ベンチャーに行った理由

munyon74先生の記事を読んだので、私は反対に「ベンチャーに行った理由」を書いてみる。

munyon74.hatenablog.jp

大学4年生のときは求人と求職のバランスが大崩れし始めた時期だった。当時、私の出身大学では学部問わず、1つのゼミに7人の学生がいるとするとおよそ4~5人が就職して、残り2~3人が就職できずに留年するという状況だった。秋採用は一般的ではなく、4年生の7月までに内定を得られないと留年の決断を迫られる。就職先を決めないまま卒業するのは稀であって、そのことは大学の風土や授業料の相対的な低さに関係していたのであろう。そのときは、「一時的に苦しい時期であり、来年、再来年にはこの状況は改善するだろう」と思い自らの不運を嘆いていた。しかし、実際にはこの過酷な就職難はしばらく続き、なぜか就職できない学生が「自己責任」であると責められ、さらに、なぜか就職できるようになるためという理由が付されたキャリア教育が導入されることになる。この需給バランスの問題が学生の努力不足に転嫁された経緯については、どこかで他の方が論じているであろう。
さて、私は数年で巨大化していた日本のベンチャーに内定を得ることになった。今でも忘れてはいない6月6日午後2時のことであった。本社へ訪問して、とても狭い小部屋で役員と握手をした。「内定」とか「内々定」とかの言葉が使われず、握手によってそれを伝えるという当時の一部業界での慣行である。商社(総合・専門)、運輸、マスコミ、そして、少しばかり製造と金融を回り、多くの企業から書類選考で落とされていた中でのことであった(それに加えて秘密の隠しテーマは住友系であったんだけれども、他方、知人の野球ファンは「社会人野球チーム」のある企業―夏に社用で東京ドームへ応援に行ける?―ばかりを受けていたので、まあそんなものである)。今のキャリア・コンサルタントからは「軸のない」就職活動をしていると怒られるのかもしれない。なお、優秀な(?)学生は4月中旬~下旬に内定を得ていたので、やや遅めの時期である。
その巨大ベンチャーの内定を得て、就職活動を終えることにした理由は複数ある。ただし、今から思えばそうだということなので、当時ほんとうにそのように考えていたかどうかはわからない。それでもなお挙げてみると、第一に、退職のしやすさである。この記事をご覧の方は笑ってしまうかもしれない。けれども、なんとなく大学院への進学を検討していた私にとっては重要なことであった。というのも、稀に選考が進んで得られた面接の場において将来構想を尋ねられ、大学院進学のことを持ち出すと露骨に嫌な顔をされたことが何度もあったためである。実はあるマスコミには最終面接にまで進んでいたのだけれども、その面接でこのことが論点となり、役員と2時間ほど話し込んだ結果、後日「ご縁のない」旨のお手紙を頂いたのであった。そんな退職折り込み済みの、何もできない若手を採用して育成する余裕などないということのだったのだろう。その一方で、この巨大ベンチャーは途中の面接段階で、数年で退職したいという将来構想を歓迎した。そもそも中途採用、退職という流動性が高く、若手の育成にも力を入れていないことから―それは言いすぎか、OJTというか名ばかりOJTで、後輩は先輩の後ろ姿を見て仕事を覚えようか―、他者の人生を拘束しよう、生涯にわたる仕事を通じた仲間を作っていこうという意志がほとんどないのである。このことは私の性格にとって嬉しいことであった。第二に、第一の件と関連して、給料が高いことである。関連しているという理由は、この巨大ベンチャーは退職一時金、退職年金が極端に低く、その他福利厚生も他社に比べれば極めて不十分であるけれども、その分を給料に回しているということを公言していたからである(現在のことは知らない)。そのうえストック・オプションもあった。このストック・オプション、私は不手際で結果として大きく損をすることになったのだけれども、上手に運用できていれば今ごろ…。それはともかく、大学院の学費、生活費を手っ取り早く稼ぎたい私にとっては、65歳になってからの退職金や有効期限が年度内の保養施設利用チケットではなく、今すぐお金が欲しいのである。第三に、このことはよく言われることだけども、仕事のスピードが速く、かつ、幅広い仕事をすぐに経験できる。危険な仕事(意味深)を手伝う機会もあった。中途採用、退職が多いために、いわゆる「年次管理」は行われていない。入社1年後には、さらに小さい新設ベンチャーへの転籍出向を命じられることになる。ともあれ、そのプロパー約15人のスタートアップで地獄を見ることになる経緯は、以前ここに書いたとおりである。結果として、想定していたよりも少し早めに退職して大学院へ進学することになった。
退職しやすい、給料高め、仕事のやりがい(後に、このことは「やりがい搾取」という言葉を知って見直されることになる)が「ベンチャーに行った理由」になる。この企業がベンチャーであるとほんとうに言えるかどうかわからないけど、当時はベンチャーとして宣伝されていたので許してもらいらい。

