個人として
 1 自由であること  2 個性を伸ばすこと  
 3 自己をたいせつにすること  4 強い意志をもつこと  
 5 畏敬の念をもつこと
家庭人として
 1 家庭を愛の場とすること  2 家庭をいこいの場とすること
 3 家庭を教育の場とすること  4 開かれた家庭とすること
社会人として
 1 仕事に打ち込むこと  2 社会福祉に寄与すること
 3 創造的であること  4 社会規範を重んずること
国民として
 1 正しい愛国心をもつこと  2 象徴に敬愛の念をもつこと
 3 すぐれた国民性を伸ばすこと

以上が何かお分かりになるだろうか。1966年中教審答申「後期中等教育の拡充整備について」に「別記」として付された「期待される人間像」である。その本文は、「教育の目的は、国家社会の要請に応じて人間能力を開発するばかりでなく、国家社会を形成する主体としての人間そのものを育成することにある。」と主張したため、非常に物議を醸した。
さて、

知識・理解
 1 多文化・異文化に関する知識の理解
 2 人類の文化、社会と自然に関する知識の理解
汎用的技能
 1 コミュニケーション・スキル  2 数量的スキル
 3 情報リテラシー  4 論理的思考力
 5 問題解決力
態度・志向性
 1 自己管理力  2 チームワーク・リーダーシップ
 3 倫理観  4 市民としての自己責任
 5 生涯学習
統合的な学習経験と創造的思考力

以上は、「21世紀型市民」の内容であり、「学士課程共通の『学習成果』に関する参考指針」である「学士力」である。「期待される学士像」というアナロジーが可能であるわけだが、かつての答申ほど各界での議論を呼び起こすことは難しいかもしれない。というのも、今日のこのブログが何を問題にしているのか分からない教育研究者、メディア関係者もいるほど、こうした教育の目的論について鈍感になりつつあるためである。自戒を含めて。