子ども社会研究から学ぶこと

子どもへの視角―新しい子ども社会研究

子どもへの視角―新しい子ども社会研究

  • 発売日: 2020/02/20
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
著者の皆さま、出版社よりお送り頂きました。執筆者の中には私がかつての勤務先で大変お世話になった大嶋さんもいらっしゃいます。ありがとうございます。

このような問題点を考えたとき、80年代子ども論のもうひとつの核、子ども観の相対性や構築性という論点が、学術的に突き詰めて考えられることがなかったことの問題に目を向けざるをえない。「子ども」が歴史的・社会的に構築されたものであるという主張を真剣に受け止めるならば、「子ども/大人」という区分の感覚自体の歴史性や相対性をどう考えるかという問題に行き当たる。しかし、多くの議論は、特定の子ども/大人関係のあり方(さらには教育や社会)を批判する目的に横滑りし、むしろ、「新たな」「よりよい」「真の」子ども/大人関係を見出すという本質主義的な方向に進んでいった。そのため、批判の対象たる子ども観に、より「子どものため」の「新たな」視点を対置させようとする二項対立的な議論につながりがちであった。それが、前項で見た、非対称的な子ども/大人関係図式そのものがもたらす隘路を予防できなかったことにつながるだろう。
序章「子どもをどう見るか」p.13

必要なことは、研究者自身が「子どもと大人は性質を異にしている」という理解を自明視せず、それ自体を実際の子どもの生活や問題に即して検討してみることにあるだろう。すなわち、子どもの日常の生活の様子であれ、虐待や貧困といった問題であれ、子どもを捉える際、子ども観の「構築」の記述を課題としながらも、子どもと大人という二分法を研究者は前提とせずに、それら生活や問題の当事者との間で「子どもと大人は性質を異にしている」という理解が具体的にはどのようなかたちで表出するのか(つまりどのように「構築」されているのか)を丹念に描き出すのである。
「子どもと大人は性質を異にしている」という子ども理解を研究者の説明のための資源とすることなく、それ自体を研究の主題としていくことを、今日の子ども研究は課題としていく必要がある。子どもの「異質性」を自明視せず、実際の生活のなかでのその扱われ方、つまり「構築」のされ方の記述を通じて明らかにしていく、そうした子ども研究の可能性である。
第3章「子ども研究における「構築」とは何か」pp.75-76

学部生のとき、一方で複数の社会学系の講義で「構築」について繰り返し学習しつつ、他方で、当時はそれほど強い関心があるわけではなかった教育学系の講義で「構築」について考えようとして大混乱に陥ったことを思い出した。当時の私に対して、本書で提示されている整理を伝えたいのである。
ところで、本書すべてを読んで、私の隣接分野である大学生論(大学生の意識や実態を対象とする研究)においては、こうした理論に基づく研究が進められてきたとは言いがたいことに思い至った。「いまどきの大学生はかくかくしかじかであるはずだ」というときに、その主張の多くはこれまでの「構築」に関する蓄積された議論を必ずしも潜り抜けていないだろう。理論への関心が弱いままで十分だとされてきたということの理由についても明確に示すことはできていない。子ども研究から学ぶことは多い。