指導者としての資質・能力:大学の学長編

学長リーダーシップの条件

学長リーダーシップの条件

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 東信堂
  • 発売日: 2019/12/09
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
経営学において研究されてきたリーダーシップ論と同じ部分と異なる部分について知りたいと思った。たとえば、金井・高橋(2004)では、観察、インタビュー、質問紙調査の回答を対象とした因子分析などから、多くの研究において「課題(仕事)関連」と「対人関係(人間)関連」の「ロバストな2軸」が見られるという(本書とはまったく関係なくいま二宮が進めている研究に関連して、この2軸はあくまでもリーダーシップに関する研究なので、これを一般的なコンピテンシーへ「応用」する際にはそれなりのロジックが必要である)。たとえば、日本におけるPM理論では、P(Performance function)が「課題(仕事)関連」であり、M(Maintenance function)が「対人関係(人間)関連」で」あるという。そのうえで、リーダーシップ論の関心は「属性(特性)から行動へ」、「行動から状況へ」、「状況のなかから変革へ」移ってきたという。他方、本書で紹介されている調査の一つである「大学上級管理職の現状と将来展望に関する調査」の分析では、学長、理事長、副学長、理事、事務局長といった上級管理職の業務に必要な能力を因子分析で探ったところ「リーダーシップ能力」、「個人資質能力」、「コミュニケーション能力」の3つが挙げられるという。そして、上記の「対人関係(人間)関連」に対応すると思われる能力が、「リーダーシップ能力」因子と「コミュニケーション能力」因子のそれぞれに現れている。経営学で言われてきたこととはやや異なる特徴を見出せているので、その理由が明らかになるとおもしろいのかもしれない。なお、この調査については、どのような特徴を持つ大学へ調査を依頼したのかが明示されていないという問題の指摘が可能である印象を持っている(本書では配布数4,082回答数976、ウェブサイトでは配布数3,996回答数976と違う数字が出されていることも気がかりである)。悉皆調査というわけでもなさそうである。
私にとってもっとも興味深かったのは、そうした統計分析ではなく第2章「大学上級管理職向け研修・教育プログラムの現状と課題」である。地味な情報収集ではあるものの、国立大学協会公立大学協会日本私立大学連盟、日本私立大学協会、日本私立学校振興・共済事業団政策研究大学院大学東北大学が実施している数多くの研修プログラムが挙げられている。読者はこんなにたくさん研修プログラムが存在していたのかと驚くはずである。統計分析ではこうした研修参加経験を独立変数に入れているとはいえ、効果の実態についてはまだこれから研究課題であるのだろう。そして、日本IBMの天城学長会議にも言及されている。この研修についても冒頭に述べた経営学の先行研究―トップ・マネジメント層を対象とした、しばしば高額の参加費を徴収するような少人数の研修についての研究―との比較によって、明らかになることもありそうだ。

日本IBMが1983年から社会貢献の一環で実施している学長会議である。静岡県伊豆市にあるIBMの研修施設「天城ホームステッド」が会場であるため、そこから名前を取り、天城学長会議という。7月下旬に、2泊3日の合宿方式で行っていること、設置者を超えて国公私立大学の学長が対象の会議という点で、きわめて特徴的である。代理出席は認めておらず、学長だけが参加できる。開催記録である過去の報告書をみると、講演、分科会に分かれた集団討議、その後の全体討議というスタイルでほぼ開催されている。分科会は4-5個になるが、それぞれのグループに国公私の学長がバランスよく、分けられる。合宿形式なので、夜はざっくばらんな情報交換会になる。その大学から参加しているのは学長ただ一人ということもあり、気軽に意見交換ができるのではないかと思われる。調査時点で35回目、延べ1550名程度の学長が参加してきたという。
研修施設のキャパシティの限界もあるので、毎年、約180大学の学長に案内をだし、結果的に50大学前後の学長が参加している。学長は忙しいので、2泊3日のすべてに参加できるとなるとだいたいこれくらいの参加者数になるという。最近のテーマは、少子化を超えて―2040年の世界と大学―(2017)、日本の大学のブレークスルーを目指して―学位プログラムと教育研究組織を考える―(2016)、大学のアドミッションを考える―中教審答申を受けて―(2015)となっている。IBMはあくまでも事務局で、案内を出す学長を決定しているのも、テーマや会議内容を検討しているのも、8名程度からなる世話人会の学長たちである。
pp.50-51

グーグルで「天城学長会議」で検索すると、いくつか参加報告を見つけることができる。ご関心のある方はぜひ。

カシオ科学振興財団第37回(令和元年度)研究助成について

casiozaidan.org
公益財団法人カシオ科学振興財団より研究助成を頂戴することになりまして、先日研究助成金贈呈式に出席いたしました。公益財団法人カシオ科学振興財団、選考委員の皆さまにお礼申し上げます。
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研究の目的は、地方私立大学の人文系学部・学科を卒業して、とりわけ地元の製造業、金融業、サービス業などの民間企業で働く若手社会人を対象とした聞き取り調査を実施して、大学時代に経験した学習の内容や方法と、現在従事している仕事で必要とされる知識や技術との関係(または無関係)を分析することを通じて、人文系大学教育における職業的レリバンスの特徴を明らかにすることです。研究期間は2019年12月から2020年11月までの1年間です。
過去の拙論(二宮祐、2018、「学生時代の学習経験を顧みる:聞き取り調査の結果から」本田由紀編『文系大学教育は仕事の役に立つのか』ナカニシヤ出版)で考察した調査では、その対象者が関東、関西の都市部にある大学出身者が多い結果になりました。また、対象者の出身学部・学科を法学、社会学に限定しました。多くの研究者からその制約による研究の強みと、同時に限界の指摘を頂きまして、ありがとうございました。そこで、今回の研究ではその幅を広げるべく、地方の私立大学出身者に限定をかけたうえで、人文系学部・学科の出身者にお話しを聞いてみることとなります。聞き取り調査なので、人文系学部・学科「全体」の特徴が明らかになるというわけではありませんが、近年社会学や教育社会学の分野で地道な実証が進められている「(若者の)ローカルトラック」の先行研究をふまえたうえで、これまではあまり研究の対象とされてこなかった当該分野における職業的レリバンスに関して、その若手社会人による自己認識の一端を考察できると見込んでいます。「がんばっている」地方私立大学の人文系・学科の成果について考察する予定です。
なお、贈呈式ではカシオ計算機の研究開発の歴史、特に「リレー式計算機」の開発の苦労についての紹介があり、とても勉強になりました。機会を見つけて、世田谷の樫尾俊雄発明記念館へ訪問してみます。

