私が担当したある大学の講義の「授業と学習に関するアンケート」(2013年度冬)の結果です。これまで学内シラバスで報告していましたが、もうアクセス権限を持っていないのでブログでお知らせします。今後開講されるかもしれないという誤解を避けるために講義名称は伏せます。


講義名称 ●●●●●



項目別回答平均値(5:強くそう思う、4:そう思う、3:どちらともいえない、2:そう思わない、1:まったくそう思わない)
Q1. 授業の学習に意欲的に取り組んだか 4.0
Q2. 授業への出席率 4.6
(5:ほぼ毎回出席、4:8割程度、3:6割程度、2:4割程度、1:2割以下)
Q3. 授業外学習の平均時間 1.7
(5:3時間以上、4:2時間程度、3:1時間程度、2:30分程度、1:ほとんど行わなかった)
Q4. ねらいや学習目標は理解できたか 4.2
Q5. 成績評価の方法と基準は理解できたか 4.6
Q6. 説明の仕方は分かりやすかったか 4.3
Q7. 教員の熱意 4.5
Q8. 授業の内容は理解できたか 4.0
Q9. 到達目標の内容が身についたか 3.6
Q10. 受講の意義 4.4
→Q9が例年に比べて低いです。その他は例年とほぼ同じであるだけに気掛かりです。理由が思いつきません。Q3が●●●●●の課題であることは認識しているのですが、改善に着手できていません。出席を取らないにもかかわらずQ2が高いのは、回答者の属性に偏りがあるということを意味するのでしょう。

すべての自由記述(表現を一部変えています)とコメント


「良い社会学の講義だった。取ってよかった」
社会学の奥深さを楽しめた」
「興味深い内容、考えさせられる内容が多かった」
「若者論を題材に社会学の基本概念を説明してくれて非常に勉強になった。この講義で学んだ概念をこれからの勉強に活かしたい」
社会学部にとって重要な理論を多く学べた。楽しかった」
社会学のさまざまな枠組みについての紹介があって、社会学部生としてとてもためになった」
社会学に関する用語が数多く使われていて、理解するのが大変だった。全体としては楽しかった」
社会学の概念を面白く知ることができたことは有意義だった。若者論が一般的なものと違うことも発見だった」
「毎回面白かった」
商学部生にとっては、社会学の専門用語の理解が非常に難しかった。頑張って説明を聞いても頭に入らない」
「いろいろな考え方や理論を知ることができた。ためになった」
→最後の年なので比較的早い時期に種明かしをしました。若者論は単に素材として用いているだけで、主として社会学、副として政治学、教育学を学ぶための講義でした。


「来年開講されないのが残念だ」
「来年も開講すればいいのにと思う」
「来年開講されないのならば履修登録しておけばよかったー(>W<)」
→任期付教員の定めです。教員の身分が非常勤講師や任期付の場合、来年にはもういないということがよくあります。


「内容は難しかったが、担当教員が課題に毎回コメントをくれたのでモチベーションを保つことができた」
「提出した課題に対するフィードバックがあったのが非常によかった」
→より良い小課題の回答、より良いレポートが書けるようになることを目的としてフィードバックを行っていました。ただ、履修人数が多いため、綿密なコメントを書くには至らないというもどかしさがあります。


「小課題を提出し損ねてWになった。救済はないのか」
シラバスに記載したとおり、講義でも再三説明したとおりのルールを適用しています。


「最後の●●●●●、受講できてよかった。チョンボだと自称していらっしゃるが、たぶん違うはずだ。友人によるとチョンボの基準は課題を出さず、出席もせず、テストを受けるだけでAを取ることができるということなので…。ともあれ、再帰的に若者について考えることができたので意味のある講義だった」
→学内ジャーゴンチョンボ」には多様な解釈がありえるよね。


「全体としてはきわめて良い講義だったものの、ゲストスピーカー回が迷走することがあったので、事前の打ち合わせをしっかりしておいてほしかった」
「ゲストスピーカーの講演がとても有意義だった。特に、同性愛と性的アイデンティティに関する講演が記憶に残っている」
→ゲストスピーカーの方を強く信頼していますので、講演内容はほぼお任せしています。いずれも勉強になったはずです。


「5限があって授業後開催される自主ゼミに参加できなくて残念。空きコマの3限に自主ゼミがあれば助かった」
→講義とゼミが連動したかたちのプログラムがもっと増えればいいなあ、と思います。2013年度は自主ゼミの回数が少なかったことを反省しています。


「現代の若者について論じるのではなく、その議論そのものに疑いを持つという内容に興味を持った。論理的に考えるプロセスが少し身についたと感じる」
「一人の若者として、社会の若者に対する見方、また、若者の特徴を学ぶことができてよかった。ありがとうございました。ただ、納得できない意見、理論も多かったです」
→大学の講義で学ぶ理論に対してであっても、そう簡単には納得しない、説得させられないという姿勢を持ち続けることを期待します。


「はっきりと『何かが分かる』ような講義ではなかったが、そのことも含めて履修してよかった」
→到達目標が必ずしも明確とは言い切れないという問題に関わる論点です。反省します。


「いろいろな用語を知ることができたので、この講義を受けているあいだは大学生っぽい感じがした。楽しかった」
→他の講義がとても気になります。「大学生っぽい」感じにならないのでしょうか。


「聴講でしたが毎回興味深く話を聞かせてもらった。社会学の考え方を学ぶことができた」
「他の講義(たとえば、▲科目)についても思うことなのだが、とにかく人が多すぎる。教室に入りきらない人数を履修させるのはやめてほしい。履修制限、さらに大きい教室への変更などの対策を講じてほしい」
→最初の3回ほどは立ち見を余儀なくされた学生もいましたが、それ以降は全員着席できたはずです。私は「ひやかし」の学生、履修登録をしない学生、スマホで遊んでいる学生をわざわざ排除することの正当性はそれほど高いわけではなく、むしろ、そうした学生の中に1人でもこの講義に意義を見出してくれることの可能性が重要だと思っています。


「学生に何かしらの知識を与えようとしている教員の姿勢が感じられた。普段講義に出席しない私でも興味を持って毎回出席して、理解を深められることができた」
→普段から講義に出席しましょう。ただ、知識を「積み上げ」ていくような学問分野において、かつ、定番の教科書を用いる講義では、出席しないで自学すればいいという誤解が生じるということは理解できるところです。


「何か本を読んで自分の意見を書くというありきたりなレポートではなく、事象に社会科学の法則をあてはめて論理的に書くレポートだったので楽しかった。評価基準も明示されていて、よい講義だと思う」
「今までレポートの書き方がわからず途方に暮れていたので、●●●●●の講義でそれを学ぶことができて良かった。
→レポート課題の出し方に問題がある講義も少なくないという印象があります。大学としてレポートの書き方に力を注ぐべきだと何度も主張してきたのですが、あまり理解が得られませんでした。


「特にありません」
→了解です。


「こういう大学生のための総合的な入門知識を教える講義は大切」
→今後、このブログを読んだ先生方が工夫をするはずです。きっと。


「レジュメに講義のすべてがつまっているので、出席しようと思う気持ちがなくなる。今後の勉強に役立つものの」
→講義の第1回において、配布資料なし(口述筆記がんばれ)、見出しだけ書いた配布資料(同じくがんばれ)、丁寧懇切な配布資料、そのどれが望ましいか皆さんに選択して頂いた結果です。今後はなるべく不親切な資料を配布するように心掛ければよいでしょうか。私はその方が楽なので助かります。最近の大学は学生に対して親切すぎる、もっとあえて不便にするべきだという意見もよく聞きます。どうしましょうか。