以前にも書いたテーマを再び繰り返す。
修士課程の頃、高等教育懇談会が当初の大学拡充方針を抑制へと転換した理由を調べていたのだけれども、結局明らかにすることができなかった。修士論文では産業界の要請説を取り上げたものの、また、その後の研究では放送大学構想の影響説を考えたものの、なおもやもやとするにとどまった。小林雅之や橋本鉱市の研究からも、なかなか明確な答えを得ることができない。


矢野眞和は次のように説明している。

進学率が止まった現象を解説した新聞・雑誌等では、しばしば「大学離れ」の時代が来たと論評されていました。大学離れが起きたのは、大学が多すぎるという世論の反映だというわけです。
(略)
潜在的な大学需要がありながら、なぜ、進学率が止まったのでしょうか。答えを出すのを長く引っ張ってきましたが、決定的な理由があります。進学率は止まったのではなく、政府が止めたのです。
(略)
大都市に大学をつくることを禁止した計画によって、大学進学率が止められましたが、そのような計画を中止した理由が、「高成長の終わり」と「大学過剰という国際世論」です。
182-184頁



確かに、高度成長は終わったし、教育投資論の見直しに関連して国際的に大学過剰論は流行していた。しかし、それらは現時点になって判断できる後付けの理由ではなかろうか。74年〜76年の時点で、大学進学率の上昇傾向を抑える必要がある、そのための政策を早急に作らなければならないと考えさせるほど、切迫した認識があったのだろうか。なお、あまり納得できないのである。
修士論文で書いた結論は、この抑制政策の意図せざる結果である。大学進学者の数が抑えられたために、一方で大学入試に向けた「閉じられた競争」が厳しくなる、他方で大卒就職問題は生じない―青田買い、指定校問題以外には。修士論文を思い出して恥ずかしくなってきた。もう一度修士論文を読んでみようかな…(泣。