大学評価と「青年の発達保障」 (大学評価学会・シリーズ「大学評価を考える」)

大学評価と「青年の発達保障」 (大学評価学会・シリーズ「大学評価を考える」)

山梨学院大学の児島功和先生からお送り頂きました。ありがとうございました。


目次
まえがき―学生の育ち・学びを支える大学教育・大学政策・大学評価を目指して― 川口洋誉
第1章 青年期教育としての大学教育を拓くための研究課題―発達心理学の観点からノンエリート青年の発達保障と大学教育を考える― 西垣順子
第2章 大学の大衆化と大学・高等教育政策の展開 中嶋哲彦
第3章 大学生活と経済的困窮 小島功
第4章 学校と職業の間で―短期大学教育実践報告― 古里貴士
第5章 障害学生支援の動向と展望―豊かな青年期の保障に向けて― 金丸彰寿
あとがき 西垣順子

また、注目したいのが、経済的に困窮する大学生の見せるまじめさである。奨学金を受給することや学費を自己負担することそれ自体がまじめさを促しているのだとすれば、奨学金や学費自己負担は教育社会学でいうところの「隠れたカリキュラム」として機能しているともいえる。いわば貧しさが大学生を学業へと疎外しているともいえるのではないだろうか。冒頭1節で述べたように、大学学部(昼間部)の奨学金受給者割合は全学生の半数に達しているなど、経済的にゆとりのない大学生は増加傾向にある。奨学金問題対策全国会議編(2013)は卒業後に返済が求められる多額の奨学金を多くの学生が受給するリスクを指摘しているが、奨学金を借りることが大学生活それ自体に与えるリスクもあるのではないだろうか。「奨学金を受給し、学費を自己負担する大学生は学業に対してまじめでよい」という素朴な話ではなく、経済的な困窮が何らかの形で大学生活の可能性を縮減、言いかえれば、大学生を委縮させている可能性もある。
第3章、61頁

そもそもまじめな性格であるがゆえに「奨学金受給・学費自己負担」のうえで大学に進学して積極的に学業に取り組む学生がいるということなのか、「奨学金受給・学費自己負担」という経済的な負担こそが学生の性格にかかわらず学業に向かわせるということなのかについては、データの制約上わからないことではある。筆者は後者の可能性が高いと判断しているようで、似た事例を思い起こせば確かに米国における高い授業料、本人負担(学費ローン)、学業への積極性の関係はそうした理由で説明されることがある。今後のさらなる分析が待ち遠しい。
また、上記引用の「可能性の縮減」というのは、課外活動によって学生は「成長感覚」を得られることがあるとされる一方、学費を稼ぐために働かざるを得ない学生はその機会を失っているというのが一つの事例である。課外活動というと教職員のみならず学生からも「ウェイ」や「ワンチャン」(こんなスラング、もう古いか?)などと揶揄されることもあるけれども、企業が新卒者の採用活動で重視することもあるといわれるように(それはそれで別の問題もあるのだが…)、この雑誌の発行元である学会のねらいにあるような発達保障という点でとても大事なのであろう。大学が学生の「居場所」になることに失敗し、授業を受けるだけの通過点にしかなっていないことの問題点はこれまで様々な関心から指摘されてきたことである。経済的な困窮が大学の授業以外の経験へ影響を与えることについて、残された課題は多いはずだ。

昨日の就職ガイダンス「『インターンシップ』と就職活動」は先週と同内容で、別の就職支援企業の方にご講演頂くというものであった。私は時間を15分頂いて、大学での学びとインターンシップを結びつけることに関する手掛かりを紹介した。今回は事前の案内もあったためか、2、3割の学生がノートやメモを取っていた。それを見て、インターンシップが実質的に始まっているような印象を持った。
以下、私が取ったメモである。前回も含めて私がもう少し知りたいことの一つは、多くの学生がインターンシップに行くのは1社だけであるのにもかかわらず、志望企業への向き不向きがわかるようになるという理由、就職活動の際にエントリーシートを丁寧に書けるようになるという理由である。「社会人基礎力」のうち「考え抜く力」が発揮されれば、この理由は明らかになるだろうか。なお、「社会人基礎力」そのものを「考え抜く力」で考えた私なりの結果については、4月にお話ししたとおりである。

5月18日(水)13:45-14:25(40分間)


マ*の登録カードすでに提出しましたか?マ*がインターンシップ応募書類提出率ナンバーワン


インターンシップとは?説明しろと言われたらわからないのでは、就業のプレ体験、簡単に言えば、試しに会社で働いてみること
5年スパン、10年スパンで働くことを考えるとインターンシップは重要


