バスで群馬から東京へ・後編

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に「師匠、小江戸川越に着くようです。風情ある町並みですね」
ぐ「群馬も負けてないよ。今度ブログで前橋や桐生を紹介してね」

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に「本川越で降りたところです。ここまで来ると旅も半分を過ぎたような感じですね」

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16:05 本川越駅→16:31 西武バス所沢営業所

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ぐ「お昼過ぎからなんとなく気づいてんだけど」
に「え、何でしょうか」
ぐ「この旅の目的、埼玉県を中心にして隣県にも展開しているうどんレストランチェーン『山田うどん』を見ることになっていないかな。ここまでで6、7件は見かけた気がする」
に「いやいや、何をおっしゃるのですか。埼玉県を移動しているのだからあたりまえですよ」

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に「いやー、もう余裕ですね。夜7時過ぎには23区内に辿り着けそうです。いま時刻は16:43、道が混んできたので少し遅れました。次に乗るバスの出発時刻は、あ、このバスは今日最終便なんですけど、えーっと16:41発ですね」
ぐ「え?」
に「ええ」
ぐ「えええ?」
に「ああ、もう出発してしまっているではないですか!乗り遅れました」
ぐ「EBSさんとかが喧嘩し始めるパターンだ。テレビで見たことあるかも」

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ぐ「(ショボーン)」
に「予定では、西武バス所沢営業所、茨原前、清瀬駅北口、新座駅南口・・・、と乗り継いで夜7:15前後にゴールすることになっていました」
ぐ「(ショボーン)」
に「仕方がないので、別のルートを考えますね」

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17:01 西武バス所沢営業所→ 17:08 花園
17:04 花園→17:12 所沢ニュータウン
17:42 所沢ニュータウン→17:48 中富南
(ショックのあまり写真を撮っていませんでした。花園では遅延していたバスに乗り換えました)

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18:01 中富南→18:21 東所沢駅

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18:24 東所沢駅→19:03 志木駅南口
に「この辺りは大きな工場が多いためか、そこから駅まで送迎バスで帰宅するお勤めの方が多いようですね」
ぐ「なるほど。なんか事情をよく知ってそうだけど、どうして?」
に「学生のとき、就職活動でエントリーした会社の工場がこの辺りにいつくかあります。さっきも3社見つけました。どれも面接にまで進めず落ちたんですけどね」
ぐ「(聞くべきではなかった話題だったか)」

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ぐ「はあ、疲れたなあ。誰だよ、こんな変なことに付き合わせてるの」
に「まあまあ、そうおっしゃらずに」

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に「立教大学の新座キャンパスです。私は数年間ほど仕事で通っていたことがあります」
ぐ「・・・」
に「(聞いてもらえていない)」

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19:12 志木駅南口→19:31 堀の内橋

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19:46 堀の内橋→20:06 大泉学園駅北口
に「また、山田うどんのお店ですね。ここまでで10件ほど見つけました。山田うどんを訪ねる旅、あと一息です」
ぐ「え、ほんとうに山田うどんを訪ねる旅だったの?」

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に「ゴールしました!東京都練馬区大泉学園、20時06分です!」
ぐ「やったあ。やっとゴールだ!」
に「感慨深いですね。しかも、かかったお金もリーズナブルなはずです。新幹線で高崎から上野まで行くと、自由席でも4,200円ほどかかります。一方で、今日使ったバス代は、390円、620円、200円、200円、350円、566円、299円、567円、そして、本川越からは1日乗車券があったので途中の一部を除いて終点まで620円、その途中の一部が175円。さらに途中でバスの割引が100円あったので・・・・・・・・・、合計でなんと3,887円!新幹線よりも安いです」
ぐ「で、かかった時間は?」
に「朝8時に出て夜8時に着きましたので、ほぼ12時間です」
ぐ「ありえない」

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ぐ「ねえ、メーテル、次は機械の身体をタダでもらえる星へ絶対に行きたいんだ。だから999のパスを」
に「師匠、それがやりたっかんじゃん。鉄郎が隠れちゃってるし」

