働く青年

この1、2ヶ月ほど、たとえば次のような本を読んでいた。高等教育論を研究していると、どうしてもその対象としてかつてはエリートであった大学生を選んでしまう。しかし、ある時期までは大学生が同年代の若者・青年の中では特殊であったことを思い起こすために、ノンエリートの生活世界を考えてみることも必要なのだ。

青年の主張:まなざしのメディア史 (河出ブックス)

青年の主張:まなざしのメディア史 (河出ブックス)

集団就職《高度経済成長を支えた金の卵たち》

集団就職《高度経済成長を支えた金の卵たち》

ニュータウンの社会史 (青弓社ライブラリー)

ニュータウンの社会史 (青弓社ライブラリー)

卓越化と大学

文化・階級・卓越化 (ソシオロジー選書)

文化・階級・卓越化 (ソシオロジー選書)

  • 作者: トニーベネット,マイクサヴィジ,エリザベスシルヴァ,アランワード,モデストガヨ=カル,Tony Bennett,Mike Savage,Elizabeth Silva,Alan Warde,Modesto Gayo‐Cal,磯直樹,香川めい,森田次朗,知念渉,相澤真一
  • 出版社/メーカー: 青弓社
  • 発売日: 2017/10/26
  • メディア: 単行本
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訳者のお一人からお送り頂きました。ありがとうございました。
ブルデューについては学部生の頃に当時の訳書数冊をひとりで読もうとして挫折していまして、院生の頃にゼミでバジル・バーンスティンを勉強するのと合わせて読んだ経験があるものの、まだまだ勉強不足なのでとても感謝しています。高等教育論においてもブルデューから学ぶことはたくさんあります。また、あらかじめ申し上げておきますと、「見つけられない図表」は225-232頁に掲載されています。




さて、本書では文化資本の種類やその働きを現代英国の状況に即して再検討することを試みている。

われわれは文化資本の構成要素を識別し区別すること、そして、いままでにない新しい状況で文化資本の有効性を考察することが重要だと考えている。これがとりわけ重要だと考えられるのは、ブルデューの著作や資料のなかに資本のタイプやそれらの互いの関係性に関する明確で体系的な説明が残されていないからでもある。彼は繰り返し経済資本、文化資本社会関係資本、そして象徴資本を区別している。また、その精確な由来や内容を突き止めることは困難であるものの、ある論考のなかでは、文化資本を三つの下位タイプ―制度化・身体化・客体化―に分類している。
(略)
後期の研究では、これらに加え、社会集団によっては異なる形態の文化資本が動員されている可能性を認識する必要性が提起されている。晩年の研究の一つのなかでブルデューは「技術資本」という概念を導入している。
(略)
さらに、特定の下位文化の成員の間で限定的に流通する資産と呼べる下位文化資本がある。この下位文化資本には、特定の年齢集団の観点から、あるいは特定のエスニック・コミュニティ固有な文化的ノウハウやありふれた知識の観点から、定義されうるものである。
(略)
これらは様々な形態の資産のなかでもとりわけ重要なものであり、社会的世界と社会的文脈に取り入れられたり、経済的機会、価値のある社会的コンタクト、名誉や評判などへと変換されたりする資産である。文化資本を解明するには、それらすべてに注意を向ける必要がある。どのようにして、こうした資本の様々な形態が承認されるようになり、相対的に価値づけられるのかについて、さらなる考察が要求される。『ディスタンクシオン』の議論で強調された主要な点は、階層的序列化の二つの標識、すなわち、正統文化の運用とカント美学の適用だった。文化資本を最も多く持っている人々は両者を示していた。しかしながら、カント美学は、文化消費の様態で社会的な名誉と評判の要請を見つけて伝達するいくつかの志向性のなかの一つにすぎない。
無関心性というカント美学的エートスに通じることで、日々の生活の実践的必要性から距離をとり、「抽象的」文化形態を鑑賞する能力を得られる。このことはブルデューによって、文化資本の構成要素として重要なものとされている。
65-66頁

