識されている一方で、教育社会学の研究者はその背後にある人びとの力関係、「よい」という認識が成立する理由や過程、「よい」から取り残される個人や集団が気になるだろう。
 私は以下4点のじぶんの関心に引き寄せて勉強することになった。第1にファシリテーションの歴史についてである。以前参加していた科研のプロジェクト 「日本的な専門職コンピテンシー抽出と質保証システム構築のための横断的分析」において、経営学専門職大学院MBA)で行われているケース・メソッドという学習方法がTグループのような心理療法に似ていることに気付いたことがある。こうした心理療法については本書第5章「ファシリテーション概念の整理および歴史的変遷と今後の課題」で説明されている。

ファシリテーションファシリテーターという言葉を好んでもちいたのは、カウンセリングの研究と実践で著名な Rogers である。しかし、ファシリテーションファシリテーターという言葉の初出は、日本の通説では Rogers だとされているが、(筆者が調べてみた範囲では)誰が初出かについて学術的には明らかではない。一方で、ファシリテーションの原点にあたる、グループで他者と関わる体験を促進するアプローチについては、歴史的に辿ることが可能である。
99頁

Tグループ、エンカウンターグループ、日本のビジネス分野における「感受性訓練」などに言及されている。私はMBAのケース・メソッドについてあまり適切には説明ができなかったのだけれども、その後アクティブ・ラーニングについて学ぶことになり、やはり再び心理療法とのつながりを認識することになる。それはさておき、現代でも企業の集合研修のファシリテーターのことを「トレーナー」さんと呼ぶことがあったり、答えが出るはずもない自己の内面に対する課題に対して四六時中向き合わせれて人格が破壊されるような合宿研修が話題になったりするように、ファシリテーションの関心が他者の「こころ」にあることは続いているのだろう。歴史については、直接関係するものではないのだけれども、米国でTグループの開発・実践が進められていた同時期に、日本の産業の現場では小集団での品質管理運動(QCサークル)が盛んになっていく。

QCサークルの基本
QCサークルとは、第一線の職場で働く人々が継続的に製品・サービス・仕事などの質の管理・改善を行う小グループである。この小グループは、運営を自主的に行いQCの考え方・手法などを活用し創造性を発揮し自己啓発・相互啓発をはかり活動を進める。
https://www.juse.or.jp/business/qc/

一部の経営学からは他国に類を見ない労働者の「主体的」な勤労意識の表れであるとして「日本的経営」の強さの秘訣であると主張されていた一方で、他分野の研究からはその「主体性」は虚偽であって単なる労働強化だと批判されていた。このQCサークルにおいてはファシリテーションという言葉はまだ用いられていなかったものの、おそらく行われていたことはコミュニケーションの「仕掛け」である。ビジネス分野においては、労働者の意欲へどうにかアプローチしようとするサークル文化が残されていたからこそ、2000年代以降にファシリテーションが着目されるようになったのかもしれない。なお、小集団を意味する“サークル”が、エドワーズ・デミング由来の品質管理に関係していることから、PDS“サイクル”(後のPDCA“サイクル”)と混同されたことは以前に言及したとおりである。
 第2にアクティブ・ラーニングとの関係である。本書第7章「国策アクティブ・ラーニングの何が問題か」で、政策とし導入されるアクティブ・ラーニングに対して批判的見解が示されている。私は初等中等教育のことをあまりわかっていないので、6節以降の高等教育について焦点を絞ると、学生側の「主体的」な対応、いや反抗に対して考察してもよかっただろうか。私はFD担当者としてアクティブ・ラーニングのTIPSを紹介する研修を行うこともあるものの、時間に余裕があるときにはそれらに言及する。

とくにコミュニケーションを求める教育方法は、いろいろな意味でハードルが高い。大学にはいろいろな学生がいます。発表やグループワークがあるとシラバスに書いているだけで「履修をやめます」という学生も一定数出てきます。
169頁

