今日の就職ガイダンス「『インターンシップ』プレガイダンス」では、10分だけ話しをさせて頂いた。最後に、就職支援企業の方のご講演があったのだけれども、ノートやメモを取る学生は少ないようだった。参考までに、私が取ったメモのうち講演内容に関するものを以下に残しておく。私がわからなかったこと、もう少し知りたかったことについては、別の機会に紹介しよう。

5月11日(水)13時40分〜14時25分(45分間)


皆さんにとって「キャリア・キャリアを積む」「社会人・はたらく」「就職・就職する」どんなイメージですか?


学生向け講座のアンケートから―多くの学生は働くことに対してネガティブに捉えている。


キャリアの語源:馬車の轍
自分自身の興味や能力、適性に気づくこと、そして、その気づきから夢をつくっていくことが重要
キャリアとは広義では人生の中で積み重ねてきたすべての経験


働くの語源:ハタをラクにすること
人のために動くこと、漢字を分解する


消費者から生産者にならなくてはならない
親御さんに食べさせてもらった、これからは自分で食べていく必要がある


自分自身のモノサシを作ること、それがシューカツ
自分に合う会社を探すこと、シューカツとは結婚と同じ、世の中には男性が半分、女性が半分、たった一人の相手を見つけるだけのこと


3年3割って聞いたことありますか?シューカツでしっかりとやらないと3年で失敗してしまう


新卒者に対して企業は人柄、意欲、潜在を最も重視する、世の中では珍しい新規一括採用を日本では行っている


SPI知ってますよね?
SPIは皆さんがぶち当たる最初の壁、企業はSPIのうち性格を重視している、茨城大学生は能力分野で落ちることはない、能力は半数以上に入っていれば問題ない


インターンシップとは
もともとアメリカから始まった、日本では文科省が単位化して特殊なことになった
インターンシップは試食である、行ってみないとわからない、食べてみないとわからない、行ってみて合わないことを知る


パラダイムシフト
子どもから大人へ、偏差値から自分のものさしへ


メリット
本番の選考の流れを体験できる、企業理解・業界理解、社会人として必要な基礎力が上がる、自己理解・成長、参加企業に就職したい場合に有利


社会人基礎力が高いことは採用される力が強い、トランファーラブルスキルがあるということ


インターンシップは勉強の機会といいながら、最近ではズバリ、採用選考のためにやっている、CSRという目的が薄れている


インターンシップ参加するしないにかかわらずせめてエントリーシートを夏休み前までに書いてみて
エントリーシートが一番大変、1つに2時間かかる、6月1日からオ*****がはじめる、共通のプラットフォーム、これを利用するのをお勧めします


社会人としての基礎力がわかる
性格というのは基本的にはそうそう変わらない
SPIの性格検査で見られる
面接では基礎力、コンピテンシー、エンプロイアビリティを見られる
 これらは上げられる
 お手元の資料で12の基礎力について、自分で1から5点で採点してみて
 去年のガイダンスでも自己採点してみた
 企業の人からも採点してもらい、自己認識、他者認識を知る
 インターンシップでは社会人基礎力を上げることを目的としよう


求人票に求めている能力が書かれているので、それと照らし合わせて会社を探そう


社会人基礎力は基礎学力と専門知識を高めるエンジン


日本という国は新卒というプラチナチケットを持ってどんなところにもいける
潜在能力で採用される、つまりアメリカとは違う


インターンシップ―社会におけるコミュニケーションを知る、プロの実力を知る、その仕事が担う本質を知る


2016年内定者の中にいたかどうか、インターンシップ参加者がいた企業は66.5%。前年度より20.1%増加


頭で考えていてもわからない。体験してその業界が合うかどうかを知る


2015年、2016年ともに1日のインターンシップが増えている
企業からすると夏休みの選考期間と重なってしまって、1週間、2週間のインターンシップができなくなっている


4年生のインターンシップは採用そのもの


インターンシップの枠は少ない
インターンシップに落ちても本番で通ることもある、けれども、インターンシップのほうが選考は緩い、先着順、抽選、選考なしも多い


2016卒学生は約半数がインターンシップ参加経験あり
今後は学生全員がインターンシップに参加するかもね、参加期間は1日が最も多い、通常の業務ではなく別の課題やプログラムが多い


インターンシップをやっていない企業でも問い合わせてみる、与えられる情報だけではなく自分で情報を取りに行く、シューカツと同じ
インターンシップに行くことでシューカツに有利になる、今日のガイダンスに出た人は理解できたはず


シューカツ失敗学生
自己理解が足りない、社会の構造を理解できていない、社会に出る覚悟が足りない、そもそも活動量が少ない
成功した学生は企業内でも活躍する、イヤイヤ入ったような会社ではぜんぜん伸びない


