2025年2月、日本経済団体連合会(日本経団連)が「2040年を見据えた教育改革~個の主体性を活かし持続可能な未来を築く~」という文章を発表した。
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第2次世界大戦以降、財界団体は教育に関する提言文章を定期的に発表している。かつては、労務問題に対して極めて強い関心を持つ日本経営者団体連盟(日経連)がタカ派の立場から雇用のテーマに連なる教育に関する提言を繰り返し行っていた。たとえば、1969年には「東大『確認書』の取り扱いに関する意見」という学生運動が激しかった東京大学をねらいうちするような文章も発表されている。他方、日経連より規模が大きく幅広い企業が参加していた経済団体連合会(経団連)は、教育という小さいイシューよりは経済問題全般、国家問題全般に対して関心をもっていた。2002年に両者が統合されて以降、日本経団連として教育に対する意見が表明されるようになっている(現在、経団連ではなく日本経団連という略称が使われている場合には、旧経団連ではないという意味が込められているだろう)。なお、このブログでも何度か言及しているように、財界団体の意向は必ずしも個別企業のそれとは同一ではないし、また、国家のそれとも同一ではない。あくまでも個別の利益団体による、個別の主張である。同じ財界団体である経営者が個人として参加する経済同友会、中小企業が参加する日本商工会議所、各地方などの経営団体が教育提言を行う/行ったことがあるものの、それらは日経連、経団連、日本経団連による主張とは同じではない。
2025年2月の日本経団連「2040年を見据えた教育改革」は初等中等教育、高等教育、リカレント教育に対して提言を行っている。特に、高等教育に関する政策課題として次のようなことを求めている。
- 大学間の再編・統合・連携等の促進と出口の質保証(私学助成等予算配分の見直しと情報開示に関連する制度整備)
- 研究力の再生・強化に向けた大学組織・運営改革と運営費交付金等の予算の拡充
- 地域の人材育成ビジョンを検討するスキームの構築を促進
- リカレント教育の促進に必要な組織再編等を行う大学に予算措置
- 国の各種統計において、修士・博士数ならびに修了後の進路・処遇等をそれぞれ把握
かつての財界団体による提言と異って、新規性がない内容であることが特徴的である。(まだ推進する余地が大きいものがあるという論者はいるかもしれないものの)すでに進行中の政策課題である。1968年11月の経済同友会「大学の基本問題」、1969年2月の日経連「直面する大学問題に関する基本的見解」が中教審四六答申を先取りする内容や現在からみると実現の見込みがないような構想を含んでいたことからすると、現代の財界提言は質が変容したといえるのかもしれない。財界による提言が世論を確認するための観測気球、アドバルーンのような役割を果たしていた時代は終わったと言ってもよいだろうか。なお、「出口の質保証」という言葉は中教審の一部の部会などでも利用されているものの、これまでの「質保証」政策の文脈では誤用である。「質保証」は教育機関を卒業する生徒や学生の質を保証するという意味ではない。教育の内容や方法を対象とした「システム」としての保証である。3つのポリシーの整備、シラバスの充実、学生からの意見徴取などの実施が保証のための仕組みである。工業製品の例で言えば、出荷される製品そのものの質を保証するということではなく、製品を生産するプロセスを「システム」として保証するということである。ISOシリーズなどが該当するだろうか。しかしながら、中教審や財界文章では「出口の質保証」という言葉によって、「システム」ではなく生徒・学生の質について言及するようになっているようである。
高等教育論の研究においては、戦後日本産業界の大学教育要求: 経済団体の教育言説と現代の教養論という書籍が2008年に刊行されている。筆者による分析では、財界提言には以下のような変遷があった(まえがきより)。
- 量的要求中心・専門教育重視(1950年代~1960年代後半)
- 質的要求への変化・一元的多様化要求中心(1960年代末~1970年代後半)
- 創造性の出現と多元的多様化要求への変化(1980年代前後~1990年代前半)
- 提言要求の頻繁化、多様化、詳細化、具体化、積極化、変質(1990年代後半~2005年6月)―”新しい教養”(自発的拡張性 etc.)などの「教養」の実力化要求・多層な創造性の重視等
途中、明らかに臨教審や当時の新聞論調を意識しているのが面白い。また、筆者が指摘していたような2000年代に目立っていた「新しい教養」(これもその一部は臨教審の置き土産と言えるものの)は、この日本経団連2025年2月提言ではあまり見られなくなっている。なお、2000年代後半以降、「新しい教養」は人間力、学士力、女子力、若者力、就業力、朝ごはん力といった「〇〇力」(本田由紀の言うハイパー・メリトクラシー)によって席捲されるようになるのだけれども、もう「〇〇力」も出てこなくなっている。2020年代半ばの財界提言は「現状追認型、〇〇力の忘却、地域志向」とまとめることができるのかもしれない。