読者はこの部分で「だからアクティブ・ラーニングは好ましくない」と思われるかもしれない。他方、私は「やめるという判断、行動ができる」ことが高等教育では可能であり、それは決して好ましくないとはいえないと評価している。また、この6節では、1990年代の経験談では知識の定着のための課外の「主体的」な雑談を現在のアクティブ・ラーニングの疑似的なものと捉えたうえで肯定的に評価しているのに対して、現在の「大衆化」した大学での動機づけのための「標準仕様」アクティブ・ラーニングを否定的にみなしている。対談であるため仕方のないことだけれども、アクティブ・ラーニングによって何が達成されようとするのかという目的論を見失うのはもったいないことである。そして、「標準仕様」アクティブ・ラーニングのある場合において、途中で履修をやめたり、「やっているフリ」をしたり、フリーライダーになったりする学生の行為は当事者にとっては合理的なものである。私はそうした判断、行動もまた形成的評価の対象となる学習であると認識している。たとえば、グループ内にフリーライダーがいたりじぶんがフリーライダーになったりしたことから学習できることもある。

僕が大学の専任教員になった当時(2004年)のFD(Faculty Development)といえば、それぞれの授業実践や学生の反応を、同僚の先生方とフラットな立場で話をしながら、授業や教材・教具のティップス(tips: 秘訣や裏技)を共有・発展させようという草の根レベルの取り組みとして、自主的に行なっていたところが多かったですよね。
しかし、2008年にFDが義務化され、外部評価の対象や条件になりました。そうなると、自主的な取り組みでは外部評価の対象にはなりません。高等教育研究者や教育方法学者などの「専門家」を外部講師として招き、オフィシャルに「FD講習会」を開催し、教員に出席を求めるようになりました。
ところが、その講演会では、講演先の大学や学生の事情をよく知らない外部の専門家がご高説を垂れるから、現場の実情とピントが合わない一般論や抽象論、最悪なのは上から目線の精神論です。個人的にもFD講習会が自身の授業改善の参考になったという記憶がまったくといってよいほどありません。その要因は明らかに現場の課題との隔絶です。
170頁

FDについては同僚性が必要であると言われてきた。他大学の高等教育研究者・大学教育研究者、文部科学省職員による講演型FDは確かに同僚性を欠くつまらないものだろう。同時に、教育学関係者であれば学習にはレディネスが必要であること、現場の課題は現場でこそ解決されること、同僚性のある草の根FDとオフィシャルFDは共存できないものではないことなどが論点になる。日本高等教育学会か大学教育学会で、この書籍を対象にしてのシンポジウムがあってもいいだろう。
 第3にギデンズの再帰性論である。第8章「反省性を統治する」ではファシリテーションが行われるワークショップの複雑に入り組んだ経緯、展開が整理されている。

ワークショップがさまざまな領域で固有の文脈をもって展開してきたということは、そのルーツが多岐にわたっているということでもある。ざっと挙げるだけでもタルト・レヴィンらのグループ・ダイナミクスにおけるラボラトリー・トレーニング(やがてTグループ、感受性訓練などと呼ばれていく)、ヤコブモレノのサイコドラマ、カール・ロジャーズによるエンカウンター・グループ・アプローチ、アメリカにおける住民運動参加の展開、パウロフレイレの(識字ないしは開発)教育論、それを取り入れた演劇ワークショップの展開、美術教育における手作業の工夫、ジョン・デューイに影響を受けた教師教育の展開、子どもの人権や主体的な学びを重視する社会教育や人権教育の展開、川喜田二郎KJ法と移動大学など実にさまざまである。ワークショップから派生した側面があるファシリテーションの場合はさらに、レヴィン、ロジャーズ、モレノなどのルーツを共有しつつ、エドガー・シャインのプロセス・コンサルテーション論、ピーター・センゲのラーニング・オーガニゼーション論、ビジネスにおける先駆例としてのゼネラル・エレクトリック社(ジャック・ウェルチ時代)における「ワークアウト」の実践などがさらに関係している・
181頁

