高等教育市場の国際化 (高等教育シリーズ)

高等教育市場の国際化 (高等教育シリーズ)

「ではの守」について、先日触れたばかりである。しかし、「某国ではふつう(すなわち、某国の某大学はふつうではない)」のような「ではの守」言説にまた遭遇することになってしまった。その一件とは直接の関係はないものの、「ふつうではない」感覚に浸かっている立場から、改めて海外事情研究を確認してみた。
確かに、学生を消費者のアナロジーで捉えたうえでの学生とそれに付随する学納金に着目して、あるいは、教育サービスの提供者としての優秀な教員に着目した「市場の国際化」は理解できる話である。ピノチェット・チリの経験も大変興味深い。そうした「ではの守」型研究をふまえての政策提言を不要であるとは言わない。しかし、私が知りたいことは、そのことが教育内容や学生の学習にどのような影響をもたらすか、ということである。わずかに、教育内容がパッケージ化、平板化されるのではないかという引用があるのみだった。政策研究としてはとても参考になったが、ないものねだりとはいえ、教育研究としてはあまりにも物足りない。教育学者の政策研究(「政策的含意」研究)への不満は繰り返し述べられてきたわけだが、高等教育研究もまた例外ではない。
このブログで扱っている高等教育研究とはまた別に、「ふつう」ならざるものの排除という問題についてはネオリベの観点から機会があれば検討してみたい。