分析の結果、英国の文化的組織は多様であって一枚岩であるわけではないこと―わかりやすい図式で示すことなどできない―、いくつかの留意が必要であるとはいえ「文化的オムニボア」の傾向もあることなどが示される。また、本来は仮想敵であったゲーリー・ベッカーの人的資本に相当するような「技術資本」、人びとの関係性に役立つような「感情的文化資本」、伝統の存在を前提とする「ナショナルな文化資本」、限定された場所や状況で価値を持つ「下位文化資本」などがあり得るとするのである(471-473頁)。
様々な階級の方を対象としたインタビュー記録の会話を日本語にすることや、そのために英国の文化状況について詳しくなければならないといった困難―たとえば、外国のテレビとか音楽とかの文脈を理解するのは難しそうである―が訳出の際にあったと思われて、こうした文献を日本語で読めるのはありがたいことである。日本であれば、アニメ、ライトノベル、ボカロ、あるいは、(これは訳者のお一人から考えられる例として聞いた)大衆演劇などはどうなるだろうと考えるのも楽しいことである。やはり文化的オムニボアでしょうか。他方、そして、読み進むにつれて以前から悩んでいる問題について、再びもどかしさを感じるようになった。

ここで言うカント美学とは、文化と日常生活の距離を称揚し、そうした距離こそが、文化資本それ自体の中心的で明確な特質だと考える立場である。
146頁

その問題とは大学に対して主張されるいわゆる人文系不要論である。人文系学問の担い手が日常生活からかけ離れていて「役に立たない」からこそ、あるいは、人類の300年後の未来になってようやく「役に立つ」かもしれないからこそ、その学問が重要である主張するとき、その当事者はまったく意図してはいないだろうけれども、それは「スノッブ」であると評価されてしまうかもしれない。本来は冗談で言われることではあるが、私は理工系の研究者から「シェイクスピアなんて講義されても困るんだよね」と実際にいわれたことがある。もちろん、シェイクスピアは人文系の象徴として取り出されたものである。そのときの私が受けた印象は、単にカリキュラムに人文系学問を位置付けるという問題であるというよりは、「じぶん(たち)には理解できないことで、かつ、『役に立たない』ようにみえることであるにもかかわらず、さも理工系に比べて高尚であるかのように振る舞っているので納得できない」という趣旨の表明であった。すなわち、大学をどうするか、カリキュラムをどうするかという議論をするときに、それぞれの学問分野が持っている日常生活との距離を賭け金としたせめぎ合いがあり、「大衆化した大学」において人文系の持つ賭け金のレートが不利になってしまっているように思えるのである。そのときに、なお「無関心の満足」が学問のアイデンティティであるとするならば、どのように問題を打開することができるだろうか。訳書で紹介された書物や絵画といった文化の各分野と同じように、学問分野も位置付けられるのだろう。

学校から仕事へのスムーズでもなく、間断のないこともない移行

honto.jp
執筆者のお一人からお送り頂きました。ありがとうございます。

問題意識は次のように示されている。

若年層の教育および職業キャリアをめぐる状況は近年大きく変容してきたといわれる。広く社会的にも話題となっているフリーター・ニート問題のみならず、高校と企業を繋いでいた学校経由の就職システムの揺らぎ、少子化と大学数の増大による進学チャンスの拡大、就職協定廃止や長期不況の影響による大卒就職活動の長期化やインターネット利用による就職メカニズムの変容、学卒後3年以内の離職率とジョブマッチングの問題等々、この領域に関連して実態解明が求められているテーマは多岐にわたる。多くの若者たちの教育・職業・生活の軌跡を追い続ける「若者の教育とキャリア形成に関する調査」を私たちが企画・実施したのは、まさにこうした多面的問題を解明する基礎資料を得ることを目的としたものといえる。
3頁