そのうえでデューイ、ベイトソン、ショーンの主張が紹介され、ギデンズ再帰的(反省的)モニタリング論にたどり着く。とても納得するところであって、個人の行為の参照先が伝統的な慣習であった前近代とは違って、「自己は自らによって構成され続ける」からこそファシリテーターが意味を成すのだろう。ファシリテーション一般ではなくFDにおいても「なんのために学習するの?学習してきたの?」という問いが常に背後にあり、「それは神から授かったものだ」「この村の祖先と同じように」では答えとして認められなさそうである。後期近代論は第3章「『野生の学び』としてのワークショップ」の言葉でいえば「鋭く、小気味よく、かっこいい」(52頁)ので、明晰な分析を可能にする。他方、第3章を含めた本書前半部分のファシリテーションの推進を主張する立場からすると、それでは物足りない。私は編著者の一人と同様にアンビバレントな立場であり、学術的な意味での批判的主張と、その批判は現場においてはあまり的を射るものではないという主張の両者間で揺れている。
 第4は、教育社会学・教育学とファシリテーションとの距離である。ある時代のある場面においては左派の根城であり、別の時代の別の場面ではポストモダンであり、はたまた別のところでは政策科学や教職養成に特化したものである。第3章は「『野生の学び』としてのワークショップ」は筆者の東京大学在籍時の駒場、本郷における経験が説明されている。

1日15時間とか16時間とか、死ぬ思いで受験勉強してやっと合格したのに、喜び勇んで入学したら、夏には摂氏38度の教室に400人が詰め込まれるような教育環境でした。まず、学びのための衛生要因から、なっていない。当時は、教室にエアコンがなかったから、試験を受けるときは手が汗で真っ黒でぐちゃぐちゃになって「もうこんなテストいいわ」とバーンと答案を置いて帰ってきた(略)授業のいくつかは「詩吟」か「朗読」でした。つまり、先生が教科書やノートを、そのまま「読む」のです。「読む」じゃなくて「詠む」です。
48頁

〇〇先生は(伏字は二宮による)最初に授業の人数を減らすために、学生のなかに、サクラの大学院生を出席させておいて、映画の質問を、彼らにするわけですよ。当然、院生がスラスラ答えますよね。他のやつはわからないわけですよ、白目をむいてポカンとしている。「学期中に100本映画を観ないやつは、ここにいなくてよろしい」なんて言っちゃう。それでも残っているやつにしか教えないみたいな(笑)。学生を追っ払っていたんです。
50頁

どこの大学でも、当時の学生はこのような経験を多かれ少なかれしていただろう。汗でびちゃびちゃの答案用紙400枚、教員は回収してからどうしていたのか謎である。エアコンがないので学生から人気の座席は後方でもなく通路側でもなく、扇風機の近くであった。この記憶された光景と「大学改革」を直接結び付けて論じるのは慎重であるべきかもしれないとはいえ、記録として残されているのは有難いのである。
 本章ではまた当時の学生、院生から見えていた東大の教育学、教育社会学の事情が描かれている。私はここで紹介されている「オンライン雑誌」をこっそり一人で読んでいて、そうだと同意できるものやいやいや違うなあと反論していた。本章の筆者は教育学部での学習がポストモダンであったり、教室内外の権力や社会的な不平等の問題に着目するような(筆者はこの言葉を使っていないものの)「批判的教育学」であったりしたこと、それゆえに「現場」に対して何ら貢献できないことを残念に思っていたことを述懐している。私はこの問いこそが、本書の通底にあるものだとみなしている。言い換えると、教育社会学・教育学とファシリテーションとの距離がどのようなものであり、どのようにあるべきかという問いである。この点もまた本書に関する今後のディスカッションの機会などで検討が望まれるのだ。

座数とはなにか?