「2040年に向けた高等教育のグランドデザイン(答申)(中教審第211号)」を読む

50年目の「大学解体」 20年後の大学再生: 高等教育政策をめぐる知の貧困を越えて

50年目の「大学解体」 20年後の大学再生: 高等教育政策をめぐる知の貧困を越えて

当然ではあるが、現状把握、政策立案、政策実施の全ての局面に対して「エビデンス・ベースト」の発想を適用していくためには、それに関わる政策文書や行政文書が論理的で明晰な文章として組立てられていなければならない。そうでなければ、それぞれの局面を担当する関係者のあいだで重大なミスコミュニケーション、あるいはまた無用な「忖度」ないし斟酌が生じてしまうことは避けれらないだろう。
よく知られているように、日本の行政当局が作成してきた文章は、この点に関してきわめて深刻な問題=症状を抱えている。実際、高等教育行政に限ってみても、それらの文章ですぐ目に付くのは、おびただしい数のポンチ絵であり、またきちんとした文章としての体を成していない箇条書きの羅列である。一方で、文章として成立していたとしても、その根幹の部分には「二重語法」が多用されている例が少なくない。(略)
それらの文章に特有の分かりにくさと曖昧さは、ある場合には、明らかに文章作成者の知識や素養の不足という点にその原因がある。
388-389頁

大学改革の迷走 (ちくま新書)

大学改革の迷走 (ちくま新書)

質的転換答申の副題の前後にある波ダーシ(~)は誤植などではなく、原文にある記載法を踏襲したものです。この答申の場合に限らず、文科省関連の文章では副題に波ダーシを使用する例が増えています
8頁

ということで、筆者は文科省関連の文章がおかしいということを再三指摘している。そこで、私(二宮)は復習も兼ねてあらためて2040年に向けた高等教育のグランドデザイン(答申)(中教審第211号):文部科学省を読んでみることにした。内容の是非を考えたり、評価したりするのではなく、なるべく文章表現のおかしさに焦点を絞って一字一句読み直した。以下に示すように、概ね1ページにつき1箇所ほど不適切に思える表現があった。矢印の後には私なりの改善案を挙げているところもあるけれども、場合によっては単に私の好み、バイアスを示しただけにすぎないかもしれない。



はじめに

1頁
高等教育における教育は→高等教育は

今回の答申は、これまでの答申の内容を踏まえた上で、取組が十分でないものについては、改めてその必要性を強調するとともに、2040 年という22 年先を見据えて、そこから逆算的に考え、必要な提言を行った。→(答申が「逆算的に考える」の?「答申では」にすれば意味が通じやすいだろうか。)

2頁
このための多様で柔軟な教育研究体制が各高等教育機関に準備され、このような教育が行われていることを確認できる質の保証の在り方へ転換されていくこと。→(「教育研究体制」が「在り方」へ転換されるの?)

18 歳人口は、2040 年には、88 万人に減少し、現在の7割程度の規模となる推計が→(読点多い。)

地域の高等教育の規模を考える上でも、地域における高等教育のグランドデザインが議論される場が常時あり、各地域における高等教育が、地域のニーズに応えるという観点からも充実し、それぞれの高等教育機関の強みや特色を活かした連携や統合が行われていくこと。→(読点多い。「高等教育」が「充実」というよりは、「政府が高等教育を充実させる」とした方がよい。)



Ⅰ.2040 年の展望と高等教育が目指すべき姿-学修者本位の教育への転換-

3頁
2040 年を迎えるとき、どのような人材が、社会を支え、社会を牽引することが望まれるのかについては、後述する社会の変化を前提として考える必要がある。→(「のかについては」、中教審文書でよく見かけるけど、それほど一般的ではないような印象がある。)

その背景には、①テクノロジーが急速かつ継続的に変化しており、これを使いこなすためには、一回修得すれば終わりというものではなく、変化への適応力が必要になること→その背景には、①テクノロジーが急速かつ継続的に変化しており、これを使いこなすためには、一回修得すれば終わりという性質の知識や技術では不十分であり、変化への適応力が必要になること

4頁
なお、今後の情報を基盤とした社会においては→なお、情報を基盤とした今後の社会においては

正しく大量のデータを扱い→大量のデータを正しく扱い

特にその成果を開発に結び付ける学問分野においては、数理・データサイエンス等を基盤的リテラシーと捉え、文理を越えて共通に身に付けていくことが重要である。→(誰が?誰にとって?)

