いただきもの―教育社会学入門書と教育学入門書

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大妻女子大学の牧野智和先生から、吉田武男(監修)、飯田浩之・岡本智周(編著)『教育社会学:MINERVAはじめて学ぶ教職』ミネルヴァ書房、2018をお送り頂きました。ありがとうございます。
牧野先生ご執筆の第10章「学校という空間と社会」において、教育社会学の観点から初等中等・高等教育のそれぞれにおいて、それら学校段階毎の特質をふまえつつもあたかも一貫して展開されているようにみえる「アクティブラーニングをどのように考えるか」という論点が提起されています。

アクティブラーニングにおいては、新しい教育方法の導入に見合ったさまざまな評価の選択肢が示されている。例えば形成的評価、パフォーマンス評価、ルーブリックの導入などである。これらが十全に機能した時にもたらされる教育効果はもちろんあるにしても、さらなる評価の多様化と、依然持続すると考えられる説明責任要求を合わせ考えると、金子が明らかにした諸点が持ち越される、あるいはより深刻になる可能性は小さくないだろう。アクティブラーニングは学校がコンサマトリー化した状況において、教師と生徒双方に「何かをやった」という充実感をもたらすかもしれないが、そのような充実感の一方で学校生活全体にわたる評価の細密化はおそらく加速する。生徒たちは教師の評価に対してさまざまな適応戦略をとるものだが(金子、1999)、微細な評価ポイントに気づいた生徒のみが教師にとって好ましい態度をもって、より有利な立場を得ようとする展開もまた加速する可能性が高いだろう。
(略)
アクティブラーニングの実施に際しては、ただ何か作業をやらせればよいわけではないという教育実践上の戒めがしばしばなされるが、それにとどまらず、誰がより有利な状況にあるのか、生徒の「権力」上の不平等はないか、という教育社会学的な態度も、公正な評価のために必要なのではないだろうか。
129頁

このアクティブラーニングに対する注意深い姿勢は、初学者向けのテキストとしては良いものだと思いました。ただ、研究の観点からはやや不満を持ってしまうかもしれません。ここで提起されている問題は、教育社会学がこれまで課題としてきた評価そのもののあり方と、それに関連する知識伝達の過程における学習者のバックグラウンドに由来する有利・不利というテーマであって、アクティブラーニングに内在した固有の論点というわけではないからです。むしろ、たとえば、B・バーンスティンが「再文脈化された知識」の伝達に関して指摘するような「コンペタンス・モデル」と「パフォーマンス・モデル」の違いからアプローチしたほうが、もう少し見通しが良くなるような印象を持ちました。「何かをやった」という充実感は否定的に説明されることが多いわけですが、その「何かをやった」をもたらす実践がそもそも問題視していた従前の知識伝達のあり方(そして、しかしながら実はそれこそが不利な層にとって良いこともあるという捩れ)にも言及しつつ、それらのモデルの特徴に迫ると私にとってはわかりやすかったです。



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そして、同日に、山梨学院大学の児島功和先生から、植上一希・寺崎里水(編)『わかる・役立つ教育学入門』大月書店、2018をお送り頂きました。ありがとうございます。
児島先生ご執筆の第4章「貧困世帯の子どもと学校」では、将来、幼稚園~高校の教師になるであろう大学生に対して、子ども貧困に気づくことができるかどうかという問いを投げかけています。

最後に、みなさんが教師になったときのために、気をつけてほしいことがあります。それは貧困の「見えづらさ」です。
(略)
Jさんは、自分の家庭が貧しいことをまわりに知られると「恥ずかしい」と感じていて、「普通を装おう」といいます。「普通を装おう」ことの背景には、自分たち(家族)は普通ではないという感覚があります。もし貧困世帯の子どもが学校で「普通を装おう」ことをしていたらどうでしょう。教師になったみなさんは、そのことに気づくことができるでしょうか。
また宿題をやってこない子、授業に真剣に取り組まない子、学校生活を送るうえで前提とされる生活習慣を身につけていない子がいたら、「だらしない子」「だめな子」とラベルを貼りたくなるかもしれません。しかし、これこそ、貧困世帯の子どもの特徴といえるものです。「だらしない子」「だめな子」というラベルを貼ることでその子どもと家庭が発信しているSOSのサインを見逃してしまうかもしれません。何か問題を感じたときに教師に求められるのは、「もしかしてこの子の家庭は様々な困難を抱えているのではないだろうか」と、子どもの言動の奥に複雑で多様な背景を想像できることではないでしょうか
47-48頁

私の大学院の指導教員がよく言っていたことの一つがまさにこのテーマでした。たとえば、1970年代くらいまでは、身なりや所持品から児童・生徒の貧困はわかりやすかったのだけれども、80年代くらいから「豊かさ」の恩恵が各層に対してそれなりに広がるにつれて、上記引用の「普通を装おう」や、消費社会の浸透・馴致といった理由で表面的には貧困がわかりにくくなって、教師による支援―それは学習だけのことではありません、児童・生徒の生活や保護者の就労や扶助に関わる広範なもの―が少し難しくなったというものです。この本も初学者に対してとてもよい入門書であるように思いました。

さて、この2冊を拝見して驚いたのは、高等教育・大学に関する章が設けられていることです。高等教育論・大学教育論の位置付けが変わってきたのかもしれません。これまで、教育学、教育社会学の書籍、特に入門書でそれらが触れられることはほとんどなかったのではないでしょうか。試しに、すぐ手の届く範囲にあった以下の入門書で高等教育・大学に関する章があるかどうかを確認してみました。さて、この中にそれらの章はいくつあるでしょうか?