考察の対象は、若者の労働経験、若者と家族、地域移動、学校と不平等、人間関係、困難な暮らしなどである。幅広く重要な論点が網羅されている。私がとりわけ関心を持ったのは、第11章「学校経験と社会的不平等―『意欲の貧困』を手がかりに」である。思い起こせば、苅谷剛彦『階層化日本と教育危機―不平等再生産から意欲格差社会(インセンティブ・ディバイド)』が発行されたのは2001年のことである。「新学力観」のもとで「興味・関心」、「内発的動機づけ」が重視されるようになったものの、社会階層毎の学習意欲に格差の拡大が進んだのではないかと問題提起が行われたのであった。「階層と教育」の問題は、不平等が拡大再生産されていくという「新しいフェーズ」に入ったとさえ呼ばれていた。それから16年が経過して、さて、どうなったであろうか。
パネル調査のうち、2011年の第5回調査の結果の分析では、頑張ることを困難にさせる「意欲の貧困」は経済・健康に関わる生活の状況や、本人の学歴と関係しているという。また、学校経験によって得られた進路展望や人間関係は、生活の状況や本人の学歴とは独立して「意欲の貧困」に影響を及ぼしていて、かつ、そもそも豊かな学校経験は父学歴や本人学歴によって影響されているとのことである。すなわち、苅谷が提起した問題は、依然として存在しているといってよいのだろう。
そうした分析をふまえたうえで、トラッキングによって特に厳しい状況に置かれている中堅普通科高校を想定して、教育内容の文脈付けを行う必要が提起されている。論考の射程を超えてしまうことなのであるが、私としてはもう少しその詳細を知りたいところであった。というのも、教育の職業的意義を重視して「柔軟な専門性」を獲得しつつ労働問題へ適切に対応できるようになることを主張する本田由紀と、職業教育の重要性を認めつつも、政治的教養を重視して能動的な市民として振る舞えるようになることを主張する広田照幸とを紹介しつつ、両者は主張は異なるものの具体的な文脈と教育とを繋げる点では共通しているとまとめているのだけれども、私は第1に、「意欲の貧困」にとっての「効果」や「意味」について両者は同じではないような印象を持っていて、その点をどう考えられるだろうかということ、第2に、その具体的な文脈を考慮した教育は系統主義/経験主義の論点をくぐらせてみると、どのようなものとして具現化するのだろうかということを考えてみたくなったのである。

