授業中にその授業の単位取得とは直接的な関係がない試験や検査を行う場合、必ずしもその目的は「よい点数」を取得することだけではない。試験や検査を受けることそのものが目的となることがある。
そこでは、

  • 保護者や教員に任せることなく自ら当該試験や検査の受験申し込みの手続きを済ませること
  • 受験のための準備学習を自ら計画的に行うこと
  • 遅刻せずに指定された受験会場にたどり着くこと
  • 会場では受験のための身支度を整えること(ケータイなどの電子機器の電源を切ってカバンにしまう、受験票と筆記用具を机の上に置く、カバンは開口部がないようにして床の上に置く、私語はなるべく慎むなど)
  • 受験中はたとえ全問解いてしまっても最後まで見直しを怠らず、決して伏せたり寝たりしないこと

こうした下位の目的を含んでいる。これらは、たとえば公的資格試験や塾・予備校の模擬試験で慣れてしまえば当然であるものの、場合によっては明示的に教わらなければとても難しい行動である。どんなひとでも確認が不十分であるために間違えた場所に行ってしまうことがあるだろう。そして、もし、「よい点数」を取ることだけが目的であると理解するならば、こんな当たり前のことを言うことに意味はないと思えて、細々とした指摘に呆れてしまうかもしれない。しかし、授業によってはそうした「あたりまえ」の知識を身につけることが目的となることがある。
そして、そんな指摘をするとき決して語気を強めない。それは、その場限りで他者に従う姿勢を身につけるという、本来の目的とは逸脱したことになるからである。また、授業であるから失敗を取り戻すことができるような仕掛けを設けておく。ありていに言ってしまえば、単なる授業にすぎないのだから失敗はまったく構わないし、むしろ、失敗することが良い経験になることもある。学習計画の作成や意欲の喚起を保護者や教員に依存し続けた結果、大学1年生で何らかの失敗をするというのはどの大学でも、選抜性が高い大学でもみられることである。もちろん、そのためには試験や検査の場合であれば再受験を可能としておかなければならない。
教育の目的と方法に関する議論は常に錯綜する。とりわけ、他者のそれを垣間見ようとする場合、誤解が解消されずに意見がすれ違いになることがある。気をつけよう。