綺羅は「日本高等教育史」という講義を受けているところである。初老の二宮先生が担当である。1860年代から2040年代まで180年間の高等教育の歴史を教わっている。二宮先生の話しはわかりやすいものの、どこか物足りなさを感じることがある。毎回の小テストはしっかりと合格点を取ってきた。高校までと同じ勉強方法で対応できるので楽ではあるものの、何かしっくりとしない思いが残るのである。
二宮先生は教授や准教授ではない。「教育学教育方法カウンシル」から派遣されている先生である。もともとは大学に所属する専任講師、准教授であったのだけれども、ある時にカウンシルから派遣される先生になったらしい。講義ではこの経緯を絶対に話してくれない。「日本高等教育史」の講義であるにもかかわらず…。一度、思いきって大学の准教授とカウンシルの先生の違いについて教えてもらおうとして、QQで連絡したことがある。大学の中に研究室を持っていないらしいので、QQでしか連絡できない。けれども、どれだけ待っても返事はなかった。4月に配布された「履修の案内」のなかで、カウンシルの先生への質問は講義時間中にしかできないと書いてあった。ほんとうにそうなんだ。
綺羅は釈然としない気持ちの理由を探して、2000年代以降の高等教育史に関する本を読んでみることにした。教科書のコラム欄に「DQNネーム」という俗語に関する記事を見つけて笑ってしまった。そこに、綺羅という名前を見つけたからである。綺羅なんて、いまどき普通なのに。そう言えば二宮先生も1970年代には祐という名前がやや異様であったと言っていたな。時代は変わるものである。しかし、コラム欄は面白かったけれども、知りたいことは載っていなかった。そこで、二宮先生からもらった参考文献リストを見て、専門書を読んでみることにした。
2010年代の中頃から、すべての高等教育機関が「中期必達目標」を設定して、その目標を達成しなければ政府からの交付金が大幅に減額される制度が始められた。たしか高校の先生も話していた。この頃から高等教育機関は20世紀後半の社会主義諸国みたいになっていって、当時「目標必達主義」という言葉が流行語大賞にノミネートされたように生々しい現実よりも設定された目標こそが重視されるようになったんだ。そのなかで、多くの機関が掲げたのが「教育の質の向上」であった。最初に、語学に関する改革が始められた。それまでの語学の准教授、教授は二つに分けられることになった。半分はそのまま大学に残りつつ、語学ではなく、もともと専門としていた外国文学や外国史を教えることになった。そして、半分は解雇された。解雇されたなかで、それでも高等教育機関で教えることに拘った人びとは、新しくできた「語学教育方法カウンシル」において2年間の研修を受けて、カウンシルから派遣される先生になった。語学教育のスペシャリストになったんだ。このカウンシルのスペシャリストによる教育が産業界に絶賛されたらしい。そこで、次に、すべての講義に関する改革が始められた。「法学教育方法カウンシル」、「物理学教育方法カウンシル」、「スポーツ教育方法カウンシル」、「美術学教育方法カウンシル」…、あらゆる分野のカウンシルが立ち上げられた。従来どおり高等教育機関に所属して専門分野の研究、教育を行う学者、そして、カウンシルに移籍して研修を受けたうえでその分野の教育に関するスペシャリスト、それまでの学者はこのように二分された。
綺羅もまた、確かにカウンシルの先生は教え方が上手だと思う。二宮先生には少し疑問があるものの、下手とまでは言えないだろう。でも、ほんとうに何かが物足りない。二宮先生なんか、教えることばかりを仕事にしていて最先端の研究をもう25年間はしていないのだろう。それに比べて、大学の教授、准教授の話しには、まだ教科書、さらには専門書にも載っていないことが出てくるので、話術はあまり上手ではないものの面白く感じることがある。思い切ってある教授の研究室を訪問したとき、3時間かけて勉強の相談に乗ってくれたことがある。このことは、綺羅にとっては一生の思い出になりそうなのだ。
漠然とそんなことを考えつつ、今日の「日本高等教育史」の講義が終わった。次の講義は大学に所属する××教授の「大学経営論」である。綺羅は××教授の講義の方に魅力を感じるのである。でもまだ、二宮先生の講義と××教授の講義の違いをうまく説明できない。今度のレポートで書いてみようかな。