全410ページの厚い本である。会読の機会を設けてみたい。

会社勤めをしていた頃

(1)
新卒で入社して、4月には早速、翌年実施予定の持株会社化・分社化に向けてのタスクフォースに人事部若手として参加、同時に、給与・社会保険料計算手続きの手伝い、新卒採用の手伝い、前年度人事考課・賞与計算と人事関連管理会計についてはいきなり主担当と慌しく働くことになった。このままの忙しさが続くのかと思いつつ、ゴールデンウィークが到来した。4月29日は休むことができたものの、5月1日からはずっと出社することになった。前年度人事考課・賞与計算と新卒採用で忙しくなるためである。
休日出勤の場合、たいていお昼過ぎに出社して深夜に帰るというスケジュールである。連休中の土日、誰かがテレビをつけた。当時は、戦後何度目かの競馬ブームであり、人事部のみならず同じフロアの総務部、広報部、財務部、経理部にも毎週のように馬券を購入しているファンが多かったからである。私は多少嗜む程度であって、仕事をしながら聞こえてくる競馬中継を何となく気にしていた。
さて、本題に入る前に、人事部、総務部、広報部を束ねる本部の次長について触れておかなければならない。次長はその企業の創業時から働いている、知る人ぞ知る伝説の人物である。創業者の従業員番号が1番、その次長の社員番号は一桁である―なお、その他の一桁番号の方々はとっくに退職していて、その話しは創業時のエピソード紹介で必ず紹介されるので割愛する。銘柄大学の経済学部を出て、その頃はまだガレージ・カンパニーでしかなかった、それはなんと比喩ではなく実際に自動車の車庫で営業を開始した企業に入社してしまうような、風変わりな方であった。大学4年の春先に就職活動をしている私を気に入ってくれたのがこの次長である。面接のときに数年で辞めて大学院に進学したいのだけれどもよいか、学費を貯めるために給料は結構たくさんほしい、志望する管理部門でなければ応募をやめるなどと生意気なことを言う一方、本来であればITの業界や製品に関する知識、企業の管理部門に関する知識を持っていない大学・学部の学生であるはずなのに、なぜかそれを身につけているといったことが評価されたらしい。次長のベンチャー昔語りも面白く、私は某金融機関の内定を蹴ってその企業に就職することになり、就職前も就職後も、1ヶ月に1度は次長とその頃はまだお酒をあまり飲めなかったにもかかわらず「飲み歩いて」いた。深夜3時に創業者の自宅豪邸正面入り口に案内されて行ったこともある。もちろん、行っただけで中には入れてもらえていない。
次長の趣味の一つが競馬であった。出勤時には日経新聞、総合週刊誌、競馬雑誌、競馬新聞のどれかをいつも携えていた。そして、連休中、私が競馬を知っているということが次長に把握されたのである。「おー、ニノミヤ、おまえ競馬やってたのか。早く言ってよー。じゃあ、ちょっと面白いデータあるから、ちょっと来て」、この一言が5月から7月まで、毎日19時以降の仕事の合図であった。次長がエクセルに手入力していた過去20年分の競馬データをアクセスに移して分析するという仕事である。え、これが仕事かって、はい、そのとおり仕事なのである。よくよく考えれば、そもそも冒頭に挙げたニノミヤの仕事は全体の半分であって、残りの半分は次長の秘書みたいなものだった。デスク周りのおかたずけ、社内接待のお相伴、居留守のお手伝い、役員を兼務する企業へのおつかい、政府や総会屋との生臭いあれやこれや、創業者に会いたくないときのメッセンジャーなど、いろいろな雑務(?)をしていた-なお、ご自宅のお掃除だけはさすがに断っていた。直属の元リクのマネージャー、元富士通の部長からは白い目で見られながらも、次長の命令では仕方がないなということで、約3ヶ月間、競馬データの分析に費やすようになるのであった。今から思えば、朝9時出社、退社は早くて夜10時、遅くて明朝6時であってやっぱり多忙は続いていたわけだが、この仕事がなければもっと早く帰れてたんじゃないか!とりわけ明朝帰りは大変で、その数時間後には出社せねばならず、睡眠時間はほとんどないのである(仕方がないので、日中にお手洗いの個室で仮眠を取ることになる)。
なお、競馬データを3ヶ月かけて分析した結果、次長が手計算して立てていた仮説どおりに、ある条件を満たすレースに特定の買い方をしていれば、絶対に投資額のx割は回収できるということがわかった。競馬の控除率は25%なので、まずまずの成績である。しかし、もちろん勝てるわけではない。そう、確実に、絶対に負けるものの、文無しになることはないというだけのことである。結論が出てから次長がいつもそうするように周囲にわざと聞こえるようにして私に言ったのは、「あー、やっぱりこんな買い方で遊んでても面白くねーな、じゃあ、次はパチンコで」であった。
こんな新入社員もいたのである。なお、パチンコについてはまったく知らないのでお断りした。

