「"就活で学業がおろそかになる"はデタラメ」と言い切れるか

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「"就活で学業がおろそかになる"はデタラメ」という記事を読んだ。日本経団連が2021年春入社予定となる学生の就職活動について「採用選考に関する指針」を策定しない、すなわち、採用活動開始時期の自由化を認めることを発表したことを受けて、大学関係者の一部が動揺していることに対して、その動揺が的外れであることを指摘する文章である。
記事は、

  1. たくさんの大学生と企業、人事担当者と話しをした経験からすると、「就活のせいで、学業がおろそかになる」という主張は根拠のないデタラメである。学業をおろそかにしているのであれば、それは就活ではない、別の理由によるものだ。
  2. 大学の「現場」の実感としては、就活と学業は二項対立的な関係ではない。相互補完的な関係である。
  3. これからの採用活動は、夏休みや春休みなどの大学のまとまった休みに行い、合わせて、インターンシップを効果的に用いるべきだ。

というものである。印象としては納得できそうな部分はあるとはいえ、主張の前提となっている「おろそかデタラメ」論については、もう少し慎重になったほうがよい。

リクルートキャリア「就職みらい研究所REPORT 2019年卒学生就職活動状況中間まとめ」2018.8.31(PDF)
https://data.recruitcareer.co.jp/wp-content/uploads/2018/09/chukan_2019s_201808.pdf

この調査のうち、学業・就職活動・プライベートそれぞれの時間の割合を尋ねた項目の結果によると、3年生2月から4年生9月にかけて(2019年卒は4年生6月にかけて)、「就職活動」の割合が高い時期は「学業」の割合が下がる。少なくともいわゆる「解禁日」から7月くらいまでは、学業の時間を減らして就職活動を行っていることがわかる。とはいえ、こんなことはデータを持ち出さずとも大学関係者ならよく知っている、あたりまえのことである。この時期の大学教員のSNSでは「また4年生がゼミに出てこない」という話題が繰り返されているようにである。

株式会社ディスコ・キャリタスリサーチ「 7 月 1 日時点の就職活動調査 キャリタス就活 2019 学生モニター調査結果」2018 年 7 月発行(PDF)
https://www.disc.co.jp/wp/wp-content/uploads/2018/07/19monitor_201807-1.pdf

この調査では、就職活動におけるいわゆる「活動量」を尋ねている。まず、セミナーについては企業単独セミナー約14回、合同企業セミナー約11回、学内セミナー約8回、WEBセミナー約7回の参加である。1回の滞在時間+移動時間をそれぞれ、5時間+1時間、3時間+1時間、3時間+0.5時間、1時間+0時間としてみよう。セミナー参加時間は、6時間×14回+4時間×11回+3.5時間×8回+1時間×7で163時間である。次に、志望動機の提出や試験についてエントリーシート提出約14回なので、1時間×14回=14時間、筆記・WEB試験受験 (社)約 10回なので、1.5時間×10回=15時間である。最後に、面接については、グループディスカッション約3.5回、面接試験約8回であった。1回の滞在時間+移動時間をそれぞれ、1時間+1時間、1時間+1時間とすると、それらにかかる時間は2時間×3.5回=7時間、2時間×8回=16時間である。以上の時間の合計は、163時間+15時間+16時間=194時間である。そして、この調査は7月1日時点までの活動を尋ねているので、3月1日から4ヶ月間活動をしていたとすると、194÷4ヶ月間=48.5時間、1ヶ月につき20日間活動していたとすると、1日あたり約2.5時間となる。しかし、この調査には企業や業界についてインターネットで調べる時間、サークル・ゼミ/研究室、キャリアセンターの伝手でOBOGに会う時間、公務員など筆記試験の対策が重要になる場合のその学習時間などが含まれていないうえに、移動時間が1時間では済まない場合もあるだろう。実際には、1日2.5時間で済むわけではない。最近数年の就職活動経験者の実感はどうだろうか。
このようにデータを見ていると、現状の毎年のいわゆる解禁日以降の新4年生に対する"就活で学業がおろそかに"なっている、という見方を全否定することは難しいように思われる。そこから、採用活動開始時期の自由化が採用プロセスの長期化、それによって学業の時間が奪われるという見込みを持つことは、それほど不思議なことでもないだろう。したたかな企業であれば、たとえば、1年生冬のインターンシップで一次選考を行ったうえで、そこで選考した学生を採用候補者のプールとして位置付けて、すぐには内定(内々定?)を出すほどには至らない候補者であってもそのプールが就職することになる年度の採用予定数を満たすまで「宙ぶらりん」のまま接触―候補者同士のグループディスカッション、先輩従業員・経営トップとの談話、事業所見学、研修、アルバイトなど―を続けたうえで、その予定数を確保できれば4年生12月になってようやく不採用通知を行うということも可能である。しかも、学生からすると選考されないリスクを抑えるために、同様の接触を複数社と行わなければならない。こうしたことはもちろん現行のルールでもある程度可能なわけではあるけれども、自由化はその「宙ぶらりん」の状況が3、4ヶ月ではなく、2年、3年と続くことを導くことになりかねない。言わば、採用プロセスの長期不透明化である。
すなわち、冒頭で挙げた1番のことがらについて、現状の就職活動のデータは必ずしも楽観的な見通しを裏付けることにはなっているわけではなく、かつ、記事は上記に挙げたような長期化に対する不安を解消するような立論にはなっていないために、2番、3番に対して納得することが難しいように見えるのである。学習しない学生は就職活動の有無にかかわらず学習しないという主張は印象としては理解できるものの、そのことが仮に妥当だとしても就職活動が学生の学業時間を削るデータを否定できるわけでもない。また、就職活動によって学業の意義が理解できることがあるというのもわかるけれども、学業の意義はそれ以外の経験を通じて理解することもある。就職活動だけが学生生活の中で特権的な位置を占めるわけでもない。


最後に、第一にこれは言葉尻をとらえるようなことなのかもしれないけれども、キャリア教育関係者はとにかくよく「変化の激しい社会」という言葉を使う。この記事にもよく似た言い回しが複数使われている。しかし、記事の筆者は研究者であり、特に社会学者であるわけなので、それが何を意味するのかもう少し詳しい説明がほしい。卑近なビジネス・シーンの事例でも、もう20年ほど電子メール、マイクロソフト・オフィスの利用は変わっていない(先進的な企業ではそれらを廃止しているようだけれども)。そんなつまらないことではなく、前近代、近代との比較のうえでそうした言葉が選ばれているのだとしたら、その意図は何であろうか。
第二に、インターンシップが学生を成長させると主張しているのだけれども、高等教育論、大学教育論の分野における大学生を対象にした質問紙調査では、インターンシップの経験は能力獲得項目に対して有意な差を示さないことが一般的である(質問紙には表れない経験をしていることは間違いなく、それは重要なことであるとはいえ)。そうした先行調査・研究をどのように理解すればよいだろうか。