いちばん最初に入った会社で長く働くことが皆さんにとって大事、しっかりとインターンシップで学んで、早期離職(3年3割)とならないようにしよう


企業・業界研究ができる、自分の適性を知ることができる、職業選択の視野が広がる、早い段階で就活の実践経験を積める、本選考のアピールポイントになる


文科省から企業、大学へ採用と選考を切り離すように言われている、経団連も同様に切り離せと言っている、しかし、どこの世界にもウラオモテがある、一部企業は、直接的に選考しているわけではないが、優先的に説明会の案内を出したり、何かしら有利になるような配慮をおこなったりすることがある、それらはネットのシューカツサイトには書いていない


インターンシップには役立つという学生の感想が多い。インターンシップに参加して嫌になっても、その企業を避けられるという意味で役に立ったことになる


志望動機が書けるようになる
エントリーシートはだいたい企業(その商品、サービス)を褒め称える内容にしかならない、だから私は働きたいと言われても企業にとってメリットはない、買ってくれるお客様でいてくれればよい、皆さんは、そうではなくて、その企業で何がしたいのかを伝えなければならない


インターンシップに行くことで、リアルな目線で志望動機を書けるようになる、利益を生み出す仕組みがわかる、企業でできることがわかる


インターンシップ参加者の内々定の確率は、どの属性をみても高くなっている


インターンシップの最新トレンド、6月下旬〜7月上旬にかけて大手企業の夏のインターンシップ募集がピークになる


昨日、東京大学インターンシップのガイダンスをしてきた、自動車メーカーはインターンシップの締め切りがとても早い、などについて教えてきた


サイトを使い始めたら、まず締め切りを確認することが大事
インターンシップは8月、2月が多い。8月のほうが日数が長く、濃密な経験ができる、2月は1日、2日が多い
インターンシップの選考に落ちても、就職活動で落とされるわけではない。インターンシップにエントリーすることでマイナスになることは何もない。インターンシップに重複応募して、どれかをキャンセルすることになっても何も問題はない。しっかり連絡を入れればよいだけ。


以前の参加率2割、3割の時代は「意識高い」系学生のものであったが、6割をこえたこの2、3年では一般的なものになりつつある。今後、8割程度まで上昇するだろう。


インターンシップに参加するために必要な準備とは?情報収集、応募書類
サイトへの登録カードは難しいものではない、濃くしっかり記入


最後に皆さんへアドバイ
例年旅行会社の人気が高い、しかし実際のイメージと実際の仕事はかなり異なっている(トラブル対応、ミス対応、クレーム対応)、正確な状況把握、冷静沈着であること、精神的にタフであることが求められる、消費者目線ではいけない、生産者目線にならなければならない


インターンシップで就職活動を有利にするという目的を持ってよい、コミュニケーション能力、主体性が大事(自分で考えて自ら行動する力、企業に入って活躍してくれそうなこと)


インターンシップの参加率が上がっているので、参加しないとかえってその理由を問われることにもなる

文系修士課程院生の進路をテーマとして、6月の大学教育学会と9月の教育社会学会で発表を行うべく準備を進めている。ところで、院生の「能力獲得」については2つの異なる意見があるようで困惑している。
一つは次のような意見である。


http://d.hatena.ne.jp/naokimed/20091021/1256073568

大学院で研究を行う上で最低限必要な能力というものがあるはずですが、それとは社会科学の場合であれば表題に挙げた3つかなと思います。これらの3つはいずれも、20代前半くらいまでに身に付けないとその後はなかなか身に付きません。身に付けようと努力したけれど身に付かなかった人は、少なくとも研究者への道はあきらめるしかありません。
(上記ブログより)

私がかつてそうであったリカレント院生(?)ではダメだということになる。これを証明する根拠があるのかどうかはわからないのだけれども、また、自分の人生以外はどうしても否定したいという誤りゆえのことなのかわからないのだけれども、皆さんは同意なさるのだろうか。私じしんがその証拠事例だというご指摘はどうかご容赦を(笑。
そして、もう一つは次のような主張である。


https://twitter.com/eliassien/status/729102946617556992
https://twitter.com/eliassien/status/729105487740833793



