学修時間についてのフレッシュパーソンの負担感

今年の全国の大学1年生に関して、宿題が多すぎるという噂を聞くことがある。
ところで、大学は以下に示すような「大学設置基準」という法令に基づいて宿題―授業時間外の学修―を大学生に対して課すことになっている。

大学設置基準
第二十一条 各授業科目の単位数は、大学において定めるものとする。
2 前項の単位数を定めるに当たつては、一単位の授業科目を四十五時間の学修を必要とする内容をもつて構成することを標準とし、授業の方法に応じ、当該授業による教育効果、授業時間外に必要な学修等を考慮して、次の基準により単位数を計算するものとする。
一 講義及び演習については、十五時間から三十時間までの範囲で大学が定める時間の授業をもつて一単位とする。
二 実験、実習及び実技については、三十時間から四十五時間までの範囲で大学が定める時間の授業をもつて一単位とする。ただし、芸術等の分野における個人指導による実技の授業については、大学が定める時間の授業をもつて一単位とすることができる。
三 一の授業科目について、講義、演習、実験、実習又は実技のうち二以上の方法の併用により行う場合については、その組み合わせに応じ、前二号に規定する基準を考慮して大学が定める時間の授業をもつて一単位とする。
3 前項の規定にかかわらず、卒業論文、卒業研究、卒業制作等の授業科目については、これらの学修の成果を評価して単位を授与することが適切と認められる場合には、これらに必要な学修等を考慮して、単位数を定めることができる。
(昭四五文令二一・全改、平三文令二四・旧第二十五条繰上・一部改正、平一九文科令二二・一部改正)

宿題を行うべき時間数の考え方の詳細については、他のブログなどを参照してほしい。大まかにいうと、授業(講義)時間1に対して、宿題(授業時間外の学修)2が必要とされている(例外も多数あり、また、「単位時間」という考え方も必要である)。なお、法令で定めらている1単位につき必要な学修45時間という数値は、月曜日から金曜日まで毎日8時間働いて、土曜日は5時間働くような「ある時代」の労働者の勤務時間がモデルとされていると主張されることもある。つまり、労働者の勤務時間と同程度の学修時間が1週間に必要であるというのである。とはいえ、実際には大学生が同年代の若者のほんの数パーセントを占めるにすぎないエリートで、そのエリートは出身家庭が比較的豊かで(もちろん貧しい大学生もいた)、かつ、授業料も格安であった「ある時代」と、多くの大学生が余暇のためではなく生活のためにアルバイトをしなければならず、大学近くのアパートを借りるのではなく遠方の自宅から時間をかけて通学する現代とでは状況が異なっている。つまり、当該法令は時代に合っていない、1単位のために週に45時間、2単位の授業(講義)の場合は週に90時間も学修できるわけがないという批判も存在している。
さて、そうした法令に沿って課される宿題について、負担が多すぎると感じる1年生はどのような属性を持っているだろうか。「どのような属性を有する学生(生徒、児童)が、どのようなことを感じるか」という問いは、私の研究分野においてよく考察の対象とされるものである。しかしながら、現時点ではそれを確かめるデータが存在していない。そこで、今後の調査のための準備として、高校生の勉強時間を確認しておきたい。用いるデータはベネッセ教育総合研究所が公表しているものである。直近のデータは2015年のものであることから、やや「古い」データではあるものの参考にはなるだろう。調査方法は「学校通しによる自記式質問紙調査」というものであり、これは同研究所が生徒個人にではなく学校へ調査への協力を依頼して、アンケート用紙への記入は生徒個人が行うということを意味している。調査対象者は、普通科に在籍する高校 2年生であり、2015年の有効回収数は4,426であった。その回答者の居住地の内訳は、東京23区内の「大都市」27.0%、東北・四国・九州地方の「都市部」39.8%、同地方の「郡部」33.2%であり、また、回答者の通う学校の「偏差値」はの内訳は、55以上34.4%、50以上55未満24.6%、45以上50未満20.9%、45未満20.2%であった。


第5回学習基本調査DATA BOOK(ベネッセ教育総合研究所)
「第5回学習基本調査」データブック [2015] │ベネッセ教育総合研究所


調査対象者は2年生であることから、以下で確認する時間数は大学進学者が3年生時点で経験するものよりは少なめになっていると想定したほうがよいだろう。なお、回答者のうち大学まで進学したいと考えている生徒は71.0%、大学院まで進学したいという生徒は12.3%である。就職や専門学校進学ではなく、大学進学を希望する層が回答しているようである。また、そのどちらかを回答した生徒3,688人のうち、進学希望先は「難関の国公立大学」32.5%、「それ以外の国公立大学」42.9%であり、このことは回答者の過半数が東北・四国・九州地方に居住していることの反映であろう。さらに、その同じ3,688人のうち、希望する入試方法は「できれば推薦入試やAO入試で」28.7%、「できれば一般入試で」69.2%である。これらの2年生の生徒が実際にその後にどうしたかはわからないものの、2年生時点の希望としては「一般入試」、「国公立大学」が多いのである。
では、宿題を含めて、自宅で学習している時間はどれくらいだろうか。