最終目的地の候補として、この他に板橋区成増、板橋区西高島平、北区赤羽、足立区舎人がありました。当初、本川越または川越から大宮に向かって、そこから赤羽か舎人に向かうルートを考えていたのですが、短い路線を何度も乗り継がねばならないようで、どうしても22時近くになってしまうようでした。また、大宮ルートはYahoo!知恵袋で紹介されていましたので避けることにしました。そこで、方針を変えてみたところ19時過ぎに大泉学園に着くルートを見つけました。しかし、途中の失敗によって結局は20時を過ぎてしまい、それであれば成増、西高島平でも良かったという結末になりました。

バスで群馬から東京へ・前編

2018年12月、振替休日としていた平日のことです。その前日、突如思いつきました。そうだ、大学から東京までバスで行ってみよう!ルールは(1)スタートは群馬大学荒牧で、ゴールは東京23区内ならどこでもいい、(2)路線バスだけを使う、(3)コミュニティバスを使ってもよいけど、オンデマンドバスはだめ、(4)長距離バスはだめ、(5)事前にインターネットで調べてもよい、です。そして、旅のお供はぐんまちゃん。

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07:58 群馬大学荒牧→08:25 本町

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に「ぐんまちゃん先輩おはようございます。今日は1日よろしくお願いします」
ぐ「お願いしますね!」
に「ぐんまちゃん先輩、なんだか呼び方が難しいので、今後は師匠と呼ばせてください」
ぐ「・・・」

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に「師匠、本町に着きました。ここは、老舗の高級文具店前橋大気堂の前ですね」
ぐ「そうそう、昔からある」
に「ところで、師匠、本町は『ほんまち』って、『まえばし』と同じように平板アクセントで発音しますよね。これって何でなんですか?」
ぐ「そういうのは自分で調べようよ。いつも学生に言っているようにさあ」
に「(突然の師匠風・・・)」

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08:39 本町→09:35 伊勢崎病院北(市民病院北)

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ぐ「あ、共愛学園だ!」
に「大学もよい評判をお聞きしています。いつかお話しを聞いてみたいものです」

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10:00 市民病院北→10:54 上武大橋南

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ぐ「いい眺めだね。って寝てるのかよっ!」
に「(スヤアッ)」

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に「(グウ)」

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に「(あ、寝てた。いけない)いやいや、師匠、ずっと起きてました!それより、今日の明け方まで作っていたこのパワポをご覧ください。群馬県から埼玉県へバスで行こうとすると、利根川を渡るのに4つの候補があります。この中でもっとも東の刀水橋を使うのは、大田熊谷ルートとしてYahoo!知恵袋で紹介されていました。なんとなく知恵袋に載っているルートを使うのはチートっぽいのでやめます。次に、一つ西にある新上武大橋はバスの便がなさそうです。そして、もっとも西の坂東大橋については、伊勢崎本庄ルートとしてバスがあるのですが、本庄から先として寄居の方まで遠回りをしなければならないようなので却下しましょう。最後に残ったのが、てってれー、上部大橋を渡るルートです。なんと、利根川を渡った先に群馬県の飛び地があるので、コミュニティバスが通っているのです。今まさに、乗っているバスがそのルートです!」
ぐ「あのさ、話しが長いってひとから指摘されないかな?」
に「ごめんなさい。あと少しだけ。師匠、バス降りたら結構走りますよ。次のバスは、少し離れたところから乗らなければいけないし、時間もありませんので。今日最大の難所です」
ぐ「えー、まじか。あと、さっき寝てたよね」

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下手計 11:29→深谷駅北口 11:50
に「ま、間に合いました!」
ぐ「いや、そんなことより、今スピーカーから聞こえているのなんだろう。『午前11時の市況をお伝えします。ほうれん草高値80円、安値40円、仲値60円・・・』、これはいったい」
に「何でしょうね。さっき青果市場を見かけましたけど、そこから流れているのですかね。深谷は葱の産地でしたっけ。バス停の近くには養蚕をしていたような建物もありました」
ぐ「ところで、昔の作品なんだけど『翔んで埼玉』って知ってる?」
に「師匠、師匠だからといって何でも言ってよいというわけではないですよ」

