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田中真理・池田忠義・堀匡・佐藤静香『学生のための心理・教育的支援』東北大学高等教育開発推進センター


大学への「適応」を個人の心理的な課題としてのみ捉えようとする傾向には注意しなければならない。それも重要であるのと同時に、そもそも大学特有の文化が「適応」を阻んでいるのかもしれないし、「適応」しないという価値を認めることも必要だろう。
と言いつつも、このPDブックレットは学ぶべきことが多い。特に、友だちづきあいについては、「じぶんのことが書いてある」と思う学生も少なくないのではないだろうか。

Bさんは、もともとやや控えめなところがありましたが、地元を離れ、知り合いが誰もいない今の学部に入学しました。それだけに、入学直後から新しい友だちを作ろうとして同級生たちとも頑張って話をするように心がけ、電話番号やメールアドレスも交換しました。また、クラスの友だちの誘いに応じて、その友だちと同じサークルにも入りました。周りの人たちは、みな明るく積極的であり、みんなで一緒に食事をしたりおしゃべりをしたりするのは、最初、とても楽しいことでした。
しかし、友だちから誘われるとなかなか断りづらく、授業の準備の時間や一人でゆっくり過ごす時間が少なくなってしまった上、友だちの中ではいつも明るく振る舞っていなければいけないことに苦しさを感じるようにもなりました。しかし、そうしたことをはっきり言うと、友だち関係が悪くなるように思えて、なかなか言い出すこともできませんでした。こうして、表面上は周りに合わせつつ、心の中では負担感を強める状況になっていました。
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最近であれば、大学に入学してからのSNSデビューも含まれるはずである。SNSにおけるコミュニケーションはほんとうに面白いのと同時に、煩雑で疲労するものである*1。筆者も指摘するように、1年生の初期に友だちを作れるかどうかが学生生活の「死活問題」であるというのは誤解であって、実は3年生になってから、4年生になってから、じぶんの性格に合った新たな友だちとの出会いの機会は数多く存在している。その出会いは入学時点でサークルに勧誘される際の高揚感に基づいたものとはまったく異なるだろう。また、新しい友だちをたくさん作って「ウェーイ」と騒がなければならないといった大学の文化を相対化することも必要な作業である。
「適応」を括弧書きにしなければならない理由については、大学に対する言わば過剰適応の問題として小論を書く所存である。いつものように、この着想は教養ゼミナールにおける皆さんの議論によるものである。ありがとう!

*1:私は「ツイ廃」ではないです、たぶん(笑。