[15]家での勉強時間などについてうかがいます
A ふだん(月曜日~金曜日)、学校での授業以外に1日にだいたい何時間くらい勉強していますか。学習塾や予備校、家庭教師について勉強する時間も含めてください
 ほとんどしない 14.8%
 およそ30分 12.4%
 1時間 18.6%
 1時間30分 16.4%
 2時間 19.4%
 2時間30分 8.2%
 3時間 6.5%
 3時間30分 1.5%
 それ以上 1.6%
 無回答・不明 0.6%

C 休日には、家で何時間くらい勉強しますか。学習塾や家庭教師について勉強する時間も含めてください
 ほとんどしない 15.2%
 およそ30分 6.3%
 1時間 12.0%
 1時間30分 8.1%
 2時間 17.3%
 2時間30分 7.5%
 3時間 15.0%
 3時間30分 4.3%
 それ以上 13.6%
 無回答・不明 0.7%

平日で1時間~2時間程度、休日で1~3時間程度が多いようである。これに比べれば、大学で要求される授業時間外の学修ははるかに多いだろう。仮に1週間に2単位90分の授業(講義)を10コマを履修している場合、大まかにいえば週40時間、月曜日から土曜日まで毎日6時間30分ほどの時間外の学修が必要になる(なお、語学・体育、実験・実習などはこれよりも少ない時間数となる)。「大学設置基準」という法令を満たそうとすると、高校2年生時点での自宅学習時間の数倍の勉強が必要になる。確かにフレッシュパーソンの負担感は強いものになるだろう。大学受験では「四当五落はアタリマエ」、「受験生の半数は浪人するのがアタリマエ」という価値観を持っていた年配の大学教員からすると、現代の高校生の自宅での勉強時間は少なく感じるかもしれないものの、この価値観と現代の実態のギャップを認識しなければならないのだろう。そして、仮説として「高校時点での自宅での勉強時間と、大学入学後の学修時間に対する負担感には関係がある(前者が少なかった学生ほど負担感を強くもつ)」といったことが挙げれられるかもしれない。その検証は今後の課題である。
また、時間数以外にも負担感と関係していることが考えられるデータもある。

[2]あなたの学校での勉強についてうかがいます
B学校の授業をどのくらい理解していますか(わかっていますか)
3)数学
 ほとんどわかっている 10.8%
 70%くらい 36.5%
 半分くらい 33.5%
 30%くらい 14.6%
 ほとんどわかっていない 4.5%
 無回答・不明 0.1%

5)英語
 ほとんどわかっている 11.8%
 70%くらい  36.4%
 半分くらい 34.5%
 30%くらい  12.9%
 ほとんどわかっていない 4.2%
 無回答・不明 0.1%

これは時間数とは異なって、かえって高校時代に「ほとんどわかっている」と回答していた学生こそ、大学での学修に対して負担感があるかもしれない。「わからないことに対して、すぐに投げ出すのではなく(教えてもらうのでもなく)自分なりに考え続ける」ことが苦痛になってしまうためである。フレッシュパーソンの学修の中には、そう簡単には「わかっている」とは言えないものも数多く含まれているだろう。

[4]家での勉強についてうかがいます(学習塾や予備校、家庭教師との学習は除きます)
Eあなたの勉強の仕方を分類するとすれば、どんなタイプになると思いますか
ア) 
 毎日こつこつ勉強する 21.6%
 試験の前にまとめて勉強する 77.5%
 無回答・不明 0.9%
ウ)
 できるだけ暗記しようとする 55.1%
 できるだけ考えようとする 44.2%
 無回答・不明 0.7%
オ)
 難しい問題をじっくり考える 39.2%
 やさしい問題を数多く解く 59.6%
 無回答・不明 1.3%
カ)
 わからないところは、先生や友だちに聞く 62.4%
 わからないところは、自分で考える 36.7%
 無回答・不明 0.9%

これらのタイプも負担感と関係しているかもしれない。大学で求められる学修に対する考え方と、高校までで身に付けた勉強への構えにズレが生じていることもあるだろう。さて、それではどのようなズレがあると仮説が立てられるだろうか。それは、「毎日こつこつ」と「できるだけ考えよう」として、「難しい問題をじっくり」という姿勢で「自分で考える」ことが求められてしまうのかもしれない。