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 これは私の学部2年生終了時点での成績表です。人文・自然・社会が概ね良好で、語学と専門科目(現代では「学部基礎科目」のような名称のカテゴリーにある科目でしょうか)が酷いというのは、私個人の学習到達度を表しているというよりは、当時の成績の「つけ方」についてのカテゴリーごとの慣行の相違によるものなのかもしれません(と、独語、憲法概論、社会科学概論第一について全力で言い訳をしておきます)。
 上段部分の項目名が味わい深いです。「履修年度」、「授業科目名」の右隣りの「担当教官名」、独立行政法人になる以前のことですので教員は「教官」です。全国の国立機関である附属小学校や附属幼稚園などの教諭も同様に「教官」でした。また、複数の「教官」によるリレー形式の科目で、その氏名が省略されていることも趣きがあります。印字の余白が不足しているためなのですが、重要な情報ではないので、どうにか工夫してまで正しく表記する必要はなかったのでしょう。次に「判定」、これは現代の成績評価においてはあまり使われることがない言葉です。卒業を「判定」する、2段階でしか成績評価を行わない科目の合格/不合格を「判定」するといった限定的に使われている印象を持ちます。そして、一つ飛ばして「単位数」、語学と体育以外は4.0単位の設定です。これは週1回の通年科目(夏学期+冬学期)であったためです。語学と体育はいずれも週1回の通年科目ですが、おそらく現代と同様の単位数の計算をしていたために2.0単位の扱いになっていたのでしょう(今では半期1.0単位とするので、それを通年の科目とする場合には2倍の2.0単位です)。さて、この成績表の「単位数」には怪しい数値が掲載されています。お察しのとおり、1.3単位と0.7単位、これはいったい何なのでしょうか。


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 それに関連する謎が、先ほど一つ飛ばしたところにある「座数」です。当時、2年間で21.0座を取得すると2年間の「前期課程」の修了が認められて、小平キャンパスから国立キャンパスへの「進級」することになりました。19.0座以上21.0座未満の場合は「仮進(カリシン)」と呼ばれ、3年生として扱われて「後期課程」の履修を開始することができるものの、なるべく速やかに不足する座数を取ることが求められました。不足を埋めるためだけのために小平へ通うことになります。19.0座未満の場合は「残留」となり、2年生をやり直すことになります(数値が間違っていたらごめんなさい)。私はこの「座数」という制度が何に由来するのかがわからないまま、時を過ごしてしまいました。おそらく、


4.0単位=1.0座
2.0単位=0.5座


という等式が存在するようです。このことは通年科目ではなく半期開講科目がほとんどであった「後期課程」でも同様です。しかし、このルールに沿わない科目もあります。それが先ほど紹介した1.3単位と0.7単位の科目です(なお、卒業論文は成績表へA~Dまでの評語が記載されるものの0.0単位かつ0.0座でした)。


保健体育実技(1年) 1.3単位=1.0座
保健体育講義(2年) 0.7単位=0.5座


保健体育実技(1年)は通年科目でした。語学と同じく2.0単位相当となりそうですが、0.7単位を減らされています。他方、半期開講科目であった保健体育講義(2年)は1.0単位相当でとなるのではなく、0.7単位という扱いです。保健体育講義(2年)はわざわざ「講義」という科目名称になっています。大学設置基準上のカテゴリーで「講義及び演習」と「実験、実習及び実技」は1単位45時間の内訳ルールは異なりますが、それとは関係なく0.7単位の算出根拠がわからないのです。たとえば、次のような計算が成立するでしょうか。


保健体育実技(1年)
45時間×1.3単位=58.5時間
 授業時間学習と授業時間外学習を2:1として
 うち39時間、1回1.3時間(通年30週)を授業時間とします
 (1.5時間に満たないし「単位時間」換算をしていないけど、♪細かいことは気にしない)
 残り19.5時間を授業時間外学習とします
保健体育講義(2年)
45時間×0.7単位=31.5時間
 授業時間学習と授業時間外学習を実技と同様に2:1として
 うち21時間、1回1.4時間(半期15週)を授業時間とします
 (1.5時間に満たないし「単位時間」換算をしていないけど、♪細かいことは気にしない)
 残り10.5時間を授業時間外学習とします


