大学中退を「予防」する必要はあるのだろうか。


先日、ある講演会で大学中退を「予防」するためのプログラムについて話しを伺った。学生と大学の「ミスマッチ」を防ぐために、さまざまなプログラムを用意しているのだという。授業料収入を重要視する大学経営の観点からは意義深い取組みであるとはいえ、同時に、二つの疑問が生じたのである。
第一に、一度入学した大学の風土に馴染めず別の大学へ入り直したという事例を問題視していた点についてである。確かに、この学生にとって入学金や授業料の負担はあまりにも大きく、さらに、時間を無駄にしたという思いは辛いことであろう。しかし、このことを防ぐために、大学による配慮を徹底する、学生(生徒)による入学前の下調べの工夫を推奨するというのは限界がある。どのようなことを実施したとしても「ミスマッチ」は生じるはずだ。むしろ、大学経営の安定を犠牲としながらも、中退、転学に関する費用を軽減する、単位の「持ち運び」を容易にすることを主張してはどうだったか。大学経営の安定性という問題を学生の意識の問題にすり替えてしまってはいないだろうか。
さらに、費用の軽減に関連して、中退「予防」と、(私は必ずしも全面的に賛成するというわけではないが)学生の流動化構想との関係が示されなかったことも腑に落ちなかった。流動化構想の意図に適う中退者もいるはずである。日本国内においても、すでに10年も前から流動化に関する研究は進められている。「ミスマッチ」が生じる場合において、退学して働くのはとても不利だよと声高に主張することによって、転学するという代替案を気付かせないように仕向けているように見えてしまう。


川嶋太津夫、2003、「学生の多様化・流動化と大学教育―アメリカ高等教育の経験から」『大学教育研究』11 (テキスト)
http://www.iphe.kobe-u.ac.jp/mokuji/contents11/kawasima2003.htm
吉川裕美子・濱中義隆・林未央・小林雅之、2004、「学生の流動化と学士課程教育─全国大学調査にみる編入学、単位認定、学生交流と支援体制の実態」『学位研究』18 (PDF)
http://www.niad.ac.jp/ICSFiles/afieldfile/2008/08/29/no9_10_no18_1.pdf


第二に、ここまで何ら説明をせずに用いていた「ミスマッチ」についてである。少し前にネット上で話題となった、数十年後には現在の職業の多くがなくなるという予想が紹介された。また、合わせて、2000年に出版された人材コンサルタントによるキャリア論が紹介された。私の理解では、(同じく私は必ずしも全面的に賛成するわけではないが)両者とも狭い専門性へ堅苦しく固執せずに柔軟に変化へ対応せよという主張である。言い換えれば、〈やりたいこと〉と〈やること〉に「ミスマッチ」があったとしても、それは将来の役に立つのかもしれないのだから、のらりくらりと割り切って克服しようという趣旨である。しかし、この講演会のねらいは〈やりたいこと〉と〈やること〉を「マッチ」させる、つまり、大学入学前に自分が〈やりたいこと〉、大学で〈やること〉が「マッチ」するように見極めようというものであった。平仄がまったく合わないのである。
そもそも「ミスマッチ」とはどのような状態を意味するのであろうか。また、「マッチ」とはどのような意味なのか。私には大学生活において自分とは合わないという不快な思いをする機会がまったくないということが想定できない。友人、友人の友人、教室に居合わせただけの見知らぬ学生、サークルの先輩や後輩、授業内容、担当教員の話し方、担当教員の性格、教室の雰囲気、職員の態度…、どんな場面でも自分とは合わないと感じることはあるだろう。すべてが自分に合っていて幸せだという学生は、そうした合わなさを意識しないようにすることが得意なのだろう。したがって、「ミスマッチ」は当然あるということを前提としたうえで、もし、既述の自己啓発的なキャリア論に依拠するのであれば「ミスマッチ」を無くすのではなく、上手に付き合うという提案になったのではないか。
この「ミスマッチ」論は企業と新入社員の関係についても聞く機会が多い。別の機会にあらためて。