更に新しい価値を創造しながら→(1頁では「さらに」とひらがな表記である。副詞の表記法についての問題がある。)

特に、人工知能(AI)などの技術革新が進んでいく中においては→(「中」の意味がわからない。)

新しい技術を使っていく側として→(「側」は相対するものや対立するものの一方の立場を示す言葉なので不適当であろう。)

5頁
2040 年を迎えるとき、我が国が世界の中で、どのような役割を果たすことができるのか、という観点は、我が国の高等教育の将来像を考える上で重要である。→(読点多い。)

成熟社会を迎える中で、直面する課題を解決することができるのは「知識」とそれを集約し、組み合わせて生み出す新たな価値となる「新しい知」である。→(「知識」と「新しい知」の違いの説明がない。)

6頁
課題解決等に協力して当たるため→課題解決等に協力して立ち向かうため

予測不可能な時代にあって、高等教育は、学修者が自らの可能性を最大限に発揮するとともに、多様な価値観を持つ人材が協働して社会と世界に貢献していくため、学修者にとっての「知の共通基盤」となる。→学修者が予測不可能な時代にあって自らの可能性を最大限に発揮するとともに、多様な価値観を持つ人材と協働して社会と世界に貢献していくための「知の共通基盤」として、高等教育が位置付けられる。

7頁
また、個々の教員の教育手法や研究を中心にシステムが構築されるのではなく、学修者の「主体的な学び」の質を高めるシステムを構築していくためには、高等教育機関内のガバナンスも組織や教員を中心とするのではなく、学内外の資源を共有化し、連携を進め、学修者にとっての高等教育機関としての在り方に転換していく必要がある。→(同語反復になっている。学修者にとってのあり方にするべく、学修者にとってのあり方にするべきだ、と。)

が実現されることが目標とされている。→の実現が目標とされている。

8頁
また、AI が人間の能力をはるかに超えていく(シンギュラリティ(技術特異点))のではないかという意見もある。→また、AI が人間の能力をはるかに超えていく「シンギュラリティ(技術特異点))」段階に到達するという意見もある。

他方、一部の企業や国がデータの囲い込みや独占を図る「データ覇権主義」、寡占化により、経済社会システムの健全な発展が阻害される懸念も指摘されている。→他方、一部の企業や国がデータの囲い込みや独占を図る「データ覇権主義」、寡占化により、経済社会システムの健全な発展が阻害されるという懸念の指摘もある。→(独占、寡占を併記する理由を書くべきである。)

9頁
こうした人生100 年時代においては、人々は、「教育・仕事・老後」という3ステージの単線型の人生ではなく→(内容に関わることだけれども、この3ステージというのが自明の前提となっていたのは不思議である。家事、介護、育児、余暇、人生の意味の思索といった「ステージ」は存在しないことになっている。)

また、我が国の社会では、依然として単線型のキャリアパスであり→また、我が国の社会では、依然としてキャリアパスのモデルを単線的なものとして捉えることが一般的であり(規範と事実を混同しない。たとえば、M字就労カーブの問題は指摘されてきた。)

各国においては独自の社会の在り方、文化の在り方などの→(他の箇所では「等」という漢字を利用している。表記のゆれ問題がある。)

グローバル化は、社会の標準化に進む動きとも言えるが、標準化のみでは、いずれ、進歩が止まり、停滞が訪れることも危惧される。→(読点多い。)

我が国の文化や社会のこれまでの在り方の良さが調和した社会に発展していくことが期待される。→(「在り方の良さが調和した社会」の意味がわからない。)

10頁
産業・社会構造が資本集約型から知識集約型にシフトしつつある。→(社会構造の意味がわからない。学術的な専門用語だろうか。)

11頁
大学は、教育と研究を一体不可分のものとして人材育成と研究活動を行っており、そのための組織が整備され、ガバナンスが機能し、資源配分が行われることで、「知識の共通基盤」として社会を支えている。その活動が、現在の社会を支え、また未来の社会を創出するために貢献していくことは重要であり、そのためには、教育と研究を通じた活動を社会に発信し、透明性確保と説明責任を果たしていくことが必要である。→(結論部分の「透明性確保と説明責任」を導く根拠が十分ではない。)

12頁
大学教育の質と学修成果を活用した採用活動の拡大などは、産業界が取り組んでいくべき課題である。→(「教育の質」を活用する採用活動の意味がわからない。)

労働集約型経済から知識集約型経済への転換を真剣に考えていく際に、高等教育と産業界等との協力関係は欠かせない。→労働集約型経済から知識集約型経済への転換について真剣に対応していく際に、高等教育と産業界等との協力関係は欠かせない。

13頁
そのいずれにおいても、高等教育が果たす役割は重要であり、知的な蓄積のある教員の存在や人材の育成、教育研究成果を活用した産学連携等により、地域の教育・医療・インフラ・防災・産業等を支えている。→(教員が教育等を支えるのではなく、教員の存在が教育等を支えているの?)



