同化と他者化 ―戦後沖縄の本土就職者たち―

同化と他者化 ―戦後沖縄の本土就職者たち―

私はこれまで、専門職、企業人、大学生に対する聞き取りを続けてきて、いつも気になっていたものの、もやもやとして言語化できていなかった調査法上の論点がある。いちおうは、桜井厚や佐藤郁哉の本を読んで学んだにもかかわらずである。それがこの説明で少し晴れたような印象を持った。

私は泡盛オリオンビールを飲みながら、語り手との相互構築的なリアリティ産出の場に、ひとりの大和人して立ち合った。そのような場で語られた定型的な語り、おそらくそれは大文字の「沖縄」なるものに関しての語りだったのだが、そのような語りが語られる場に立ち会い、リアリティの相互構築過程に参与したのだ。私の大和人=調査者としての数多くの質問や相づちは、おそらく調査現場での相互作用を、大文字の沖縄人について語らせる方向に、誘導しただろう。聞き取りにおいて語られた「ノスタルジックな語り」のあの複雑な構造がつくりだされるプロセスにおいては、私もまた一定の役割を果たしているのである。
しかし、調査者としての私は、単に会話をある一定の方向に(語り手とともに)構造化しただけではない。調査現場に参加することで私は、そこで語られた大文字の沖縄というものに「同意」したのである。つまり私は、聞き取りというコミュニケーションの場において語られた沖縄というカテゴリーに対し、その場ではその真理値を空白にすることなく、それを真実のもの、いいかえれば、世界になんらかの指示物をもっているものとして、その言葉にむかっていたのである。
ところで、このようにして私は聞き取りの現場でそのつど真理値を埋めていく作業に参加したのだが、調査がいったん終了したあと大阪に戻り、論文を書くにあたって、真理値をふたたび空白のままにしておくということが、いかなる一貫性をもちうるだろうか。
282頁

構築主義の立場から再び「真理値を空白」にするときの戸惑い、確かにそういうことなのだと思う。家や研究室でスクリプトを読んでいるときに感じる胸騒ぎ―私はこのときいつも胸騒ぎという表現が思い浮かぶ―が丁寧に説明されているのである。

生活史におけるこのような定型的な語り、あるいは定型的な語りをめぐるこのような事態を、語りの「繋留点」とよぼうと思う。われわれの、生活史を収集しそれについて記述するという実践にとって、このような繋留点はどのような意味をもっているのだろうか。
287-288頁

定型的な語り、そして、それに距離を取るけれどもその限りで同じく定型的な語り、私はこの両者をめぐっていつも立ちすくんでしまう。筆者が言う「『歴史と構造』に『つなぎとめられる』、「『歴史と構造』に『つなぎとめる』」(287頁)は私にとっては難しく、すぐには意味を理解することはできない。しかし、この「繋留点」という概念は私の立ちすくみを解き放つような可能性を持っているようにみえるのだ。

したがって、当時の労働局は、根本的に矛盾するふたつの課題を同時に達成しようとしていたのである。それは、求職者を開拓しながら、同時に職場の厳しさを伝え、求職者の素質を見極め選別しなければならないという複雑で困難な課題である。そしてまた、この困難な課題を達成し、本土移動の過程全体をコントロールする必要性からも、労働局は本土就職に積極的に介入せざるをえなかったのである。労働局は、市民たちを煽って本土へと移動させると同時に、できるだけトラブルや落後者を出さないことも求められていたのだ。もうひとつの復帰運動としての本土就職を促進する立場からは、労働条件の低さを忌避する態度は、個人の心の弱さとして憎まれていた。労働局にとっての理想の沖縄人とは、故郷への愛着を捨て、職のあるところに迅速に移動し、従順かつ熱心に労働に従事し、規律正しい生活を送る近代的な労働者である。だが、近代的な労働者とは、労働条件の低いところから高いところに自然と移動するものである。こうした合理的な労働者は、労働局の理想のイメージには矛盾する。近代人らしくどの地域のどの職場にも適応して勤勉に働くこと。そして同時に、労働条件の低さや職場の過酷さに文句を言わずに従順に働くこと。これこそが、当時沖縄の新卒者に求められたことだったのである。
本土就職を促進すること、送り出すものを選別することという、矛盾する課題を同時に達成するためには、沖縄の青少年たちの能力や人格、適性、認識、価値判断を根本からつくりかえる必要があった。そのために構築されたのが、学校、労働行政、メディア、同郷集団などが結集した「本土送り出しシステム」である。これは単に労働力を移動させるためだけの装置ではなかった。沖縄という前近代的な小さな島から日本という先進的な地域に移動するほどの合理性を備えながら、配属された職場では労働条件に疑問をもたず従順に従うほどには非合理的な労働者を育成する必要があったのである。一方での促進と選別、そしてもう一方での合理性と非合理性という、ふたつの矛盾と対立のはざまで、沖縄の新規学卒者たちは翻弄されていった。
325-326頁

長い引用になってしまった。アスピレーションを加熱させるのと同時に冷却させる必要がある。加熱のメカニズムについてはよくわかった。知りたいと思うのは冷却のメカニズムである。本土就職を焚きつけておきながら、「君は条件に達していない」として送り出しの対象にならなかった青少年はどのようにその状況を認識したのだろう。

マイノリティとマジョリティとの非対称性を理論化する際に難しいのは、この非対称性を実体化して捉える本質主義に陥るか、反対に、まったくの人為的カテゴリーとして勝手な社会学的無効宣言をおこなってしまうか、どちらかの落とし穴にはまりやすい、ということである。
(略)
社会学では差別とはカテゴリー化であるとしばしば定義されるのだが、むしろカテゴリー化されている現場においては、その対象となっているものは、ひとりの個人として、ひとつの肉体として出現させられているようにみえる。類的存在としての日本人と、個別化されてあらわれる沖縄人。
413-414頁

ほんとうにこの落とし穴にははまりやすい。あまりにもわかりやすいためである。運動論もまたどちらかに絡め取られてきたのかもしれない。類的/個別化は「まなざしの地獄」の問題である。「われわれはいわば、少年の肩に隠れてわれわれ自身を覗き見る。」(415頁)この結論の章を読みながら、かつて中国残留孤児が碑文谷のダイエーで買い物をして中国に「帰国」することを毎年のように報じていたニュースを思い出していた。
「まなざしの地獄」はいつ、どこにでもあるのだ。




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