大経コース@東大研究会

本日は東京大学大学院教育学研究科大学経営・政策コースの研究会「大学のマネジメントに関する勉強会」にお招き頂きました。各大学の職員さんや若手高等教育研究者が集う会で、私はとても勉強になりました。ありがとうございました。私がお話ししたのは、6月中旬に刊行された『反「大学改革」論:若手からの問題提起』では書ききれなかったことと、そこで触れた補助金政策に関連して、現在進行形で生じている「ブレインドレイン」(頭脳流出)についての論点です。前者については同席なさっていた経済学者の方より、仮に大学改革がかつての「産業政策」と同じように政府からの誘導という性格を持っているとするならば、その成否は危ういだろうという指摘を頂きました。確かに、かつてであれば「産業政策」は成功したモデルとして肯定的に言及されることが多かったものの、今では批判的に吟味されているはずです。高等教育に関する各種のプログラムについても、優秀な官僚によって誘導されるというのではなく、「市場」に任せるという方法もありうる構想なのかもしれません。
後者については、最近気になっていたことを自分なりに整理する機会となりました。「ブレインドレイン」に関して、社会学で議論されてきたグローバリゼーションの諸問題を思い出していました。たとえば、第1に、グローバリゼーションによって、大企業は税率が低くインフラの整った国家へ移動していくこと、国家は大企業を誘致するための競争を始めること、労働運動は無効化されること、その辿り着く先にあるのは徴税能力を失う一方で失業した国民に対して給付するサービスの増加であるということです。第2に、グローバリゼーションはかえってローカルな価値を呼び覚ますということです。国家や地方への愛着が増し、地域ナショナリズムの台頭を誘います。第3に、グローバリゼーションにとって、エリートはいつでも不都合な場所から逃げ出して国境を飛び越えて活躍できる一方、残された人びとはますます困窮化するといった階層の分化が進むということです。以上のことについて大企業を学者に置き換えた場合に、とりわけ右派からの反発は強そうな印象を持っていました。日本国内で補助金を受けて養成された学者が他国で活躍するとき、学者個人にとっては望ましいキャリアである一方、「納税者」*1がそれを許容できるでしょうか。優秀な学者から薫陶を受けるためには国外へ出なければならない時代が到来するとして、それを好ましくないと評価する方もいるかもしれません。特にローカルな価値に目覚めた「納税者」は「国益」を気にして学者の国際的な移動を否定する可能性もあるでしょう。
実はこれらの問題は、教育学では「村を捨てる学力」というテーマで考え続けられてきたことでもあります。昭和30年代の閉鎖的で生産性の低い農村において、子どもに教育を施すことによって村を豊かにしようとするのだけれども、結局は子どもは都会に出てしまって村はそのまま取り残されることについての問題関心です。まさしく、上記の第3の例と同じことです。期待を受けて育成された学者なり農村の子ども個人のキャリアと、国家なり村なりの存続・繁栄はいかにして両立可能なのか、そうした論点を提起しました。なお、インターネット上の掲示板では、やはり「ブレインドレイン」に対しては右派の立場からの否定的な見解がかなりあるとのことでした。
継続的にこうした問題について考えられる機会があれば幸甚です。

*1:「納税者」概念を持ち出すことの危険性については以前に言及したとおりです。ここでは、あえてこの言葉を使っています。