Ⅱ.教育研究体制-多様性と柔軟性の確保-

14頁
個々人がその可能性を最大限に活かし、AI時代やグローバル時代を生きていく能力を獲得するためには、画一的な、教育を提供する側が考える教育から脱却し→個々人がその可能性を最大限に活かし、AI時代やグローバル時代を生きていく能力を獲得するためには、教育の提供者が考える画一的な教育から脱却し

新たなリテラシーにも対応した「多様で柔軟な教育プログラム」を提供することができるよう、迅速かつ柔軟なプログラム編成を可能とすることも含め→(同語反復になっている。)

なお、高等教育機関には「多様性」と「柔軟性」が求められるとともに、高等教育機関で学ぶ学生や、教育研究を行う教員は、組織に縛られることなく、その「流動性」を確保していくことが重要である。 →(読点多い。また、このページだけで7回「必要である」が繰り返されていて、1回だけ「重要である」が使われている。)

社会人や留学生を積極的に受け入れる体質転換を進める必要がある。→(「体質」という語彙は不適切であろう。)

15頁
そのためには、新卒一括採用や流動性の低さ等の雇用慣行にも変化が求められる。(→内容に関わることだけれども、「流動性の低さ」という認識は妥当だろうか。たとえば、小売業、サービス業、IT業はどうか。)

16頁
英語での授業科目→英語を教授言語とした授業科目

17頁
これまで、多様かつ高度な、職業上に必要な専門的知識・技能取得のニーズに応じたもの、資格制度等とリンクしたもののほか、生涯学習ニーズへの対応等多様な目的・内容のプログラムを想定し、職能団体や地方公共団体、企業等との連携を推奨した履修証明制度を創設(平成19(2007)年)し、社会人等に対する多様なニーズに応じた体系的な教育、学修機会の提供を促進してきた。 →(同語反復になっている。)

18頁
若手、女性、外国籍など→若手、女性、外国出身者など

19頁
教員自身が教育の質を自らの事として捉え、取り組まない限り、高等教育機関も本当の意味で変わることはできない。→(「自らの事」、「本当の意味」の意味がわからない。)

20頁
初等中等教育段階における、2030 年以降の社会の在り方を見据えた育成を目指す資質・能力としては、「何を理解しているか、何ができるか(生きて働く『知識・技能』の習得)」、「理解していること・できることをどう使うか(未知の状況にも対応できる『思考力・判断力・表現力等』の育成)」、「どのように社会・世界と関わり、よりよい人生を送るか(学びを人生や社会に生かそうとする『学びに向かう力・人間性等』の涵養)」という三つの柱で確実に育成するため、新学習指導要領の周知・徹底及び着実な実施を進めることとしている。→初等中等教育段階における、2030 年以降の社会の在り方を見据えた育成を目指す資質・能力として、「何を理解しているか、何ができるか(生きて働く『知識・技能』の習得)」、「理解していること・できることをどう使うか(未知の状況にも対応できる『思考力・判断力・表現力等』の育成)」、「どのように社会・世界と関わり、よりよい人生を送るか(学びを人生や社会に生かそうとする『学びに向かう力・人間性等』の涵養)」という三つの柱を掲げていて、それらを確実に育成するため、新学習指導要領の周知・徹底及び着実な実施を進めることとしている。

特に高等学校教育においては、・科目の特性に応じた語彙の確実な習得、主張と論拠の関係や推論の仕方など、情報を的確に理解し効果的に表現する力の育成(国語)・理数を学ぶことの有用性の実感や理数への関心を高める観点から、日常生活や社会との関連を重視(数学、理科)・見通しをもった観察、実験を行うことなどの科学的に探究する学習活動の充実(理科)などにより学習の質を向上することに加えて→特に高等学校教育においては、・科目の特性に応じた語彙の確実な習得、主張と論拠の関係や推論の仕方など、情報を的確に理解し効果的に表現する力の育成すること(国語)・理数を学ぶことの有用性の実感や理数への関心を高める観点から、日常生活や社会との関連を重視すること(数学、理科)・見通しをもった観察、実験を行うことなどの科学的に探究する学習活動の充実すること(理科)などにより学習の質を向上することに加えて

・必要なデータを収集・分析し、その傾向を踏まえて課題を解決するための統計教育を充実(数学)・将来、知の創出をもたらすことができる創造性豊かな人材の育成を目指し、新たな探究的科目として、「理数探究基礎」及び「理数探究」を新設(理数)・情報科の科目を再編し、全ての生徒が履修する「情報Ⅰ」を新設することにより、プログラミング、ネットワーク(情報セキュリティを含む。)やデータベース(データ活用)の基礎等の内容を必修化(情報)・データサイエンス等に関する内容を大幅に充実(情報)などが図られることとなっている。→・必要なデータを収集・分析し、その傾向を踏まえて課題を解決するための統計教育を充実すること(数学)・将来、知の創出をもたらすことができる創造性豊かな人材の育成を目指し、新たな探究的科目として、「理数探究基礎」及び「理数探究」を新設すること(理数)・情報科の科目を再編し、全ての生徒が履修する「情報Ⅰ」を新設することにより、プログラミング、ネットワーク(情報セキュリティを含む。)やデータベース(データ活
用)の基礎等の内容を必修化すること(情報)・データサイエンス等に関する内容を大幅に充実すること(情報)などが図られることとなっている。

21頁
高度な専門知識を持ちつつ普遍的な見方のできる能力と具体的な業務の専門化に対応できる専門的なスキル・知識の双方の人材育成が求められている。→高度な専門知識を持ちつつ普遍的な見方のできる能力と、具体的な業務の専門化に対応できる専門的なスキル・知識との双方の育成が求められている。

従来の学部・研究科等の組織の枠を越えて、迅速かつ柔軟なプログラム編成ができるようにすることが必要である。これにより、例えば学部・研究科等の組織の枠を越えて幅広い分野から文理横断的なプログラムの編成等が可能となる。→(同語反復になっている。)

22頁
高等教育機関の中に「多様な価値観が集まるキャンパス」を実現していく→(機関の中にキャンパスを実現する?)

