早稲田リアル熟議の企画メンバーのみなさんへ
某コミュニーション・サービス上で捕捉されてしまったようなので、また、某研究会でいなばさんにお会いするたびにいじられて(?)それはこの問題についてのコメントを止めるなという示唆に感じられてしまうので―「オワコン」、「黒歴史」にしてはいけないので―、早稲田リアル熟議に対するアドバイスをまとめてみます。
一橋の場合、企画メンバーのなかに教育行政学を学んでいる学生がいて、当然知っているであろうことがらなので、わざわざ説明しなかったことがあります。それは、教育(の内容や方法など)を決定する権利、すなわち、教育権を持っているのは誰なのか、というとても大きな論点です。あまり知られていないかもしれませんが、国家の教育権/国民の教育権といった名称で、長い間論争がありました。教育行政学の講義を履修すれば、たとえば「旭川学テ事件」という有名な判決を通じて、そこで問われたことを教えてもらえるかもしれません。もちろん、この事件は中等教育を舞台にしたものであって、高等教育に関連するものではありませんでした。現在でも、一般的には高等教育に関連するものとして理解することは極めて稀でしょう。
ところが、私の理解では、高等教育においてもこの教育権が問われるような状況が生じつつあります。かつでであれば、憲法23条のもと、高等教育は教育研究の自由を有することが自明でした。高等教育に関する教育権など、そもそも問題にはならなったのです。あえて言えば、「東大ポポロ事件」を挙げることもできるのですが、それはかなり論点がずれてしまいます。しかしながら、近年では、たとえば大学の講義を「グローバル」な水準で「統一」しようとする動向がみられます。工学分野ではすでにJABEEという機関がそれを進めています。その他の分野でも「チューニング」という言葉によって「統一」が模索されています。関心のある方は、「AHELO」という言葉についても調べてみて下さい。この「統一」は、一方では学生の国際的な移動を容易にすることにつながるという利点もあるのですが、他方では講義に対する外部からの介入という欠点があります。
リアル熟議の企画段階において、もし教育(の内容や方法など)について言及することを予定するのであれば、こうした問題をどのように扱うのかをよく勉強してほしいと思います。教育(の内容や方法など)は誰によって決定されるべきなのか、学問的蓄積は気が遠くなるほどの厚さを持っています。リアル熟議は、使いようによっては、国家や市場による、あるいは、リアル熟議の参加者のみによる教育(の内容や方法など)への介入を促進して、そのことは必ずしも学生の皆さんにとって望ましくない状況を生み出すかもしれません。こうした論点について、リアル熟議の先達である学生の皆さんはあまりにナイーブでしたでしょうし、リアル熟議を政策として推進するアクターの方々はまったく無知であったように見えるのです。
勉強するべき方向は、以下の書籍ではないと思います。
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「熟議」で日本の教育を変える 現役文部科学副大臣の学校改革私論 (教育単行本)
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