努力の「見返り」は必ずしも約束されるわけではないという点は共通する一方、学ぶことで成長する時期は人によって違うのだという点で異なっている。
私の狭い経験の範囲内、バイアスのかかった認識では、前者に沿わない事例を複数知っている。特に私の分野ではリカレント院生(?)を経て研究者となった事例は少なくない。大学職員から院を経て博士号を取得するとか、民間から院を経て高名な研究者になるとか、よく聞く話しなのである。ここではお一人お一人の名前を挙げることはしないけれども、同業者の皆さまは複数の方のことを思い出せるであろう。この理由は当該分野が「社会科学」ではないからなのか(え、そうなのか)、あまりにも特殊なのだからなのか。
職業研究者になるかどうかはともかく、大抵は大学院で苦労するし、しかし、その程度は人により異なるのだけれども少なくとも成長しないわけではないというような印象を持っている。また、そもそも、成長の程度はその努力の程度だけではなく様々な環境にも大きく影響される。たとえば、アルバイト、家族の介護や看護などに時間を取られてしまう院生、学部生や中高生の頃に研究に関連することがらにあまり触れる機会がなかった院生、そして、数年前の高等教育学会で発表したことで言えば院が小規模だったり地方にあったりしてピア・グループに所属できない院生は大変だろう。それぞれの主張をなさったお二人に対して、これまでに各所で提起されてきたメリトクラシーの論点をふまえつつその妥当性をあらためてお尋ねしてみたい*1
ともあれ、このテーマはあまりにも根拠がなさすぎて、このエントリにしてもほぼ経験談しか語っていない。2回の学会ではこれらに焦点を絞った発表になるわけではないものの、少しだけ関連するので考察を深めておきたい。

*1:二宮科研の皆さま、さらにこれに関連して。アカデミズムにおけるメリトクラシーも隠れたテーマですね、はい。

今日の就職ガイダンス「『インターンシップ』プレガイダンス」では、10分だけ話しをさせて頂いた。最後に、就職支援企業の方のご講演があったのだけれども、ノートやメモを取る学生は少ないようだった。参考までに、私が取ったメモのうち講演内容に関するものを以下に残しておく。私がわからなかったこと、もう少し知りたかったことについては、別の機会に紹介しよう。

5月11日(水)13時40分〜14時25分(45分間)


皆さんにとって「キャリア・キャリアを積む」「社会人・はたらく」「就職・就職する」どんなイメージですか?


学生向け講座のアンケートから―多くの学生は働くことに対してネガティブに捉えている。


キャリアの語源:馬車の轍
自分自身の興味や能力、適性に気づくこと、そして、その気づきから夢をつくっていくことが重要
キャリアとは広義では人生の中で積み重ねてきたすべての経験


働くの語源:ハタをラクにすること
人のために動くこと、漢字を分解する


消費者から生産者にならなくてはならない
親御さんに食べさせてもらった、これからは自分で食べていく必要がある


自分自身のモノサシを作ること、それがシューカツ
自分に合う会社を探すこと、シューカツとは結婚と同じ、世の中には男性が半分、女性が半分、たった一人の相手を見つけるだけのこと


3年3割って聞いたことありますか?シューカツでしっかりとやらないと3年で失敗してしまう


新卒者に対して企業は人柄、意欲、潜在を最も重視する、世の中では珍しい新規一括採用を日本では行っている


SPI知ってますよね?
SPIは皆さんがぶち当たる最初の壁、企業はSPIのうち性格を重視している、茨城大学生は能力分野で落ちることはない、能力は半数以上に入っていれば問題ない


インターンシップとは
もともとアメリカから始まった、日本では文科省が単位化して特殊なことになった
インターンシップは試食である、行ってみないとわからない、食べてみないとわからない、行ってみて合わないことを知る


パラダイムシフト
子どもから大人へ、偏差値から自分のものさしへ


メリット
本番の選考の流れを体験できる、企業理解・業界理解、社会人として必要な基礎力が上がる、自己理解・成長、参加企業に就職したい場合に有利


社会人基礎力が高いことは採用される力が強い、トランファーラブルスキルがあるということ


インターンシップは勉強の機会といいながら、最近ではズバリ、採用選考のためにやっている、CSRという目的が薄れている


インターンシップ参加するしないにかかわらずせめてエントリーシートを夏休み前までに書いてみて
エントリーシートが一番大変、1つに2時間かかる、6月1日からオ*****がはじめる、共通のプラットフォーム、これを利用するのをお勧めします


社会人としての基礎力がわかる
性格というのは基本的にはそうそう変わらない
SPIの性格検査で見られる
面接では基礎力、コンピテンシー、エンプロイアビリティを見られる
 これらは上げられる
 お手元の資料で12の基礎力について、自分で1から5点で採点してみて
 去年のガイダンスでも自己採点してみた
 企業の人からも採点してもらい、自己認識、他者認識を知る
 インターンシップでは社会人基礎力を上げることを目的としよう


求人票に求めている能力が書かれているので、それと照らし合わせて会社を探そう


社会人基礎力は基礎学力と専門知識を高めるエンジン


日本という国は新卒というプラチナチケットを持ってどんなところにもいける
潜在能力で採用される、つまりアメリカとは違う


インターンシップ―社会におけるコミュニケーションを知る、プロの実力を知る、その仕事が担う本質を知る


2016年内定者の中にいたかどうか、インターンシップ参加者がいた企業は66.5%。前年度より20.1%増加


頭で考えていてもわからない。体験してその業界が合うかどうかを知る


2015年、2016年ともに1日のインターンシップが増えている
企業からすると夏休みの選考期間と重なってしまって、1週間、2週間のインターンシップができなくなっている


