ジェネリックスキルに関するセミナーに参加しての感想である。
そもそもの話しになるので質問しなかったことが2点。まず、評価と測定が文脈によって使い分けられていたので混乱した。おそらく両者の相違についての理解が足りないのだろう。致命的ではなかろうか。次に、パフォーマンス評価の意味を誤解しているので戸惑った。あのような引用をされてしまっては、教育評価論の研究者は不本意であろう。
質問したことが2点。第一に、「ジェネリックスキルを評価(または測定?)するための『構成概念』は、たとえばDeSeCoや社会人基礎力と『親和性』があるから妥当だ」という説明の意味がわからなかった。DeSeCoについては、似ている部分だけを指摘して捨象した部分については黙っているのではないか。そもそも、DeSeCoほど抽象性が高いのであれば、どんな「構成概念」であったとしても「親和性」を主張できるはずだ。また、社会人基礎力についてはかつて拙稿で指摘したとおり、「学士力」以外はすべてその参照先が同じであるので似てしまうのは当たり前である。第二に、グローバル人材と現代の学生を比較するとことの含意に不信を持った。外国で管理者を経験したことのある30代、40代が各種ジェネリックスキルの要素について高い点数を示すというのは理解できる。一方で、現代の学生のそれらが相対的に低いと言うのもそう納得できる。しかしながら、現代の学生も大学で何らかの教育プログラムを受けてジェネリックスキルの点数を高くすることを通じてグローバル人材になることができるという、暗黙裡に示された含意は必ずしも正確ではない。30代、40代のグローバル人材は大学でそうした教育を受けたことで点数が高くなったとは断定できない。むしろ、就職後のOJT、Off-JTが効いている、あるいは、単なる年齢効果(加齢効果)であると考えるべきではないか。にもかかわらず、あのデータは、現代の学生に対してグローバル人材になるためには大学で対人、対自己、対課題を伸ばすプログラムを受けさせなければならないと主張しているかのようなのである。
偶然お見かけした高等教育研究者の談は腑に落ちた。こうしたテストを直接にあらゆる講義に結びつけて利用することは難しいけれども、キャリア教育の範疇において単発で利用することは可能だろう、と。