23頁
なお、高等教育機関の教育研究の高度化・複雑化に伴い、事務職員の法的な位置付けも明確化され、例えばURAのように、様々な役割を担う教職員も必要とされてきており→(URAは様々な役割を担うわけではない。)

これまでは学外のものと認識されてきたことを学内の構成要素として適切に位置付けていくことも必要になっている。→(「構成要素」という言葉の意味がわからない。)

24頁
全ての科目を自大学で開設するという設置基準の緩和 等→(1文字空白の意味がわからない。)

25頁
「将来像答申」で提示した機能別分化の考え方は、大学の多様性を踏まえたものであり、これからも維持していくべきものと考える。→「将来像答申」で提示した機能別分化の考え方は、大学の多様性を踏まえたものであり、これからも維持していくべきである。

26頁
具体の職業やスキルを→具体的な職業やスキルを大学が理解を得、支援を受け→大学が理解を得て、支援を受けて



Ⅲ.教育の質の保証と情報公表-「学び」の質保証の再構築-

27頁
この背景には、学位を与える課程全体としてのカリキュラム全体の構成や、学修者の知的習熟過程等を考慮・把握することなく、単に個々の教員が教えたい内容が授業として提供され、教育課程内の位置付けや水準などを含めて体系的なカリキュラムが意識されていないという課題があると考えられる。→(前段で指摘されている、少ない学修時間の問題とはあまり関係がない)

28頁
社会からの説明を求める声が厳しくなってくるのは当然である。→社会からの説明を求める声が厳しくなるのは当然である。

どのような大学が学修者の視点から見た質の高い大学であるかについては、学修者の個々のニーズに基づく観点があるため、一概には言うことはできないが、何を学び、身に付けることができるのかが明確になっているか、学んでいる学生は成長しているのか、学修の成果が出ているのか、大学の個性を発揮できる多様で魅力的な教員組織・教育課程があるかといったことは、重要な要素となる。→学修者の個々のニーズに基づく観点があるため、質の高い大学を一概に定義することはできない。他方、学生が何を学び、身に付けることができるのかが明確になっているか、大学の個性を発揮できる多様で魅力的な教員組織・教育課程があるかといったことは、大学の質を評価する上で重要な要素となる。

29頁
全学横断的にカリキュラムを検討するために必要な体制の整備やガバナンスの強化も重要である。→(全学横断的であるべきなのは、カリキュラムなのか、体制なのかがわからない。)

30頁
様々な評価機関のうち国の認証を受けた機関(認証評価機関)が、自ら定める評価の基準に基づき大学を定期的に評価し、その基準を満たすものかどうかについて社会に向けて明らかにすることにより、社会による評価を受けるとともに、評価結果を踏まえて大学が自ら改善を図ることを促している。→(社会による評価を受けるのは、認証評価機関なのか、大学なのかがわからない。)

31頁
学生の学修成果や大学全体の教育成果の可視化に関する情報、教学に係る取組状況等の大学教育の質に関する情報について、情報によっては大学に新たに義務付けしたり→学生の学修成果や大学全体の教育成果の可視化に関する情報、教学に係る取組状況等の大学教育の質に関する情報について、必要に応じて大学へ公開を求めたり

32頁
これらの情報について、当該大学のみならず社会全体が効果的に活用することができるよう、全国的な学生調査や大学調査を通じて、整理し、比較できるよう一覧化する機能を設ける。→これらの情報について、当該大学のみならず社会全体が効果的に活用することができるよう、全国的な学生調査や大学調査を実施する。その結果を整理したうえで、データを一覧化する。

大学設置基準については、定性的な規定については解釈の明確化を図り、当該解釈に基づいた設置申請や設置認可審査、認証評価を行うことができるようにするため、解釈に関する通知を発出する。→大学設置基準については、定性的な規定に関する解釈を明確化する。その解釈に基づいて設置申請や設置認可審査、認証評価を行うことができるようにする。

文部科学大臣が認めた大学における法令違反について→(文部科学大臣が認めたのは大学なのか、法令違反なのかわからない。)

認証評価については、現在法科大学院の認証評価のみが対象となっている大学評価基準に適合しているか否かの認定を行うことを認証評価機関に義務付けた上で→(何が対象に加わるの?)

33頁
日本学術会議の分野別参照基準の活用も検討する→日本学術会議の「分野別質保証のための教育課程編成上の参照基準」の活用も検討する



Ⅳ.18 歳人口の減少を踏まえた高等教育機関の規模や地域配置-あらゆる世代が学ぶ「知の基盤」-

34頁
多様な価値観が集まるキャンパス→(価値観が集まるわけではない。)

地域の高等教育機関が一定の規模を確保していくことが必要→地域の高等教育機関が一定の収容力を確保していくことが必要

学生の可能性を最大限に伸ばすという学修成果が出ているのかについては引き続き各大学の努力が必要な状況にある→(「のかについては」文である。)