シューカツに成功するためには活動量を増やそう
俗に1社から内定を得るためには30社エントリーシートを書かねばならない、ここにいる皆さんは複数社から内定を取ろう、アッシー君、メッシー君になってもいい


6月1日からリ*******で情報収集ができる、特に大学の先輩がいる企業を選択してインターンシップに行ってみよう、先輩の言葉は非常にためになるよね、また、このシューカツコンテンツでは自分研究もできるような仕組みになっている、自分研究をするとお勧め企業が出てくるので便利


たとえ社会人基礎力がインターンシップで上がらなくても、今後の部活・サークル、アルバイトで上げられる

前任の日本工業大学においてチーム・ティーチングの一員として担当した「大学での創造的学び」等の初年次教育科目では、私がお声掛けした方だけで学外の研究者約20名にご参観頂いた。先週、ある美大の授業に関する記事をきっかけとして、どうしたわけかその感想をネット上で頂いたので紹介したい。




NITの授業見学から得たものは大きいとあらためて感じている。学生が「アクティブ」であることと教師の教授/提示行為の関係について以前より自覚的になった。
(匿名)



上から2つめの感想は美大の記事に関するものであるのだが、日本工業大学の初年次教育科目にも似ているという印象を持った。100〜300人の学生、数名の教員、数名の授業補助者(学外の、特にTA等の経験が豊かで教育に詳しい大学院生)が1つの教室にいる。教員、授業補助者たちはもちろん一言一句同じというわけではないけれども、しかし、進度が早過ぎる、早いことが必ずしも良いわけではない、じっくり自分で考える、他者に答えを求めないという趣旨のことを繰り返すことになる。このことは、教員、授業補助者が前もってそう言おうと決めた結果ではない。ただ、到達目標から逆算して考えた場合に、ほぼ毎回そうならざるを得ないというだけのことなのである。主体的に学習できるようになるということは、とりわけ高校まで要点プリント、穴埋め、暗記といった方法による学習で成功体験を積み上げてきた層にとってはそれほどまでに容易ではない。
惜しむらくは、「この授業には何の意味があるのかわからない」「プリントが配られないのはおかしい」という数名の学生やそれへの追従者による反対と、その反対をなぜだかネットスラングである「炎上」とラベル付けて行われた判断、教育諸学の研究者ではない他の教員に初年次教育科目を任せたいという意向等によって、現在この授業は存在していないとのことである。私としては「(授業の、または勉強そのものの)意味」とは何か、プリントがないのはなぜだという問いがせっかく学生から出てきたのであるから、それこそがまさにこの授業で問うことがらであり、とても素晴らしいという感想を持っていた。しかし、カリキュラムが窮屈な工学部としてはそうした問いを悠長に扱う時間はないようで、現在はこれとはまったく異なる、より「実学的」な初年次教育科目が元高校教頭の先生等によって進められているそうである。学生にとっては、FIYや日本語教育を専門とする大学教員よりも高校教諭の方が親しみやすいということでもあるのだろう*1。実際に親しみやすいかどうか、その親しみやすさには授業をやり過ごすことが簡単であるという意味がないかどうかについてはさておき、親しみやすさはユニバーサル段階における大学での重要な論点なのかもしれない。
ところで、私は2015年4月〜7月、100分×14回、授業をして(または、授業をしないふりをして)グループダイナミクスという言葉を思い出しながら教室で生じたことをただひたすらノートに取り続けていた。膨大な量のノートである。どちらかの出版社で本にするという構想はおそらくなくなってしまったのだろう。さて、このノートをどうしよう。

*1:大学に入学したのに高校教諭に教わるという疑問は残る。

4月27日(水)の「就職ガイダンス」でお話しすることになる二宮です。おそらく、みなさんはじめまして。
就職サイト運営企業の方によるガイダンスの前に、「『働くこと』を知る」というテーマで30分ほどお話しします。わずかな時間ですが、1.日本の組織における働き方の特徴、2.社会が若者に求めること、3.クイズ、4.多様なキャリア論、5.大学教育の効果、以上の豪華5本立てを予定しております。講義3回分(4時間半)ほどの内容を要約して紹介しますので、参加してみてよかったというお得感(?)があるはずです。なんとなく聞いたことのあるような仕事に関する様々な話題を、整理して理解することができるようになるでしょう。
当日、複数の文献を紹介します。それ以外のもので、かつ、茨大図書館所蔵の文献として3つだけ挙げておきます。シューカツのマニュアル本もいいのですが(一応、私は毎年のように購入しています)、こうした本を読んでみるのはいかがでしょう。

職場学習論―仕事の学びを科学する

職場学習論―仕事の学びを科学する

地方創生推進室に来て頂ければ、個人所蔵の本(シューカツ、キャリア、若者など)をお貸しすることもできますよ!なお、私の所属を間違えているチラシやポスターが出回っているようですので、お気をつけください。