仮にちょっとあやふやな計算でよいのだとしても、次に「座数」が問題になってしまいます。単位数とは違って「座数」は減らされていません。学習時間にかかわらず、通年であれば1.0座、半期であれば0.5座というルールが保健体育にも適用されているようにみえます。単位数の計算は面倒なので「座」を使うのだという説明された記憶があるものの、今となっては2の倍数や4の倍数の計算が難しいというのは奇妙なことです。また、単位数と「座数」との関係がわかったとしても、そもそも「座数」の意味が理解できていません。たとえば、講座制の「座」なのか、同じくドイツ語のJitzなのか、当時の資料に来歴が書かれていますでしょうか。
 これを書こうと思いついた理由は、3万人の大学生が学んだ 恋愛で一番大切な“性”のはなしを読んだためです。一時期「ヒューマンセクソロジー」(学生による愛称は「ヒューセク」、大人気講義であり、毎週講義後の学生によるツイートが荒ぶることで有名)という講義が開講されていて、この書籍で書かれていることが教えられていました。私の頃にはヒューセクはなかったと呟いたところ、いや保健体育講義(2年)として小平でやはり大人気講義として開講されていたと仏文学者からご指摘を頂きました。そんな講義が0.7単位だったというのはちょっとさみしいことです。

群馬大学学びのリテラシー(2)「若者について考察する」

 本年度、私が担当している「若者について考察する」(「学びのリテラシー(2)」)は1年生向けの初年次教育に相当する科目である。全学的に開講される「学びのリテラシー(2)」では毎年10月から2月(全15回+試験週間)にかけて、次に示す学習を行うことになっている。

少人数のゼミ、講義、演習で行い、各教員が専門としている分野を中心に、課題の見つけ方、分析の仕方、発表の方法、文章のまとめ方など、これから4年間ないし6年間にわたる大学での学びにおいて求められる基本的な方法を修得させる。さらに、各学問分野に共通の思考力・判断力・表現力等を養い向上させることを目指す。
カリキュラム | 群馬大学 大学教育センター

 1年生は自らの所属する学部・学科にかかわらず、興味・関心のある授業題目を選んで抽選に参加する。理系の学生が中世ヨーロッパの文学作品に取り組んだり、ジェンダー論に立脚してキャリアを考えたりすることもよくみられるようである。2年生以降、荒牧、昭和、桐生・太田の各キャンパスに分かれて学習することになる学生は、この1年生のうちだけは他の学部・学科の学生と一緒に荒牧で履修を進めることになる。どの授業題目の履修者も25~40名と制限されていて、特別の事情がある場合にはさらに履修者を少なくすることになっている。上記の説明では言及されていないものの、アクティブラーニングを導入することが強く推奨されている。アクティブラーニングのポイントは「外化」であり、それは「書く・話す・発表するなどの活動を通して、知識の理解や頭の中で思考したことなど(認知プロセス)を表現すること」と説明される*1。現時点で群馬大学では、教室での対面授業とリアルタイムのオンライン授業を併用している。「若者について考察する」は1年生に対して通学機会を設けるためという意図から対面授業の方式を採用している。COVID-19(新型コロナウィルス感染症)の流行以前より、1年生は他の学部・学科の学生と知り合いになりたいという強い希望をよく明言していたこと、依然として対面授業の機会が少なく交流するきっかけが必ずしも十分ではない状況もありえることから、「若者について考察する」は以下のように進めることになった。

