「現在の大学のありかたをめぐる議論は,ダイエーの作った流通科学大学や,日通の作った流通経済大学がどれほど経済界から高い評価を受けているのかを検証すればよい。(@jnnNishiyama)」





検証というほどではないけれども、ウェブサイトの一部を見てみよう。


流通科学大学
流科大の高い就職率
産官学連携―活動実績一覧
産官学連携―受託一覧


流通経済大学
卒業生たちの活躍が、業界から高い評価を得ています。
物流科学研究所
ロジスティクス産官学連携コンソーシアム


もちろん「内定率」という言葉には一定の留保を伴う理解が必要ではあるけれども良好な数値であろう。4年卒業・就職率(大学院進学を母数から除く)は京都大学よりも高いかもしれない。また、規範的評価、価値判断は脇に置くとして産学連携も活発であるようだ。
もし、(混乱の最中にある)人文系学部不要論を主張する一部の産業界を批判したいという意図があったとするのならば、まさしくその人文系知識をめぐる「階級(・階層)と文化」に関する社会学的問題を提起されよう。東北大学/古河、九州大学/古河、成蹊大学/三菱、東京都市大学武蔵工業大学)/東急などを挙げないことからも、以下の議論を思い出しつつ*1その検証せよという提言のねらいに不信感を持ってしまうのである。

学校的認識を表現し、実践の中でそれを構造化している評価用語は、支配者の評価用語を無色化し、見分けがつかなくなるような形式、すなわち、表現が婉曲になった形式をとる。その編成は共通に配分された資質の階層に従っており、被支配者(「大衆」)には、「自主性の欠如」「下品」「鈍重」を配分し、中間的位置を占めている者(「プチブルジョワジー」)には、「矮小」「偏狭」「凡庸」「良心的」「まじめ」等々を、支配者には、「誠実」「雄弁」「豊かさ」「自在な余裕」「要領のよさ」「洞察力」「才気」「精緻」「知性」「教養」などを配分するのである。学校的評価用語は、実践状態における分業と世界観の原理的体系であり、卓越性に内在する定義に依拠している。すなわち、社会的に支配的な位置にいる人々に対して社会的に配分された資質を優れたものとすることによって、彼らの存在の態様とその身分を神聖化する定義である。
『国家貴族1』72頁







人文系知識の担い手による医歯薬理工学的な価値に対するまなざしと、経済的(商売的)な価値へのそれ、大学の価値へのそれが似ているということだろうか。正式な検証の結果を待っている。

*1:専門家の方は和訳に関する「卓越性」を持ち出してくださいね(にっこり)