私は明日(10月5日)の某説明会に出席します。そこでは時間に限りがありますので、あらかじめCAP制について形式的な説明をしておきます。
みなさんに極めて不評のCAP制は、実は法令による裏付けがあります。大学に関する最低限度のきまりを定めた大学設置基準という法令に従うと、CAP制は妥当なものにならざるを得ないのです。

大学設置基準
第二十一条2 前項の単位数を定めるに当たつては、一単位の授業科目を四十五時間の学修を必要とする内容をもつて構成することを標準とし、

本学のCAP制は年間50単位を上限とします。50単位を履修すると、


45時間×50単位=2,250時間


年間で、2,250時間の学修が必要です。1年間のうち8ヶ月(夏学期4ヶ月、冬学期4ヶ月)、また、1ヶ月のうち25日間を学修に費やしているとして、


2,250時間÷8ヶ月÷25日=11.25時間


1日あたり、予習復習の時間を含めて11時間以上の学修が必要になるはずです。50単位というのは、実はそれほどまでに厳しい数字なのです。この8ヶ月間を12ヶ月間に置き換えてみると、1日あたり7時間30分の学修ということになって、一般の労働者の労働時間とほぼ同じ時間数になる、それはすなわち、ある程度の納得感を得られる(得なくてはならない?)時間数なのです。
以上はあくまでも形式的な説明です。実際には、多くの大学において、さまざまな便法が用いられ、恣意的な運用が行われてきました。たとえば、8ヶ月間しか開講期間がなかったり、体育会(運動部)の活動や就職活動で多くの時間が費やされることを容認してきたり、予習復習をそれほど必要としなかったり、大学設置基準のきまりとは矛盾するかのような様々な慣行が存在しています。いちおう、そこにはそれをよしとする歴史的な経緯や社会的な認識がありました。こうした矛盾―それは、私のような研究者にとっては興味深いものとして見えてしまうのですが―について、明日の某説明会や私の講義で言及したいと思います。この問題は、みなさんのGPAに強く関連しています。さらに、私の卒業要件としてのGPAに対する否定的判断の理由の一つになっています。