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昨日のエントリの続きである。
その仕事の依頼先では、日本の大学の研究政策史について報告したことがある。教育学のベテラン研究者による怒りに満ちた質疑は、「教育政策の定義を答えてみよ」、「ここは教育政策を研究する場であって、こんな報告は心得違いだ」というものであった。「権力によって支持された…」とか、「はい、申し訳ございません、場違いでした」などと言わせたかったのだろう。しかし、私の報告内容からすれば、その質問に応答する義務を感じなかった。それらの質疑には直接の応答をせず、大学における教育と研究の間の不即不離といった論点について、報告の理解を深めるための補足説明を行った。彼ら/彼女らは、大学における自らの日々の営みに関して、教育と研究を切り離したものとして理解しているのだろうか。こうしたことから、教科教育、史・哲(史はまだ大丈夫、とりわけ哲)に対する苦手意識はますます強まってしまった。この領域の出身者と話しをすると、いまだに緊張してしまう*1
このような経験は私だけがしているわけではない。特に、近年、新しい手法を取り入れつつある行政の研究者は、同じような経験をしているはずである。若手の会員の割合が極めて少なく、また、入会してもすぐに退会してしまうという状況―退会届を出す積極的なexitもあれば、会費を支払わない消極的なexitもあるようだ―が続いている理由は、現在の民間教育団体の多くと同じ問題を抱えているからなのだろう。




今後しばらくは、この話題に触れることはありません。関心のある方は、酒食にでも誘って頂ければ、もう少しだけお話しします。

*1:こんな野放図なエントリを2日続けて書くことができるのは、私が一橋の出身だからである。尚志や茗渓、あるいは、本郷の院生は決して真似をしてはいけない。