久しぶりに政策過程のタグを使う。

地方分権と教育行政: 少人数学級編制の政策過程

地方分権と教育行政: 少人数学級編制の政策過程

私の研究領域に関係する部分だけに絞っても論点は多岐にわたっている。整理しきれないけれども、とりいそぎ2点だけ書いてみる。

ところで、序章でも検討したように、経済学や政治学では、プリンシパル=エージェント理論が注目されている(ディキシット 1996=2000、南 2009、Moe 2005)。首長部局と教育委員会との関係を分析する際にもこの理論は有用である。なかでも、情報の非対称性、エージェンシー・スラックの考え方は本章にとっても特に参考になる。たとえば首長は教育委員会に対して委任を行っているため、教育委員会の方がより多くの情報を保有することになる。その結果、首長と教育委員会の間に情報の非対称性が生じることになる。教育委員会は自らの利益を追求するためにこの情報の非対称性を活用することがある。そのため首長は教育委員会の行動をモニタリングする必要に迫られる。このための方法として、序章でも触れたように、大別してパトロール型と火災報知器型がある(McCubbins and Schwartz 1984)。前者は恒常的にモニタリングを行うものであり、モニタリングの精度は高いが、コストがかかる。後者はモニタリングのコストを低減させることができる。従来の教育行政学の理解では、首長が教育行政に影響力を行使することは非常にまれであるから、せいぜい火災報知器型のモニタリングに依拠していたものと思われる。
首長のプレゼンスが上昇した結果、教育政策に対する影響力が強化され、首長による教育の政策共同体の監視手段として評価制度が重視されるようになったと推測できる。首長のプレゼンス上昇の要因は制度改革によるものと社会経済状況の変化に区分され、前者については分権改革そのものであり、後者については財政危機である。
291-292頁

これまでプリンシパル=エージェント理論は文部科学省国立大学法人の関係を説明する際にも使われてきたことから、私にとっても馴染み深いものである。本書によれば、火災報知器型が主として用いられているけれども、制度改革の時期にはパトロール型になる傾向があるという。評価制度の導入という点では、政府、大学間関係も同じ枠組みで説明できそうである。一方、この理論が関心を持っているはずの、情報を豊富に持つエージェントの「面従腹背」、「換骨奪胎」ということがらは大学運営の何に相当するだろうか。実際に単位制度の実質化など進んではいないといった、意図しているというわけではないものの、しかし、歴史的な経緯ゆえに「改革」が困難である慣行といったところか。

本書が扱った教育という領域はどのような特性をもつのだろうか。これまで教育行政学はこのことを主要な論点としてきたが、論証してきたとはいえない。なぜならば、他の行政領域との比較のうえでその議論を行ってこなかったである。教育行政の特殊性は議論の前提であって、論証するべきものではなかった。
ここでは、本書で参照した政府間関係論や政策ネットワーク論を参照して、試論的な検討をしてみたい。たとえば、防災行政は「(防災関連施設は――引用者)他の公共施設の整備と比較して有権者にアピールする度合いが少ない」(風間 2003、177-178頁)ため、国会議員の関心を集めず、族議員の不在につながったという。このことから防災行政が関係アクターの利益を糾合しない領域であることが推測できる。さらに防災政策は複数の政策領域にまたがった分野であることから、その傾向はより一層強まることも考えられる。これに対して、教育行政はどのような特徴をもっているのだろうか。まず、文教族の存在は以前から指摘されているとおりであるが、教育が票にならないことから、選挙に強く、イデオロギー的に教育に関心をもつ議員が族議員となるとされてきた。ただし、教育が箱物行政と無縁であるかどうかは議論の余地がある。もし、そうだとしても、地方政治家が有権者へのアピール材料をもちあわせていないということはできない。本書が明らかにしたように、中央政府の定めた水準を上回る行政サービスの導入が多様な施策について可能となったことで、地方政治家にとっては教育行政にコミットすることによる有権者へのアピール可能性が増大している。
337-338頁

「教育行政の特殊性」論については、私が修士課程で初めて教育行政学(その課程の慣行では「教育計画」と称する)に触れたとき、とても不満に思った点である。筆者が指摘するとおり論証はまったく行われないまま、ただ特殊だ(なので素晴らしい、高く評価するという含意)というだけであった。石油に関する産業政策を研究していた先輩に対して、石油の方が特殊ですよねと主張したことを思い出す。ともあれ、何がどの程度特殊なのかという問いを立てる際の方法について学ぶところが多いのである。
また、政治家による影響力行使が観察されにくいという主張は、従来の通説と変わるものではなく納得できる。しかし、本書でも検討されたように、ある局面で政治家がアジェンダ設定に深く関わることがある。それは高等教育でも同様であって、そろそろ私が手掛けなければならないのかと焦るばかりである。