35頁
魅力的な高等教育を提供していくことは重要である。→魅力的な高等教育を提供していくことが重要である。

いかに学生の可能性を伸ばすことができるかという教育改革を進め→学生の可能性を伸ばすことを目的とした教育改革を進め

36頁
現状では、諸外国と比較すると、我が国の修士、博士学位取得者の割合は2分の1から3分の1程度と低い水準にある。(→この割合は諸外国の何を比較したものなのかがわからないため意味がない。)

国立大学は、明治10(1877)年に「東京大学」が創設されたところに始まった。→(それは帝国大学である。帝国大学と国立大学の使命の違いを明らかにしよう。)

37頁
国立大学については、平成17(2005)年「将来像答申」で述べられた役割33が、2040 年に向けて、どう変化していくのか、という観点で検討する必要がある。→(読点多い。)

・世界及び我が国の「知」をリードする研究・教育を推進する役割・イノベーション創造のための知と人材の集積拠点としての役割→(知という言葉にカギカッコを付したり、付さなかったりしている。)

一方、学生の経済的負担軽減の観点からの全国的な高等教育の機会均等の確保は、高等教育の無償化の進展を前提とすれば、その役割がどのように担われるかについては変化が生じる可能性があるとの意見もある。→(意味がわからない。)

その機能を伸長していく→(コロケーションがおかしい。)

38頁
私立大学については、学部学生の約8割の教育を担うなど、様々な学生に対し門戸を開き、それぞれの「建学の精神」に基づき、多様性に富み、独創的な教育研究を行う役割を担っている。→私立大学については、大学生全体の約8割に相当する人数の教育を担うなど、様々な学生に対し門戸を開き、それぞれの「建学の精神」に基づき、多様性に富み、独創的な教育研究を行っている。

学生/教員の比率等も踏まえた教育研究の更なる充実を図りつつ→(意味がわからない。)

39頁
地理的な学部の配置状況→学部の地域別配置状況

40頁
小規模の大学が多いのが特徴であり→小規模の大学が多いことが特徴であり

産業形態が一極集中型から遠隔分散型へと転換する想定の中では→(「産業形態」の意味がわからない。)

地方における高い能力を持った人材の育成に期待がかかっている。→高い能力を持った人材を地方で育成することに期待がかかっている。



Ⅴ.各高等教育機関の役割等-多様な機関による多様な教育の提供-

42頁
なお、学校種ごとに、制度目的、修業年限、学位を授与する機関であるか否か、教育内容として学術を重視しているか、職業ないし実際生活を重視しているかなどに違いがあり、多様な高等教育機関を形成している。→(何が「高等教育機関を形成している」のかわからない。)

43頁
5年一貫の実践的な技術者教育を行う高等教育機関として、実践的・創造的な技術者の養成に大きく貢献してきた。→(同語反復になっている。)

44頁
一方、大学院固有の課題として、かつてならば博士課程(後期)に進学していたような優秀な日本人学生が進学しないケースも増加し、将来において国際競争力の地盤沈下をもたらしかねない状況が生じているという課題が挙げられる。→(課題として課題が挙げられる?)



Ⅵ.高等教育を支える投資-コストの可視化とあらゆるセクターからの支援の拡充-

46頁
2040 年に向けて、日本全体の人口が減少し、特に生産年齢人口の割合が減っていく中で、社会を支え、国民が豊かな生活を享受するためには、高等教育がイノベーションの源泉となり、地域の知の拠点として確立し、学修者一人一人の可能性を最大限伸長することで未来を支える人材を育成する役割が期待される。→(文の構造がわかならい。)

47頁
「個々人の可能性を最大限に伸長する教育」に転換するためには、個々の学生の学修成果の可視化、個々の学生に寄り添った多様で柔軟な教育プログラムの提供、多様な教員による教育の提供等が求められる。→(「個々人」と言ってみたり、「個々」と言ってみたり。)

48頁
広く公的・私的セクターが高等教育機関を支えることを、納得感を持って受け入れてもらうためには、まずは、高等教育機関が、現在の社会を支え、未来の社会に貢献していくとともに、時代に合わせた取組の重点化、効果の最大化を実施していくことが今まで以上に求められる。→(読点多い。)



Ⅶ.今後の検討課題



おわりに

50頁
加えて、この改革は、高等教育機関の努力のみならず、それ以前の教育機関との連携、そして、人材が活躍する社会が、「学び続けること」こそが、価値であるということを共有できて、初めて実現されることである。(→読点多い。)




以上から、分担執筆者の、ひとりは、やたらと、読点を、打つのが、好きらしい、ということが、わかる。PDCAサイクルを、高速回転させた、結果なのか、あるいは、まったく、回さなかった、結果なのか。

高等教育研究者に対する問題提起

広田照幸、2019、『大学論を組み替える―新たな議論のために―』名古屋大学出版会
www.unp.or.jp
https://www.amazon.co.jp/dp/4815809674
著者からお送り頂きました。ありがとうございます。
教育に関する社会史や、現代の初等中等教育や生徒・児童の諸「問題」に関する言説を対象とした研究を続けてきた著者が、教育の専門家として「大学改革」への貢献を期待されて対応しつつ、しかし同時に、そこに生じている様々な矛盾を無視できるわけでもないという状況において、7、8年間かけて書かれてきた論考をまとめたものである。
冒頭では高等教育研究者に対して苦言が呈されている。