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ぐ「ランチだ。やったあ」
に「から揚げ定食にしたかったんですけど、どうもあまりにも量が多そうなのでやめておきましょう。そして、この居酒屋兼昼食時ランチ屋さんの2階はちょっと気になるテナントなので、今度こっそりその気になるポイントをお教えしますね」
ぐ「あのね、君の問題はそういう、もったいぶったところだぞ」

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ぐ「東京駅?後姿の銅像は郷土の英雄渋沢栄一だね」

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ぐ「写真ではお見せできないので残念だけど、ぐるぐる回っているよ」

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ぐ「さっき乗ってきたバスだ」

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12:40 深谷駅北口→ 13:18 熊谷寺

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13:29 熊谷寺前→14:06 東松山駅東口
ぐ「さっきから口数が少ないけど、どうしたの?」
に「食後なのでまた眠くなってしまいました。師匠、申し訳ございません。お詫びといっては何ですが、熊谷の誇る百貨店を紹介します。バス停の先に見える八木橋百貨店です!」
ぐ「知ってるよ、当然。群馬のスズラン百貨店もよろしくね」

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14:17 東松山駅東口→14:33 古名

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ぐ「吉見百穴が見える!」
に「えっ!ほんとですね。この旅で観光地に寄るなんて思ってもみませんでした」

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に「武蔵丘短期大学ですね、ここもよい評判をお聞きします」
ぐ「そうそう」

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に「バスを降りました。ただひたすら寒いです。30分待ちです。この企画、夏に実施したら暑さでやばいところでした」
ぐ「冬のからっかぜを堪能しよう!」

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15:08 古名→ 15:41 本川越駅

後編へ続く。なお、万が一同じことをなさる場合には、あらかじめ事前の下調べを入念に行うことをお勧めします。コミュニティバスは時刻やルートが変わることもありますし、とにかく夏場は暑くて有名な地域ですので大変だと思います。

蛍光灯とエアコン

以前の勤め先の一つと現在の勤め先とで共通していて、最初に勤めた大学ではあまり見かけなかった習慣がある。それは、教室に入った学生が誰一人として照明や冷暖房を操作しようとはしないことである。たとえば、履修する講義がない時間帯に空き教室で待機したり、次の講義を受けるために早めに教室に入ったりする場合に、教室を快適な空間にしようとすることがない。夏の南向きの教室で窓も開けないまま100人の学生が汗だくになっている、冬の北向きの教室で、外套を身に着けたままで寒さに震えながら、BYOD機器(スマホやノートPC)で手元だけの明度を確保―まるで100の蛍が飛んでいるかのよう―しているのを見る度に、部屋全体を明るく、暖かくできるスイッチが黒板の横にあるので誰かが押せばいいのにな、と思うのだ。この習慣が大学ごとに違うのか、時代によって違うのかについては、私の経験だけでは判断できない。大学教員の皆さま、お勤め先ではいかがだろうか(もちろん、大学によっては「集中管理」のために教室では操作できないかもしれない)。なお、最初の勤務校では学生は高い授業料を払っているのだからエアコン使用は権利とでも言わんばかりで、サークルで利用したり単に暇な時間を過ごしたりする空き教室のスイッチをすぐに操作するので夏は涼しく冬は暖かかった。それはそれで高騰する電気代という別の問題が生じるのが悩みどころではある。
かつてある場所で、このことは「主体性」の観点からよくFYEの論点の一つとされていた。どんなことでも何かを誰かに準備、提供してもらうのが当然であるというのではなく、自らできるようになれるといいよね、というテーマである。そのあまりにもささやかな行動の一つが教室に入ったらすぐに照明、冷暖房を操作することなのであった。「主体性」とは何か大掛かりな行動のことだけを射程に入れているわけでなく、そうした日常の行動も関係しているのだ。教員の中には教室を快適な空間にするのは教員の仕事であるとか主張なさる方もいるだろうけれども、そのことと学生が同じことをするのは両立しないわけではない。教員であれ学生であれ、先に教室に入った方がスイッチを押せばよいだけである。ともあれ、だから「主体性」がないのだという評価することが必要だというわけではなく、まずは、どうして照明や冷暖房をどうにかしようとはしないのかについて知りたいのである。とりあえず、思い付くのは以下の理由である。