4年生のインターンシップは採用そのもの


インターンシップの枠は少ない
インターンシップに落ちても本番で通ることもある、けれども、インターンシップのほうが選考は緩い、先着順、抽選、選考なしも多い


2016卒学生は約半数がインターンシップ参加経験あり
今後は学生全員がインターンシップに参加するかもね、参加期間は1日が最も多い、通常の業務ではなく別の課題やプログラムが多い


インターンシップをやっていない企業でも問い合わせてみる、与えられる情報だけではなく自分で情報を取りに行く、シューカツと同じ
インターンシップに行くことでシューカツに有利になる、今日のガイダンスに出た人は理解できたはず


シューカツ失敗学生
自己理解が足りない、社会の構造を理解できていない、社会に出る覚悟が足りない、そもそも活動量が少ない
成功した学生は企業内でも活躍する、イヤイヤ入ったような会社ではぜんぜん伸びない


シューカツに成功するためには活動量を増やそう
俗に1社から内定を得るためには30社エントリーシートを書かねばならない、ここにいる皆さんは複数社から内定を取ろう、アッシー君、メッシー君になってもいい


6月1日からリ*******で情報収集ができる、特に大学の先輩がいる企業を選択してインターンシップに行ってみよう、先輩の言葉は非常にためになるよね、また、このシューカツコンテンツでは自分研究もできるような仕組みになっている、自分研究をするとお勧め企業が出てくるので便利


たとえ社会人基礎力がインターンシップで上がらなくても、今後の部活・サークル、アルバイトで上げられる

前任の日本工業大学においてチーム・ティーチングの一員として担当した「大学での創造的学び」等の初年次教育科目では、私がお声掛けした方だけで学外の研究者約20名にご参観頂いた。先週、ある美大の授業に関する記事をきっかけとして、どうしたわけかその感想をネット上で頂いたので紹介したい。




NITの授業見学から得たものは大きいとあらためて感じている。学生が「アクティブ」であることと教師の教授/提示行為の関係について以前より自覚的になった。
(匿名)



上から2つめの感想は美大の記事に関するものであるのだが、日本工業大学の初年次教育科目にも似ているという印象を持った。100〜300人の学生、数名の教員、数名の授業補助者(学外の、特にTA等の経験が豊かで教育に詳しい大学院生)が1つの教室にいる。教員、授業補助者たちはもちろん一言一句同じというわけではないけれども、しかし、進度が早過ぎる、早いことが必ずしも良いわけではない、じっくり自分で考える、他者に答えを求めないという趣旨のことを繰り返すことになる。このことは、教員、授業補助者が前もってそう言おうと決めた結果ではない。ただ、到達目標から逆算して考えた場合に、ほぼ毎回そうならざるを得ないというだけのことなのである。主体的に学習できるようになるということは、とりわけ高校まで要点プリント、穴埋め、暗記といった方法による学習で成功体験を積み上げてきた層にとってはそれほどまでに容易ではない。
惜しむらくは、「この授業には何の意味があるのかわからない」「プリントが配られないのはおかしい」という数名の学生やそれへの追従者による反対と、その反対をなぜだかネットスラングである「炎上」とラベル付けて行われた判断、教育諸学の研究者ではない他の教員に初年次教育科目を任せたいという意向等によって、現在この授業は存在していないとのことである。私としては「(授業の、または勉強そのものの)意味」とは何か、プリントがないのはなぜだという問いがせっかく学生から出てきたのであるから、それこそがまさにこの授業で問うことがらであり、とても素晴らしいという感想を持っていた。しかし、カリキュラムが窮屈な工学部としてはそうした問いを悠長に扱う時間はないようで、現在はこれとはまったく異なる、より「実学的」な初年次教育科目が元高校教頭の先生等によって進められているそうである。学生にとっては、FIYや日本語教育を専門とする大学教員よりも高校教諭の方が親しみやすいということでもあるのだろう*1。実際に親しみやすいかどうか、その親しみやすさには授業をやり過ごすことが簡単であるという意味がないかどうかについてはさておき、親しみやすさはユニバーサル段階における大学での重要な論点なのかもしれない。
ところで、私は2015年4月〜7月、100分×14回、授業をして(または、授業をしないふりをして)グループダイナミクスという言葉を思い出しながら教室で生じたことをただひたすらノートに取り続けていた。膨大な量のノートである。どちらかの出版社で本にするという構想はおそらくなくなってしまったのだろう。さて、このノートをどうしよう。

*1:大学に入学したのに高校教諭に教わるという疑問は残る。