冬学期の「学生生活の技法」は、第2講義棟3階の310教室で行われます。10月7日(木)の初回オリエンテーションで、履修に関する注意事項の説明があります。履修を希望する場合、必ず出席して下さい。
この授業は、1年生に履修を勧めています。開講時限を5限としている理由は、1年生の必修科目と重ならないようにしているためです。学生生活の早い段階で、理解するべきこと/しておいた方がよいこと、をテーマとしています(2、3、4年生の履修もまったく構いません)。ぜひ、オリエンテーションを覗いてみて下さい。
追記:なぜか、私のブログが ESD関係のツイッターに登場することがあります。
http://twitter.com/ESDJHub
私は、ESDの関係者ではないことを申し上げておきます。また、勉強不足のため、ESDが重要であるような印象を持っていますが、同じ程度に、人権教育、消費者教育、性教育、こころの教育、宗教教育、異文化教育、ケータイリテラシー教育、労働者の権利を理解させる教育、PDCAサイクルを回すキャリア教育、21世紀のグローバル競争を勝ち抜くための起業家教育、君が代を大声で歌って首長を満足させる教育、ジェンダー教育、ジェンダーフリーバッシング教育…、も重要なのかもしれません。また、ESDが重要ではない、不要、害悪だとか言うのと同じ程度に、それらの教育も重要ではない、不要、害悪なのかもしれません。つまり、教育機関において何が教えられるべき知識で、何がそうではないのかは、また、何が教育の対象で、何がそうではないのかは、実は社会的に…、みたいな話しは、どこかの講義で扱います*1西日本の大学では人権啓発教育の講義をよく目にするわけですが、東日本の大学ではあまり見かけることはありません。一橋では皆無です。こうした違いがどうして生じるのかを理解するためには、ある種の学問の考え方を身に付けるが必要になります。
「教育」とか「子ども」とかが持ち出されて、個人所有の里山を守ろうといった運動がある場合に、里山の売却代金を奨学金として寄附してもらった方がいいのでは、と受け入れられなさそうな対案を出してみることも大事です。嗚呼、どこか白熱教室の講義に引き摺られている…。
*1:もうひとつ、教育できることとできないことの区別を検討する必要があります。たとえば、みなさんは、中学生のときの職場体験学習でほんとうに勤労観が養われましたか、疑わしいのではないでしょうか。教育委員会による職場体験学習の手引きは麗しいわけですが、必ずしも皆さんの実感に合うものではないでしょう。また、近年よく聞くことで言えば、中国の愛国心教育・反日教育の成果が今まさに発揮されているといった話しも、眉つばものだと思います。もちろん、それで愛国心が養われる人びともいるのでしょうが、その一方で親日的な人びともいます。そうした教育がほんとうに成功しているのであれば、とりわけ愛国心を重視して日本の教育を憂える人びとは、フィンランドではなく中国にそのモデルを求めればいいわけです。しかし、仮に中国モデルを研究したとしても、なんとか観やなんとか心の教育は、そう簡単ではないだろうと思います。