  1. 高校で電気機器に触るのは教員だけだというルール、慣行があったので、それをそのまま踏襲している。
  2. 高校で電気機器に触るのはその当番の生徒または何かしらの事情に基づく特定の生徒だけだというルール、慣習があったので、それをそのまま踏襲している。
  3. 高校で電気機器に触ることは「同調圧力」のために難しいことだったので、それをそのまま踏襲している。
  4. 高校で電気機器がまったくなかった(ありえないか)。
  5. 家庭で電気機器に触るのは親や年長のきょうだいだけだというルール、慣行があったので、それをそのまま踏襲している(これも、ありえないか)。
  6. 電気機器に触ることなどは下々の仕事なので、高貴な立場の学生である私がするはずはない(ないない)。
  7. わざわざ電気機器に触らなくても、誰か他の学生がやってくれんじゃね。
  8. 仮に電気機器を触った場合、他の学生(特に、まったく知らないわけではなく顔は見たことはあるけれども、だからといって仲が良いというわけでもない学生)から苦情―寒すぎる、暗すぎる・・・―が寄せられそうで怖い。そんな立場になりたくない。
  9. コート着てるしスマホあるので、別に。何か問題でも。

この他にも理由はいくつかありそうなので、皆さまぜひ教えてください。なお、バ先(=アルバイト先)、大学を卒業して就職した先ではどうなのだろうか。他の従業員よりも先に出勤したら、照明を点けないのかな。仮に給料の貰えるところでは照明を点ける一方、高校や大学ではそうしないというならば、この違いは教育学における「学校文化」という問いになるのかもしれない。なんだか90分1コマの講義中の検討課題になってきた。

