これまでの出席回数を教えてください

教員が「私のこれまでの出席回数を教えてほしい」と学生から頼まれて困惑するという話しを伺うことがある。出席回数が単位取得のための条件の一つになっている現代の大学において、そのような依頼を行う学生の気持ちもわかるところである。近年は学生が講義をサボらなくなったという風潮があるとはいえ、「最低限の出席回数を満たせることになるかどうか不安だ」、「単位を取得できないのであれば無駄な時間を使いたくないので今後はすべて欠席したい」、「単位取得に必要な出席回数から逆算して、あと何回欠席できるか確認したい」などの理由によって、さらに、わからないことについては教員に尋ねるべきだという「真面目」な風潮があるという理由も重なって、出席回数についての質問が生じることになる。なお、単位を取得できない学習がほんとうに無駄かどうかはわからない。また、他方、そうした「真面目」さは実のところ目新しくもあって、わからないことはわからないままにしておこうという時代もあったかもしれない。ともあれ、学生にそのような思考があるのだとして、教員にとっては気の重い作業である。1週間に学部、大学院の複数の講義・授業を担当していて、そのうちのいくつかは大教室で大勢の学生が履修していることもある。そのような状況で、「私の出席回数を教えてください」、「私のと合わせて、一緒に履修している先輩の出席回数も教えてください」、「先々週欠席してしまったので、その回のプリントをください」、「一緒に履修している友だちが来週欠席する予定なので、その友だちのためにもう一部プリントをください」といった問い合わせをたくさん頂くことになる。出席記録が学生証カードリーダー読み取りによるものであったり、LMSによる何らかの登録によるものであったりする場合でも、教員にとっては手間のかかる仕事である。
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私は、この出席回数の確認は出席することじたいが単位取得条件へ「追加」されたことに関連しているのと同時に、上記であえて持ち出したプリントが配布されてしまうことについてのテーマであると考えている。というのも、学生がノートをとっていれば出席回数を確認することは容易だからである。この写真は私の2020年9月4日(金)17:00~に書き留められた字の上手ではないノートである。字はそうであっても日付を数えることによって、出席回数はわかる。もちろん、そのノート上の出席記録と教員による記録が合っていないことを不安に思う学生はいるであろうとはいえ、ノートによる記録の意義はなお残っているだろう。しかしながら、ワードプロセッサコピー機が普及した90年代の頃からであろうか、重要事項が羅列されたその講義・授業オリジナルのワーやパワーポイントによるプリントが配布されるようになってから、ノートをとる必要性を説くひとが少なくなっていった。たくさんプリントが配布される講義・授業は、学生の理解を深めるように工夫されている、値段の高い学術書や教科書を買う必要がないと解釈されて「学生による授業評価」の結果が良くなるということもある。さらには、白紙であっても、手書きの文章であっても、小冊子であっても、なにか手渡されるものすべてがプリントと呼ばれるようにもなる。しかしながら、糊で綴じられたノートとは違って、プリントは散逸する。学生だから「大事な配布資料」を紛失するというわけではなくて、教員も「大事な」(以下略)。また、ノートであれば前から順番に書き留めていくので時系列の記録が残るものの、プリントはそうではない。出席回数を確認する対象としてプリントは脆弱であるかもしれない。
出席回数を尋ねられるのを嫌う教員は、学生に対してノートをとることを勧めてみてもよいだろう。1回1ページ、1回10行でも構わない。学習にとって必要であるということと同時に、そのノートが出席の記録として利用できるのである。また、ノートが存在していれば、学生の自己管理能力が課題となる場合にそれを尋ねるような心理テストを行う必要もない。