- 作者: 朴炫貞
- 出版社/メーカー: 大学教育出版
- 発売日: 2014/12/26
- メディア: 単行本
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第一に、教育政策は「公共政策」の下位概念であるのか。教育学の一部は教育政策という概念に独特の意味を込めることがある。対象を高等教育政策とすることでその相異を無視することが可能であるということだろうか。そうであるならば、その理由が書かれなければならないという印象を持つ。橋本鉱市以前にこうした大嶽秀夫、宮川公男、笠京子、秋吉貴雄などを参考とするような研究が行われてこなかった理由の検討があって、はじめて高等教育に関する政策過程研究の意義が立ち上がるはずである。
第二に、どうして「政治的構造やそのヘゲモニーのロジック」を説明するためにKingdonのモデルを必要とするのか、なお説明が不十分ではないだろうか。そもそも、「構造」という言葉の使われ方がとても難しい。たとえば、「その過程に潜んでいる社会構造すなわち韓国社会の特徴」(p.12)という説明があるものの、「社会構造」がそのような曖昧な定義で済まされてしまうことについて、私は納得できないのである。その問いを脇に置いておくとしても、意思決定の過程を整理するはずのモデルが「構造」を説明できるということがよくわからない。
第三に、モデルの適用についてである。私はどこかで書いたかもしれないのだけれども、ある一つの立法や行政決定に収束していく過程を描くことを目的とするならば、このモデルを必要としないと理解している。モデルは複数の流れの中の、複数の要素がある程度偶発的に結び付くことはあるのと同時に、まったく結び付かないものが数多あることを強調する。「前決定」や「非決定」こそ重要であるはずなのだが、本書はどうしても「決定」をゴールに据えているように見えるのである。さらに言えば、確かにプルラリズムでは説明できないようなのだけれども、単純明快な権力エリート論でも一定の解釈が可能であるかもしれない―たとえば、昔ながらの声価法によるソウル大学関係者を対象としたインタビュー調査。しかし、それでは不十分であるということを、より前面に押し出してもよかったのではないだろうか。
以上のことは、すべて私に跳ね返ってくる問いである(言うまでもなく、本書が明らかにしたことの価値は高い)。