教育社会学会公開研究会参加―アクティブラーニングの諸相

http://www.gakkai.ne.jp/jses/2018/10/19111635.php

日本教社会学会第70回大会課題研究Ⅲ「アクティブラーニングの教育社会学」公開研究会(11月6日)に参加してきた。主として高等教育におけるアクティブラーニングがテーマとなっていて、初中等教育におけるそれは検討の対象外となっている。
以前から気になっていたことは、登壇者からも紹介があったようにアクティブラーニング形式の授業は昭和後期や平成に新設された私大でよく導入されていて、それに比べれば国公立大や戦前に創立された大規模私大ではあまり導入されていないということに関連するテーマである。アクティブラーニングは(この言葉は意味が曖昧なので好みではないのだけれども、わかりやすいと評価する方もいるのであえて使うと)「上から」導入が求められているのだけれども、その「上」が導入を特に期待するような伝統ある選抜性の高い大規模私大、とりわけ社会科学系で大教室での「講義」が多いような大学ではあまり導入されていない。補助金によって政策的な誘導が図られているにもかかわらずである。他方で、新興の私大では、その学部編成が看護・保健、教育に偏っているということを差し引いたとしても、アクティブラーニングがよく導入されている。その場合、当然「上から」の誘導に乗ったという場合もあるけれども、同時に、「下から」の対策(もちろん、「下から」という言葉の意味も曖昧だ)であったということも指摘できる。登壇者の複数から紹介があったことだけれども、選抜性の高くない私大では授業を運営するためにどうしてもアクティブラーニング(あるいは、それに類するものであって、すなわち、いわゆる座学のみの講義+教場期末試験による成績評価ではない種類の授業)が必要であるというのだ。「現場」の必要性に関する認識によって、すなわち、「下から」導入される―座学+試験を苦手とする学生への対応―ということがある。インターネット上では選抜性の高い大学に勤務する学者による「上から」指示されるという理由や、その表面的な見た目が麗しいだけで内容が空疎であると評価するという理由としたアクティブラーニングを否定する意見を見ることができるものの、その視野からは見ることのできない「下から」の切羽詰った導入という事例もあることを知っておきたい。ただし、このように書くとアクティブラーニングは選抜性の高い大学では不要であると評価される可能性もあるが、それは誤解である。ここからは不要かどうかの判断をすることはできない。
さて、教育社会学の理論の中には、アクティブラーニングとして想定されるような授業における到達度は、出身家庭の背景を受けやすいというものがある。これは幼稚園、小・中学校の事例でよく言われることであるのだけれども大学ではどうだろうか。学習の時間や空間の縛りが緩く、何が適切なアウトプットであるかについての評価基準が曖昧であったりすると、家庭の資源に恵まれない学習者にとっては戸惑いが大きく、十分な到達をすることができないというものである。他方、家庭の資源に恵まれた学習者にとって、それは自ら創意工夫を繰り出す余地の大きい、やり甲斐のあるおもしろい学習であって、その到達度も高くなることが見込まれる。この理論が仮に正しいとすると奇妙なことになる。どうして、資源に恵まれない学習者が相対的には多い可能性のある大学においてこそアクティブラーニングが導入されているのだろうか。「下から」の導入というのは、いったいどのような意味なのだろうか。このように考えていたところ、登壇者の一人がフレーミング(枠付け、F)に着目したほうがよいのかもしれないという結論を述べられて、納得したのである。同じアクティブラーニングという言葉でまとめられる授業であっても、確かにフレーミング(枠付け、F)が内的(i)にも外的(e)にも強ければ学習者が戸惑う要因が少なくなるし、弱ければ多くなる。そこで、仮説段階でしかないわけだけれども、少なくとも「下から」の導入であったアクティブラーニングについてはフレーミング(枠付け、F)が強いということになるだろうか。そうだとすると、アクティブラーニングという名前が付けられている授業のイメージは少し変わるかもしれない。他者とのコミュニケーションが苦手、不得意である学習者にとってアクティブラーニングは不利益をもたらすという通説があるけれども、それはおそらくフレーミング(枠付け、F)が弱い場合である。フレーミング(枠付け、F)が強い場合はどうなるだろうか。なお、筆者の「現場」の感覚としては、苦手なこと、不得意なことでも工夫をしつつも行わなければならない学習はあるし(それは座学、筆記試験でも同じことである)、卒業後の人生を見据えてそうしたことがらの練習をすることも大事である。
ところで、2012年のいわゆる質的転換答申の力点はアクティブラーニングなどではなく学習時間であるという、登壇者複数の主張には全面的に賛成している。つまり、アクティブラーニングを導入しようということではなく、学習時間が少なすぎるのでどうにかしよう、という趣旨である。しかし、アクティブラーニングと違って学習時間については知識の蓄積が必要となる医学系、理工系、または、資格取得系以外の分野では「下から」導入する動機が生じないためにあまり改善されない。
また、筆者としてはアクティブラーニングが空疎であるという否定論について考えてみたかった。実のところ、アクティブラーニングが空疎というわけではなく、パフォーマンス・モデルの第三のモードである一般的スキル・モードに結びつくことで空疎になるように思えるのである。パフォーマンス・モデルであるにもかかわらず伝達される知識に実体がなく、むしろ、コンペタンス・モデルであるように見えてしまう。卑近な例で言えば「グループワークを通じて社会人基礎力を身に付ける」という課題である。

