ロヂック・オブ・アッカウンツ

近代職業会計人史 (1973年)

近代職業会計人史 (1973年)

先日の某研究会における公認会計士をテーマとした個人報告が一面的になっていたことを反省している。公認会計士の側からのみ歴史を描いてしまっていた。計理士の側からみるとまったく異なる歴史である。「きれいな」歴史を描くという、ありがちなミスをしていたのである。
とりわけ、計理士の反論は計理学の学術界、すなわち、東京商科大学に向けられる。たとえば、木村禎橘に対して。

計理士の制度改善運動に際して常に特殊な意見や動きをしたのが木村禎橘であった。何かと計理士業界に問題を提起し、計理士の行なう法律改正運動を、ときには阻害するような言動も縷々みられた人である。
39頁

また、太田哲三についてはことのほか厳しい。

計理士を公認会計士制度から排除することに全精力を傾けたのは一人太田哲三だけではないにせよ、彼は常に責任ある役割を担当していたし、彼が回顧録において、敢て歴史の本当の姿やニュアンスを曲げて伝えている理由も彼の置かれている立場や、事故が果たしてきた役割を意識してのことではなかろうか。
48頁

太田哲三は、計理士の既得権回復運動を「計理士のための忌わしい運動」と称しているが、彼は公認会計士法が制定されるやいち早く公認会計士たるべく決心し、管理委員を辞退してまで受験に執着した。そしてやがて日本公認会計士協会の会長となり、数十社にのぼる上場会社の監査をその手中に握った事実をどう理解すべきだろうか。
79頁

こうした言わば「高商アカデミズム」との対立をどのように記述するべきか、まだまだ私には勉強が足りず悩んでいる。現代の公認会計士制度についても学術界、そして研究会において提起された米国の「圧力?」(第二次世界大戦後のそれについては周知のとおり)をどのように位置付けるべきか、ほんとうに難しい。そして、素朴に勉強になったのは、中小企業診断士との「管轄権」争いである。当然、私は税理士については目配りをしていたつもりであったものの、計理士にとって中小企業診断士が脅威に感じられたという歴史はまったく知らなかった。
1月以降、学内の商学部へ聞き取りに行かなければならない。太田哲三のまごでしさんが対象となるのだろうか(でも、だれなのだろう)。よろしくお願いいたします。