第1回 履修者40名を小グループにわける(90分)
 アクティビティ1 声を出さないグループわけ(1)
  学生の背中に小さな丸いシールを貼る
  学生は声を出さずに同じ色のシールごとに集まる
   シールは5色なので8名ごとの小グループができる
 アクティビティ2 声を出さないグループわけ(2)
  小グループ内で誕生日順に一列に並ぶ
  その際、声を出してはいけない
  まばたきの回数で月、日を教えてもよい
   たとえば、右目が月、左目が日を表す
   手で片目を隠すとまばたきをしやすくなることもある
  誕生日順の前半4名で新たな1つの小グループ、後半4名で同じく小グループができる
 アクティビティ3 お絵描き伝言ゲーム
  小グループの4名のうち代表者1名が二宮へ「お題」を聞きに来る
  代表者1名は声を出さずに「お題」を絵として描く
   「お題」の例:TikTokを見るトランプ大統領
  他のメンバーは、描かれつつある絵を見て「お題」が何であるのかを当てる
  正解であれば、別のメンバーが代表者として二宮へ「お題」を聞くに来る
   所定の時刻になるまで繰り返し行う
 まとめ 4名の小グループごとに第3回から第6回までレポーター1名、書記1名を決定する
  レポーターは文献についてのレジュメを作成、LMSにアップロードする
   当日はレジュメに基づいて説明を行う
  書記は当日のディスカッションを記録して、後日議事録を作成、LMSにアップロードする

 授業時間外学習 次回までの次のことを行う
  LMSへ今日の「感想」を入力する
  指定文献の序章と第1章を読んだうえで、いろいろと自分で考えてみる

第2回 『分断社会と若者の今』のうち序章「分断社会を生きる若者たち」、第1章「現在志向から捉える現代の若者」を読む

 二宮がレポーターとなって序章と第1章の説明を履修者全員に対して行う
  要約、疑問点、論点、専門用語の説明(ネットで調べられるもの)
 履修者全員が疑問点や論点などを教室前方の黒板に書き出す
 小グループごとに二宮作成のレジュメ、黒板を見ながらディスカッションを行う

 授業時間外学習 次回までに次のことを行う 
  LMSへ「考察」を入力する
  指定文献の第2章を読んだうえで、いろいろと自分で考えてみる
  レポーターはレジュメを作成してLMSにアップロードする

第3回 同書第2章「若者の従順さはどのようにして生み出されるのか」を読む
 前半45分
  小グループごとにディスカッションを行う
   レポーターはレジュメに基づいて説明を行う
   書記はディスカッションを記録する
 後半45分
  レポーターと書記が別のグループへ移動する
  その他のメンバーは同じ場所に留まる
   移動した2人は、元のグループでのディスカッションの内容を紹介する
   そのままディスカッションを継続する
  レポーターと書記は元のグループへ戻る

 授業時間外学習 次回までに次のことを行う 
  LMSへ「考察」を入力する
  指定文献の第3章を読んだうえで、いろいろと自分で考えてみる
  レポーターはレジュメを作成してLMSにアップロードする
  書記は議事録を作成してLMSにアップロードする



第6回 第5章「若者の人生評価」を読む&履修者40名を新たな小グループにわける(90分)
 前半40分
  いつものように学習を進める
 後半50分
  アクティビティ1 声を出さないグループわけ
   40名が出身地or出身高校所在地の南北順に一列に並ぶ
   その際、声を出してはいけない
   ジェスチャーで情報を伝えてもよい
   「答え合わせ」の後、前方から順に1から10までの数字を言う
    その数字が新しく所属する小グループの仮称となる
  アクティビティ2 クイズへの回答
   二宮から手渡されたクイズへ、メンバーと協力して回答する
    クイズの例:レポートの参考文献(和文書籍)の正しい表記?
  アクティビティ3 新聞紙タワー
   二宮から手渡された新聞紙4枚を使ってタワーを作る
   たとえ所持していたとしても、糊やハサミなどの道具を使ってはいけない
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  まとめ 4名の新たな小グループごとに次回以降のレポーターや書記1名を決定する
 
  授業時間外学習をこれまでと同様に行う 

以上が「若者について考察する」(「学びのリテラシー(2)」)全15回の前半である。後半については、後日紹介する。