あの一般的スキル・モードが、「労働」・「生活」経験についての〈教育〉的基礎として、どのように構築され定着するかという問題に立ち戻ってみたい。この一般的スキル・モードは、単に獲得の〈教育〉手順が経済的な(経済に基盤をおいている)ばかりでなく、「労働」・「生活」の新しい考え、つまり「短期変動主義」とでも呼べるような考えに基づいている。これは、スキル・課題・労働分野の発展・消滅・再編(の変動過程)を持続的に受け止めて行こうというものである。つまり(変動短期社会の)生活経験は、未来とそこでの個人の位置についての安定した予測に基盤を置くことはできない。こうした環境の下では、活力ある新たな能力が発達されなければならない。それが「訓練可能性」であり、それは〈教育〉が次々に改革されてもそこから成果を得ることができる能力、「労働」・「生活」の新たな要請にうまく対処する能力を意味することになる。こうした〈教育〉の改革は、特定のパフォーマンスよりも柔軟で移行可能な潜在能力を実現することが期待される一般的スキル・モードの獲得を基盤とするだろう。だから、一般的スキル・モードは、その深層構造を「訓練可能性」という概念の中に持っている。
バジル・バーンスティン『〈教育〉の社会学理論:象徴統制、〈教育〉の言説、アイデンティティ』訳書、124-125頁

このモデルではない場合のアクティブラーニングについて、どれくらい空疎否定論が妥当といえるようになるだろうか。

「"就活で学業がおろそかになる"はデタラメ」と言い切れるか

headlines.yahoo.co.jp

president.jp

「"就活で学業がおろそかになる"はデタラメ」という記事を読んだ。日本経団連が2021年春入社予定となる学生の就職活動について「採用選考に関する指針」を策定しない、すなわち、採用活動開始時期の自由化を認めることを発表したことを受けて、大学関係者の一部が動揺していることに対して、その動揺が的外れであることを指摘する文章である。
記事は、

  1. たくさんの大学生と企業、人事担当者と話しをした経験からすると、「就活のせいで、学業がおろそかになる」という主張は根拠のないデタラメである。学業をおろそかにしているのであれば、それは就活ではない、別の理由によるものだ。
  2. 大学の「現場」の実感としては、就活と学業は二項対立的な関係ではない。相互補完的な関係である。
  3. これからの採用活動は、夏休みや春休みなどの大学のまとまった休みに行い、合わせて、インターンシップを効果的に用いるべきだ。

というものである。印象としては納得できそうな部分はあるとはいえ、主張の前提となっている「おろそかデタラメ」論については、もう少し慎重になったほうがよい。

リクルートキャリア「就職みらい研究所REPORT 2019年卒学生就職活動状況中間まとめ」2018.8.31(PDF)
https://data.recruitcareer.co.jp/wp-content/uploads/2018/09/chukan_2019s_201808.pdf

この調査のうち、学業・就職活動・プライベートそれぞれの時間の割合を尋ねた項目の結果によると、3年生2月から4年生9月にかけて(2019年卒は4年生6月にかけて)、「就職活動」の割合が高い時期は「学業」の割合が下がる。少なくともいわゆる「解禁日」から7月くらいまでは、学業の時間を減らして就職活動を行っていることがわかる。とはいえ、こんなことはデータを持ち出さずとも大学関係者ならよく知っている、あたりまえのことである。この時期の大学教員のSNSでは「また4年生がゼミに出てこない」という話題が繰り返されているようにである。

株式会社ディスコ・キャリタスリサーチ「 7 月 1 日時点の就職活動調査 キャリタス就活 2019 学生モニター調査結果」2018 年 7 月発行(PDF)
https://www.disc.co.jp/wp/wp-content/uploads/2018/07/19monitor_201807-1.pdf

