愛国心: 国家・国民・教育をめぐって (学術叢書)

愛国心: 国家・国民・教育をめぐって (学術叢書)

本日の研究会において、著者の市川昭午先生、そして、潮木守一先生の前で評を述べる機会に恵まれた。身のほど知らずの行いであった。レジュメの一部を晒しておく。関係者には要望があればレジュメを送付する所存である。

1. はじめに
愛国心をテーマとした既存の研究の問題点は次の指摘に示されている。「愛国心が多面性を有する問題であるにもかかわらず、そのある一面についての考察か、特定の視点や観点からの論考が大多数を占め、総合的な検討が不足している。例えばナショナリズム愛国心の問題を論ずるのは社会学者、歴史学者、教育学者などが多いが、そのほとんどは国際関係への目配りが欠けている」(p.2)。そこで、筆者は、これまでの愛国心に関する議論、愛国心の概念を整理したうえで、国家、国民、教育の3点について検討を加えている。ここでの教育の位置付けは「両者(評者註:国家と国民の両者)を繋ぐ媒体」(p.2)とされていることを予め確認しておきたい。本研究会は歴史、とりわけ50 年代から70 年代の歴史を対象としてきたことから、なるべくその時期に着目して、そうした媒体としての教育について考えてみたい。
(略)
3.3. 教育について(第5章について)
3.3.1. 中央教育審議会答申
まず、「期待される人間像」が「別記」という形式をとったことについて、その理由を共有したい。すなわち、1966 年「後期中等教育の拡充整備について(答申)」において、「期待される人間像」は本文に入れられることなく、「以下に述べるところのものは、すべての日本人、とくに教育者その他人間形成の任に携わる人々の参考とするためのもの」という位置付けであった(傍点は評者による)。そして、確かに同答申以降、天皇愛国心と結び付けることが少なくなっていく。1971 年「今後における学校教育の総合的な拡充整備のための基本的施策について(答申)」においては、天皇も愛国(心)も出てこない。愛に着目してみても、「自然と生命に対する愛と畏敬の念」、「自然と生物に対する愛情を育て、親密な家族生活の間におのずから人に対する敬愛の念と敬虔な心」という説明だけであって、国と結び付くことがない。一方、貝塚(2009, p.30)によれば、「期待される人間像」の内容は大正教養派の回顧主義であるとして、その後、ほとんど議論の対象にはならなかったものの、しかしながら、学習指導要領への反映や臨教審の議論に繋がっていったとする。筆者は「臨教審以降における愛国心の捉え方は、『国民実践要領』はもちろん『期待される人間像』と比べても違ってきており、天皇への敬愛ということが表面に出されなくなった」(p.300)と指摘している。天皇が出現しなくなる理由をわかりたいのである。
(略)
3.3.3. 愛国心教育と道徳教育
愛国心教育が重要視される第二の理由は、それが道徳教育の中でもその中核的部分とみなされることである」(p.345)と指摘するように、愛国心教育と道徳を切り離すことは難しい。しかしながら、本書では道徳教育についての言及が相対的に少なかった。その理由は、「道徳の時間」に関する学習指導要領やその実践にあまり変化がみられなかったということか、実はそれほど「道徳の時間」では愛国心が取り上げられなかったということか、あるいは、その他の理由があるのだろうか。
(以下略)

とりわけ、研究会に参加していた皆さんの議論から出てきた「経済ナショナリズム」概念の精緻化は面白かった。村上泰亮佐藤誠三郎を起点として、渡辺治に論点がつながっていったのは、私にとってはとてもスリリングであった。確かにある時期の教育諸学の一部は「企業社会論」の摂取に努めていたのであって*1、敵を国家ではなく企業社会に据えていた。右派も左派も同じものをみて同じようなことを語っていたというのは、なるほどそのとおりなのだと思う。敵であった企業社会が崩壊した焼け野原において、新たな敵は何になっているのだろう。
また、議論になった「滝山コミューン」についてはレジュメのなかで論点提起をしておくべきであった。反省点である。左派にとって共同体(国家?コミューン?)はどのような意味を持っていたのかという問いの提起は可能であった。「コミューン」体験については、私は80年代初頭の関東のある小学校で「集団づくり」指導を受けているものの(全生研の関わりのあり方についてはわからない)、転校先の関西のある小学校ではまったくそれがなかったという思い出がある。もちろん、関東、関西の相違ということではなく、小学校単位、近隣の教師サークル単位でその指導者がいたかどうかに拠るものであるのだろう。
30分しか参加できなかった研究会後の懇親会で印象に残ったのは、潮木先生の一橋の教育学(かつての「(官製)教育計画論」批判)に対する思いについてである。将来刊行されるであろう『一橋150年史』に掲載したい内容だった。そして、潮木先生が古市憲寿の論考をどのように理解すればよいか、現代の若者は古市の主張に納得するのか、当事者の意見を聞きたいというものである。現代の若者のどなたかに応答をお願いしたい。


潮木先生の「絶望」本と「希望難民」本に対する書評(リンク先PDF)
http://ushiogi.com/12-03-17huruichi.pdf



*1:学生の皆さんへ:近年、経営学者が唱える「企業社会論」とはまったく意味が異なります。経営学者がこの言葉を用い出したとき、なぜ左派の用語が持ち出されたのかと、私は訝しく思っていました。