柴野昌山『教育社会学を学ぶ人のために』世界思想社、1985 →第12章執筆者は竹内洋なのでそこだけやや異質
 序章 教育社会学の基本的性格、第1章 教育社会学の歴史的展開、第2章 教育社会学の研究方法、第3章 家族の役割体系と社会統制、第4章 社会変動と子供(ママ)観の変遷、第5章 子どもの社会化と準拠者、第6章 学校組織の社会的機能、第7章 学校文化と生徒文化、第8章 教室における相互作用、第9章 教師の職業的社会化、第10章 マス・メディアと青少年、第11章 ラベリングと逸脱、第12章 企業と学歴


中内敏夫『教育学第一歩』岩波書店、1988 →私たちの仲間内でいう「緑と黄色の本」
 第Ⅰ部 教育原論
  第一章 なにを教育とよぶのか、第二章 教育の計画化、第三章 教育過程、第四章 教育集団論
 第Ⅱ部 教育学説史
  第一章 教育論以前、第二章 十七世紀ヨーロッパの教授学とジェスイットおよびヤンセン派、第三章 近代社会における教育学の誕生と変転、第四章 日本の教育論


久冨善之・長谷川裕『教育社会学:教師教育テキストシリーズ5』学文社、2008 →いわゆる教職向けテキスト
 序章 教職と教育社会学、第1章 学校という制度と時間・空間、第2章 学校で「教える」とは、どのようなことか、第3章 教師と生徒との関係とは、どのようなものか、第4章 学校教師とはどのような存在か、第5章 若者は今をどのように生きているか、第6章 <移行>の教育社会学、第7章 子育て・教育をめぐる社会空間・エージェントの歴史的変容と今日・未来、第8章 学校の階級・階層性と格差社会、第9章 国民国家ナショナリズムと教育・学校、第10章 教育改革時代の学校と教師の社会学


矢野智司・今井康雄・秋田喜代美・佐藤学広田照幸『変貌する教育学』世織書房、2009 →入門書ではないか
 「教育学の変貌」に関する覚え書、限界への教育学に向けて、教師教育から教師の学習過程研究への転回、去る教師・遺す教師、変貌する国際環境と日本の高等教育、心理主義批判の核としてフロイトを読むために、生活改革のひび割れた構成物としての新教育、儀礼の再発見、『民主主義と資本主義』をふりかえる、教育の公共性と自律性の再構築へ


広田照幸『ヒューマニティーズ教育学』岩波書店、2009 →入門書にしては難しい
 一、教育論から教育学へ、二、実践的教育学と教育科学、三、教育の成功と失敗、四、この世界に対して教育がなしうること、五、教育学を考えるために


木村元・小玉重夫・船橋一男『教育学をつかむ』有斐閣、2009 →「教職教育学」と「アカデミックな教育学」を結びつけて「つかむ」とのこと
 序 教育学とは何か、第1章 教育と子ども、第2章 教育と社会、第3章 教育の目的、第4章 ペダゴジーのグランドデザイン、第5章 ペダゴジーの遂行(1)、第6章 ペダゴジーの遂行(2)、第7章 ペダゴジーの担い手、第8章 教育の制度、第9章 教育の接続、第10章 共生の教育


田中智志・高橋勝・森田伸子・松浦良充『教育学の基礎』一藝社、2011 →これも簡単ではない
 第1章 学校という空間、第2章 知識の教育、第3章 教育システム、第4章 戦略的教育政策・改革と比較教育というアプローチ


石戸教嗣『新版教育社会学を学ぶ人のために』世界思想社、2013→ベテランと若手のバランス!
 序章 教育社会学とは、第一章 教育社会学の展開と課題、第二章 欧米における教育社会学の展開、第三章 社会移動と格差社会―後期近代の社会イメージ、第四章 ガバナンスと教育計画―地域の再編と教育行政、第五章 教育現実の言説的構築、第六章 カリキュラムと学力問題、第七章 教師という職業―教職の困難さと可能性、第八章 ジェンダーセクシュアリティと教育、第九章 子ども・若者の世界とメディア、第一〇章 ネットワーク社会と教育、付章 教育社会学の半世紀



答えは1箇所です。矢野ほか2009の中の「変貌する国際環境と日本の高等教育」です。そして、章タイトルには入っていないのですが、木村ほか2009の中の第9章で高等教育についての言及があります。それも含めれば2箇所ということになります。そうした状況と比較すると、最近の入門書で高等教育・大学について説明が行われること自体がとても興味深いです。