この調査では、就職活動におけるいわゆる「活動量」を尋ねている。まず、セミナーについては企業単独セミナー約14回、合同企業セミナー約11回、学内セミナー約8回、WEBセミナー約7回の参加である。1回の滞在時間+移動時間をそれぞれ、5時間+1時間、3時間+1時間、3時間+0.5時間、1時間+0時間としてみよう。セミナー参加時間は、6時間×14回+4時間×11回+3.5時間×8回+1時間×7で163時間である。次に、志望動機の提出や試験についてエントリーシート提出約14回なので、1時間×14回=14時間、筆記・WEB試験受験 (社)約 10回なので、1.5時間×10回=15時間である。最後に、面接については、グループディスカッション約3.5回、面接試験約8回であった。1回の滞在時間+移動時間をそれぞれ、1時間+1時間、1時間+1時間とすると、それらにかかる時間は2時間×3.5回=7時間、2時間×8回=16時間である。以上の時間の合計は、163時間+15時間+16時間=194時間である。そして、この調査は7月1日時点までの活動を尋ねているので、3月1日から4ヶ月間活動をしていたとすると、194÷4ヶ月間=48.5時間、1ヶ月につき20日間活動していたとすると、1日あたり約2.5時間となる。しかし、この調査には企業や業界についてインターネットで調べる時間、サークル・ゼミ/研究室、キャリアセンターの伝手でOBOGに会う時間、公務員など筆記試験の対策が重要になる場合のその学習時間などが含まれていないうえに、移動時間が1時間では済まない場合もあるだろう。実際には、1日2.5時間で済むわけではない。最近数年の就職活動経験者の実感はどうだろうか。
このようにデータを見ていると、現状の毎年のいわゆる解禁日以降の新4年生に対する"就活で学業がおろそかに"なっている、という見方を全否定することは難しいように思われる。そこから、採用活動開始時期の自由化が採用プロセスの長期化、それによって学業の時間が奪われるという見込みを持つことは、それほど不思議なことでもないだろう。したたかな企業であれば、たとえば、1年生冬のインターンシップで一次選考を行ったうえで、そこで選考した学生を採用候補者のプールとして位置付けて、すぐには内定(内々定?)を出すほどには至らない候補者であってもそのプールが就職することになる年度の採用予定数を満たすまで「宙ぶらりん」のまま接触―候補者同士のグループディスカッション、先輩従業員・経営トップとの談話、事業所見学、研修、アルバイトなど―を続けたうえで、その予定数を確保できれば4年生12月になってようやく不採用通知を行うということも可能である。しかも、学生からすると選考されないリスクを抑えるために、同様の接触を複数社と行わなければならない。こうしたことはもちろん現行のルールでもある程度可能なわけではあるけれども、自由化はその「宙ぶらりん」の状況が3、4ヶ月ではなく、2年、3年と続くことを導くことになりかねない。言わば、採用プロセスの長期不透明化である。
すなわち、冒頭で挙げた1番のことがらについて、現状の就職活動のデータは必ずしも楽観的な見通しを裏付けることにはなっているわけではなく、かつ、記事は上記に挙げたような長期化に対する不安を解消するような立論にはなっていないために、2番、3番に対して納得することが難しいように見えるのである。学習しない学生は就職活動の有無にかかわらず学習しないという主張は印象としては理解できるものの、そのことが仮に妥当だとしても就職活動が学生の学業時間を削るデータを否定できるわけでもない。また、就職活動によって学業の意義が理解できることがあるというのもわかるけれども、学業の意義はそれ以外の経験を通じて理解することもある。就職活動だけが学生生活の中で特権的な位置を占めるわけでもない。


最後に、第一にこれは言葉尻をとらえるようなことなのかもしれないけれども、キャリア教育関係者はとにかくよく「変化の激しい社会」という言葉を使う。この記事にもよく似た言い回しが複数使われている。しかし、記事の筆者は研究者であり、特に社会学者であるわけなので、それが何を意味するのかもう少し詳しい説明がほしい。卑近なビジネス・シーンの事例でも、もう20年ほど電子メール、マイクロソフト・オフィスの利用は変わっていない(先進的な企業ではそれらを廃止しているようだけれども)。そんなつまらないことではなく、前近代、近代との比較のうえでそうした言葉が選ばれているのだとしたら、その意図は何であろうか。
第二に、インターンシップが学生を成長させると主張しているのだけれども、高等教育論、大学教育論の分野における大学生を対象にした質問紙調査では、インターンシップの経験は能力獲得項目に対して有意な差を示さないことが一般的である(質問紙には表れない経験をしていることは間違いなく、それは重要なことであるとはいえ)。そうした先行調査・研究をどのように理解すればよいだろうか。