現代若者の幸福―不安感社会を生きる

現代若者の幸福―不安感社会を生きる

古市自身は、若者の幸福感についていくつかの仮説を挙げているが、特に重要なのは次の2つだ。1つは、将来の見通しが暗いからこそ現在を肯定的に評価するようになっているのだ、というもの。もう1つは、彼らが身近な人間関係に幸せの源泉を求めるようになった、というものだ。
青少年研究会のデータ(若者調査)、中年調査)を用いて、この点を簡単に確認してみると以下のようになる(図表0.3〜0.5)。
(略)
青少年研究会の調査結果からは、古市の仮説のうち第一のものは棄却され、第二のものが採択されることになる。より詳しくいえば、
(1)若年・中年ともに将来展望の明るさは生活満足度と正に関連(したがって古市の第一仮説は棄却される)
(2)若年・中年ともに将来展望のみならず現在の暮らし向きも生活満足度と正に関連(経済的要因の強さ)
(3)若年においてのみ友人関係は生活満足度と正に関連(古市第二仮説と合致、ただし減点方式)
(4)若年においてのみ家族関係は生活満足度と正に関連
比喩的にいえば、
 若者の生活満足度=経済的要因(将来+現在)+親密性(友人+家族)
ということであり、古市の仮説はこのうち「友人関係」に力点をおいたものとみることができる。


浅野智彦「序章 青少年研究会の調査と若者論の今日の課題」pp.14-17

編著者が実施してきた質問紙調査の結果によると、古市憲寿(2011)『絶望の国の幸福な若者たち』で示された仮説は、肯定されるものと否定されるものがあるとのことだ。将来に展望がないからこそ現在に満足するという「目から鱗」のような捻られた仮説―それは、たとえば大学の初年次ゼミで検討の対象となるような仮説である―は妥当ではなく、将来の見通しが明るいことも現在の暮らし向きも良いことも、友人関係、家族関係が良いことも現在の満足に正の関連があるという、いさかか常識的な結論が得られるようだ。
さて、古市(2011)についての学者によるブログ書評があったはずだと思い、読み返してみる。


http://d.hatena.ne.jp/morinaoto/20120307


長いわっ!昼休みの10分で読もうと思っていたのだが、到底無理であった。しかもブログを検索して出てきた巨大掲示板の匿名コメントも思わず読んでしまって余計に時間がかかってしまった。それはさておき、同ブログで指摘されている質問紙のキャリーオーバー効果について、青少年研究会の調査はどのように考えればよいだろうか。


http://jysg.jp/research.html


生活満足度に関する問いは Q44のa) であった*1。質問紙は、はじめに「音楽とのかかわり」を、続いて「携帯電話などのメディア」「人間関係」「自分に対する見方」を尋ねている。そのうえで、「生活や社会に対する意見」を尋ねていて、その中に Q44 が置かれている。私は最初の質問が音楽についてであり、しかも、細かく尋ねているので戸惑ってしまった。しかし、先のブログで述懐されているかつての社会調査で問われた「生活状況のリアリティ」を明るみにするために、現代ではまず先に音楽の指向を尋ねる必要があるのかとも思い勉強になったのである。

*1:質問紙全体は18ページでまとまっていて、やや多いかとも思うものの参考になる。

お忙しい方は文章を読む時間がないだろうし、かつて所属した工学部では教員であっても短い文章(メールであれば3行以内)しか読む習慣がないということをお聞きした。そこで、エグゼクティブ・サマリーとして書いておく。
数年前に携わった仕事の一つにGPAを卒業要件に課す制度の導入というものがあった。この制度は、


「教育の質保証とは卒業する学生の質を保証するという意味だ」という誤解


に基づいたものであった。そこで、私はそうした残念な誤解によって導入される制度の危うさを指摘しつつ、制度がもたらす悪影響をなるべく減らす仕組みづくりを行っていた。それは、


「教育の質保証とは端的に言えば、大学における教育活動を大学内部や大学外部から評価して向上させる仕組みである」


という理解に沿って進めた仕事である。FDやIRもこの考え方に応じたものであって、そこに「学生の質を保証する」などという厄介な目標が加えられることはない。
他方、仄聞する限りでは、GPAを卒業要件に課す制度は廃止されるようである。その理由は第1に、4学期制/1講義2ヶ月間制の導入によって、GPAがそのねらい通りに機能するために必要な履修撤回の時間がないことや、教務の手続きが間に合わないこと、第2に、学生が難しい講義を履修することを避けるようになった弊害をあらためる必要があることらしい。しかし、これらは導入前から想定されていたことにすぎず、実際には他に理由があるのではないかと考えている。また、わずか4年、在学中に教務に関する重要なルールが変更されることによって不利益を被ったのは誰か。それは、このエグゼクティブ・サマリーではないところで書く予定である。