たったいま、一橋リアル熟議が終わりました。たまっている家事と雑文執筆を行いながら、インターネットによる中継を見ていました。部分的にしか見ていないので、とりあえず限定付きの感想です。生涯教育局ではなく、高等教育局が関与していたのは大きな誤算でした。大学の外部から教育内容、方法に介入するための梃子としてリアル熟議が利用可能であることが明らかになったのだと思います。最後には、「教育予算を獲得するので民主党をよろしく!」といった表明もあって*1、教育と政治との関係におけるあまりの緊張のなさが極めて気掛かりでした*2。とても危ない動向ですので、注視していくつもりです。
後は細かい点をいくつか挙げます。

  • 参加した学生、卒業生の皆さんは、将来の職業に「役立つ」教育、あるいは、顕在的で「わかりやすい」教育へのこだわりがとても強いように見えます。どうして、そうした立場からすればおよそ「役立たない」膨大な学問がいまだに大学に残されているのか、考えてほしいと思いました。
  • 参加していた学生、卒業生の皆さんのなかには、今日の議論が直接的に政策やカリキュラムに反映されること(≒副学長がその約束をすること)を期待している方がいました。しかし、それは企画者のねらいとはずれているかもしれません。
  • 参加していた卒業生の皆さんのなかには、企画者が言う「ホンネ」を語っていないように見受けられる方がいました。大学に対する組織コンサルティングのような語り口に、私は「ホンネ」を見出せませんでした。
  • 学部ごとに事情が大きく異なるので、議論がかみ合わないことが残念でした。
  • とりわけ教員が、学生を「優秀層」、「一般層」、「ボトム層」として単純に区分して議論を進めたのは妥当でしょうか。そんな簡単には決して区分することができない、もっと複雑な事情が学生集団の中にはあるはずです。そのことは、学生の皆さんじしんがよく知っていることなのだとも思います。
  • 長尾彰によれば「全責任は教職員」にあるそうです。それはどのような責任で、どうしたら果たすことができるのか、参加した皆さんは知るべきであったとも思います。
  • ほんとうに「おめでとうインパク*3」にしたいのであれば、途中で「落とす」仕掛けが必要でした。心理系の教員も参加していたようですので、そんなテクニックを利用しても良かったのかもしれません。

冒頭に書いたように、政治と教育とを安易に結び付けようとした点で、私はこの試みが成功であったとは思えません。今後、政治や行政の担い手から、学生の皆さんにとってはまったく好ましくない制度を強制されるようになるかもしれません*4

*1:文科省にとって熟議の目的は予算獲得にありますので、この表明は間違いではありません。ファシリテーターの雇用も継続できるのでしょう。

*2:もちろん、私は民主党ばかりを問題視するわけではなくて、たとえば、民間教育研究運動団体と共産党とのつながりにしても、同じ理由で危ういとみなします。

*3:私の友人の造語です。

*4:過去の事例では、CAPやGPAが該当するでしょう。