大学について考えてみようと思って文献を探すと、これまた一九九〇年代半ばころから爆発的な増加が始まり、近年は山のように出されていることがわかる。しかし、そこには何かが足りないような思いを感じてきた。
データベースで文献を探していくと、主に三種類の文献があることがわかる。
(略)
第三に、高等教育研究者による研究論文や研究書である。これは、近年の政策動向に注意を払いながら書かれたもので、次の三種類があるように思われる。一つ目は、海外での高等教育改革の動向や海外の高等教育の実態を調査して、そこから日本の大学改革への示唆を得ようとするものである。二つ目は、日本の大学を対象にした調査を行い、改革の必要性を主張したり、改革の成果(あるいはその失敗)を実証的に明らかにしたりしようとするものである。三つ目は、政策の決定過程や実施過程を実証的に考察して、どういうメカニズムや論理が存在しているのかを探ろうとする研究である。
本来ならば、この高等教育研究者による研究が大学改革の流れ自体を学問的な吟味にかけてくれるはずなのだろうが、残念ながらそういう視野をもった研究は必ずしも多くない。
(略)
結局のところ、実証研究も山ほどなされているし、現場での実践的努力もおびただしく積み上げられてきている。では何が足りないのか。私に言わせると、「大学とは何か/大学は何をなすべきか/大学は何をなすべきではないのか」といった点をめぐる大学論が足りないのではないかと思う。大学に関する理想や規範をめぐる議論である。
pp.2-3

とはいえ、こうした指摘は珍しいものではない。今年2019年8月に刊行された 教育研究の新章 (教育学年報11) においても、「『学』を自称して『高等教育学』などというのは、おこがましいのではないですか」(p.439)、「研究の下敷きにどういう大学論があるのかということです。たとえば、人間が真理を探究する、文化を創るという営みがあり、大学が歴史的にその重要な役割を果たしてきた。そういう大学論の延長上の話は、東大のメンバーではなく、京大の松下さんとか田中さんの方がなされているのでは」(p.441)というように、高等教育研究は厳しく批判されている。しかし、高等教育という研究/実践の対象への、教育学(人文系)と教育社会学の違い、教育学(同)と教育工学・教育心理学との違い、高等教育(中等後教育)なのか大学教育なのかの違い、東日本と西日本の違い(粗雑な区分だ…―他方、FD西高東低論というのがかつてあったので、どこかで何かが捩れているのかもしれない)がある、つまり、アプローチによって関心や目的が異なるので、「あなた方の研究には○○が不足している」という批判はとても重要ではありつつも、応答できるかどうか難しいところである。さらに、不足されているという大学論には、すでに、たとえば教育史、文化史に沿うような一定の回答が用意されていることだろうから、それとは異なるものを呈示しても拒絶されてしまうのではないか、とも不安になるのである。
私が最も面白いと思った*1のは第5章「第一線大学教員はなぜ改革を拒むのか―分野別参照基準の活用について」である。4節「同僚との話し合いの困難さ」(pp.143-144)において、教育プログラムを見直そうとするときの、それを阻害する組織文化の要因が3点に整理されている。第1は、教員が細分化された専門性を持っているがゆえに、かえってその分野全体の教育のねらいについては理解が不足しているというものである。第2は、第1に関連して、その細かい割拠性が教員間の意思疎通を妨げるというものである。そして、第3は次のようなものである。

第三に、多くの分野の大学教員には、学生の教育に関する理論や語彙が不足している。大学教員の多くは研究のプロであり、その研究の専門性をふまえて教育を行っている。しかし、教育を行うことと、教育についての理論や語彙を駆使して自らの実践を言語化することとの間には大きな距離がある。自分が行っている教育の意義を分野外の人に対して説明するためには、研究分野の専門用語とは異なるタイプの言説的で反省的な資源―それを語る語彙や複数の語彙を使って命題に組み立てる理論―が必要である。自分が担当する分野に関して具体的にどういう知識を修得させるべきかについては、ほとんどの教員は実に詳細に説明することはできるけれども、普段の授業をどういうねらいややり方で展開しているのかについて、教育(学)的に説明する理論や語彙を欠いているのである。歴史学分野の参照基準作成にあたった井野瀬久美恵(二〇一一、一八頁)は、「歴史学を専攻した学生にはどんな能力や知識が身につき、何ができると期待できるのか」といった主題を、「これまであまり深く考えたこともなかった難題」と表現している。
p.144

近年では、さまざまな場面で「学生が何をできるようになるか」が問われるようになりつつあり、そこで教員が戸惑うということがある。ここに書かれているように、従前はあまり考えたことのなかったテーマなのであろう。それに対する応答の一つに「『そもそも』大学の講義は、学生の習熟の内容などに関わるなんてことはしない」といったものもあるだろう。しかし、そうだとしても、その主張を根拠付ける語彙、たとえば評価に関する語彙は必要になるのだろう。また、この箇所を読んで、私の仕事は大学内外で分野を超えて通用する教育に関する語彙を増やしていくという意味でもあると理解したのであった。文系、理系の様々な学部、学科にお邪魔してお話しを伺う際、確かにそうした語彙に依拠して解釈を行って、応答をしていることに気付かされるのである。
なお、参照基準については、日本学術会議のウェブサイトをご覧いただきたい。

*1:実は第4章の日本大学文理学部教育学科における「カリキュラムの体系化」事例も面白い。参照基準を「共通の敵」としてボトムアップの改革が可能であるという。