リクナビ2015で新たに導入されたOpenESの「紹介文」って…(togetter)

リクナビに採用された OpenES の「紹介文」について(早稲田大学キャリアセンター)

昨年(2013年)11月頃から私の周囲ではリクナビの OpenES の「紹介文」機能が話題になっている。話題となった理由はその機能が素晴らしいからではなく、いくつかの問題点があったためのようである。上記のサイトにおいて指摘されている問題点をいくつか抜粋してみる。(1)学生(と紹介者の両方)の手間をかえって増やすことになりそうである、(2)場合によっては学生と紹介者との関係を悪化させる、(3)どの紹介者を得られたかによって学生間の格差が増大する、(4)就職活動がますます商業化する、(5)紹介者の個人情報が漏えいするかもしれない、(6)厚生労働省のいう「公正な採用選考」に抵触する。
なるほど、確かにどれも看過できない問題点である。早稲田大学キャリアセンターのような対応が必要であると指摘できるのかもしれない。しかし、同時に少なくとも(1)から(4)の問題は OpenES に限らず、従前の就職活動の様々な方法に対しても指摘できることである。(1)は多様化した方法のすべてにあてはまる*1、(2)はかつての教授推薦、大学推薦の時代にも問題視されていた、(3)はかつてのリクルーター制度にもあてはまる、(4)は言うまでもなく従前同様である―もちろん、だからといって OpenES についての考察をしないでよいわけではなく、そうした問題点を残したままである点に注意しておかなければならない*2
一方、私には、OpenES は(6)に関連して結果的に現代の就職活動における「公正」とは何なのかという論点を提起したようにみえる。昨年、自作履歴書の利用を強く勧める学生に対して、市販されている履歴書と就職差別の関係の歴史を後から読みなおして恥ずかしくなるほど長々と facebook で説明したとおり、選抜に関する議論において「公正」問題を欠くことはできない*3
ところが厄介なことに、何が「公正」とされるのかは時代や状況によって異なることがある。OpenES 問題を見て思い出した論文が、

中村高康、1993、「就職協定の変遷と規制の論理―大卒就職における『公正』の問題」『教育社会学研究』53、pp.111-30(CiNii)

である。2000年の頃に院試のための受験勉強中に読んで、就職研究を諦めることを決定づけた私にとっての記念的論文である―1993年の時点で就職協定の歴史をまとめるのがどれだけ大変だっただろうか、現代の学部生、院生には想像もできないかもしれない。この論文は就職協定に着目して、それが時代によって異なる「公正」によって左右されてきたこと、かつ、就職協定自体もまた「公正」をある程度規定してきたというメカニズムを明らかにしている。
OpenES の推進はそのご商売の是非については置いておくとして、学生に対して「ジョハリの窓」のような気付きの〈論理〉を提供することになるだろう。他方、それに対する批判は学生を過度の競争から守るという規制の〈論理〉を提供することになるだろう。どちらの〈論理〉が「公正」とみなされるだろうか。さらに、私はトレーナビリティのようなものへの拘泥が「公正」とみなされているようであることが気になっている。OpenES は

企業と学生の相互理解を深めるために、これまで中々伝えられていなかった、自分では気づけていない持ち味を、“自分をよく知る人からの紹介”で伝えることができます。また、文字だけでは伝わらない持ち味を、“写真”を使い表現することができます。
http://www.recruitcareer.co.jp/news/old/2013/131105_01/

とそのメリットを説明する。学生が何をできるかではなく、どんな「持ち味」を有しているかとしか言わないことから、いまだにトレーナビリティのようなものを捨てきれていないようにみえるのである。私はそれを「公正」であるとはあまり思わないものの、一般的にはなお「公正」とみなされるのだろうか。なお、わざわざ「相互理解」と書いてあることから、SPI3(あるいは、玉手箱?)の結果表―面接担当者用や本人フィードバック用―と組み合わせての面接が想定されているのだろう。
皆さんは就職活動における「公正」とは何だと思いますか。

*1:企業の手間も膨大である。そこで、以前に冗談交じりで「キャッチ採用」でいいのではないか、「キャッチ採用」と綿密な選考を経た採用との間にどれほどの相違が出せるのか、とここに書いた。綿密な選考はどこまで可能か。

*2:ところで、(5)については現代的な問題点である。少なくとも90年代まで、たとえば大学教員の住居を特定することなど容易であった。

*3:この関係の歴史については、かつての「自由応募」問題と合わせて本年のどこかの学会で軽く言及する予定である。