デザイン・思想・国家


盟友である一橋大学の太田美幸先生から『スウェーデン・デザインと福祉国家: 住まいと人づくりの文化史』新評論、2018をお送り頂きました。ありがとうございます。

現代社会に暮らす私たちにとっては、教育といえば学校において子どもを対象に行われるものというイメージが強いが、必ずしもそればかりが教育であるわけではない。
たとえば教育学者のジョン・デューイ(John Dewey,1859~1952)は、「われわれは決して直接に教育するのではない」として、「環境による間接的な教育」を重視した。人間は、環境から無意識のうちに強い影響受けているが、その影響力は極めて精妙で浸透力が強いため、環境を統御することによってそうした影響をコントロールすることが重要だというのである。彼のこうした考え方にもとづけば、人々の生活の基盤となる住まいもまた、「環境による間接的な教育」がおこなわれる場とみなすことができる。
他方、人間が社会において役割を果たすためは、疲れたときに住まいに戻って緊張を解き、安らぎを得ることが必要だが、これは人間の自己形成の過程でもある。人間の生を支える重要な機能を住まいが有しているとすれば、住環境を整えると言う行為は、「望ましい人間形成」のための一つの方法とみなすことができるだろう。
ところで、どのような人間形成を望ましいとするのかは、時代や社会によって異なっている。それゆえ、社会が大きく変動する転換期には、その理念や方法がさまざまに模索されてきた。工業化の進展によって日常物質文化が著しく変容した一九世紀後半から二〇世紀前半は、まさしくそのような時期だった。
新たな生活への対応が迫られたこの時期に、日用品をデザインすることへの関心も高まったわけだが、それは人々の暮らしを豊かにするためでもあり、それを通じて人間をつくりかえ、さらに社会をつくりかえようとするものでもあった。近代デザインは、「人々の生活や環境をどのように変革し、どのような社会を実現するのかという問題意識を持ったプロジェクト」として現れたのである。
このように考えると、近代デザインは、それ自体が人づくりの新たな形態でもあったといえる。以下、本書ではスウェーデン・デザインの歴史をこうした観点から記述し、そこにいかなる人間形成の思想が込められていたのか、それが福祉国家建設をめぐる議論にどのように組み込まれ、人々の暮らしをどのように変えていったのかを探っていきたいと思う。
10-12頁


太田先生のご専門であるスウェーデンの民衆教育論と密接に関連している近代化の諸問題と社会政策とを、デザインという切り口からアプローチした論考であると理解しました。民衆教育については大学院生の頃から先生のご発表で勉強させて頂いていたのですが、その当時から先生が家具やインテリアなどのデザインにご関心があることを伺っていて、今回の新刊によってそれらの問題意識が結び付いて得心しました。
ところで、第6章の住宅政策の説明部分で、持ち家運動、持ち家イデオロギーへの言及があります。私が家族社会学ジェンダーについて学んでいた学部生の頃、特に関心を持ったテーマの一つが国民(市民)の持ち家についての感情―それは、教育や政治に深く関係している―でしたので、とても興味深かったです。近代化の中で都市における劣悪な住宅環境(と労働)への対策として、日本とスウェーデンとでどのようなことが同じでどのようなことが違っていたのか(本書を読む限り、同じように見えるところもあります)考えてみたいと思います。