(2)
その辛い日々が始まったのは、学部を卒業、就職して2年目の夏過ぎの頃だった。
最初に会社は、予定通り就職して1年後には純粋持株会社へ移行して、私を含むほとんどすべての従業員はそれまであった、あるいは、新たに作られた子会社、関連会社へ転籍することになった。私と私の同期の多くは入社前にはその転籍命令についての説明を受けていなかったので、必ずしも前向きにはなれなかったとはいえ、すでに以前のオフィスから移転して10年近くが経過し従業員も大幅に増えたため、住友不動産の地上十数階、地下2階建て一軒貸しビルはもはやあまりにも狭く、そして、社内には淀んだ雰囲気も流れていたので、会社の新しい出発に対して希望を持つこともできたといえる。
私が命じられたのは、グループ企業に対して、そして、近い将来にはそれ以外の企業に対して、総務、人事系のサービスを提供する新設子会社への転籍である。当時、バックオフィス業務をいわゆる「シェアード・サービス」として請け負う企業が出現した時期であって、その時流に乗ってのことであろうか、それまではコスト・センターであった部門をプロフィット・センター化したのである。
さて、私がその転籍前から担っていた複数ある業務の一つが、給与計算系の業務受託のスキーム作りと、その実行である。私は学部生の頃からそうした人事労務についての勉強を独学していて、給与、健康保険、厚生年金、雇用保険労災保険といった各種制度の仕組み、手続きは理解していて、それなりに手計算をすることもできた。ただし、そうした個々の制度についての実務と、それをサービスとして他社に提供することはまったく別の課題であった。具体的に生じた問題は、サービス提供開始数ヶ月後から大幅な違算が生じたことである。
繰り返すようではあるが、個々の制度に関する計算は一般職の先輩方に任されていた。これは当時の同規模以上の企業では同様だと思われるのだけれども、よく知られているように人事部門内の性別役割分業の反映である。それはともかく、私はその計算をまとめたうえでサービスの提供先に伝えて、各種支払いに必要な金額を請求して、着金された金額を従業員の給与口座、国・住民税、健康保険組合、財形貯蓄先の銀行、退職給付のあれこれ…、といった宛て先にそれぞれ送金する仕事を一人で担っていた。
しかし、今となっては当たり前にわかっていることなのだけれども、これはそう簡単なことではない。宛て先によっては、事前の概算払いだったり、複数月まとめての支払いだったり、そもそも複雑で特殊な計算を必要とする項目があったり、そして、もちろん、お得意先からの着金額が誤りだったりすることもある。米国の企業とのやり取りには苦労した。しかし、私も含めて従業員の誰もがそうした事情の全体像を理解できておらず、以前とそれほど変わりなく仕事を進められるだろうと楽観視してしまっていた。そこで生じたのが、違算、しかも、過少請求ではない。過大に請求をしてしまって、理由のわからない現金が口座に振り込まれてしまっているという状態である。
就職2年目の夏から3年目の春過ぎにかけて、この違算の解明という仕事をたった一人で行うことになった。一つ一つ伝票を見て、少しずつ顧客に合計x億円を返金する作業である。しかも、仕事はグループの新卒・中途採用、教育訓練、そして、(1)で書いたような仕事が他にも沢山あったために、この孤独な作業はたいてい他の仕事を終える夕方以降から終電の時刻まで行っていて、あるいは、終電を逃してタクシー帰りである。この企業が激務であることはよく知られていて、深夜にはビルの前にタクシーが待ってくれている。しかし、就職2年目の私にはあまりにも精神的に厳しい仕事であった。食事はまったく喉を通らなくなり、アルコールを睡眠薬代わりに流し込むような毎日が1年近く続いてしまう。学生時代にはほとんどお酒を飲めなかった体質であるにもかかわらずである。体重は63キロから57キロまで落ちてしまって、給料が出るたびに買い揃えていったスーツ、シャツがまったく合わなくなっていく。この仕事を助けてくれるひとは誰もいない。そう、基本的には転職者から構成されている企業であって、先輩後輩関係による助け合いのような雰囲気はまったくないのである。時折専門的なアドバイスをくれるのは、これは先方にとっても迷惑なことであったのだろうが、会計ファームの担当者である。
1年近くかけて違算をほとんど減らすことができ、会計ファームの担当者からも理解を得ることができた。しかし、本件の責任者は私一人ということになってしまって、ますます会社に行くのが嫌になる。私からすれば、確かに第一線にいたのであるからその責任を取って最後まで違算の原因を追究するのは当然であると考えるものの、上司、先輩が本件についてなるべく無関係である装いをし続けたことに落胆してしまった。面倒なことには関わらないというのが、転職者の多い企業での生きる知恵なのだろう。ともあれ、杜撰なスキームであることを見抜けなかった責任は私だけにあっただろうか。
就職の際の心積もりとして、5、6年くらい働いてから大学院へ進学するつもりだった。しかしながら、こんな状況に追い込まれたこと、そして、当時募集を開始したものの人が集まらず苦戦をしていた某大学院社会人クラスに来るよう、学部の恩師から何度となく声を掛けられていたので、時期を早めて会社を辞めることになった。とはいえ、人間万事塞翁が馬、この頃の収入によりその後の生活に余裕ができたこと、さらには、修士を修了してから某企業に採用されることになった理由が、まさしくこの経験を買われてのことであった。こんな経験を一人でした転職者、見たことがないというのである。

(3)
修士2年目の夏、自らの不甲斐なさにようやく気が付いて、会社勤めに戻ることに決めた。秋に仕事探しをしていたところ、とある商社的なところから内定を頂いて、修士修了が確定するより約1ヶ月早い3月1日から再び働き始めることになった。
そこでの仕事の一つは、企業統合の支援であった。当時、「系列」を超えた統合や、同グループ内でも歴史的経緯から複数の別会社になっていたものの統合ということが進められていた。もちろん、その狙いは統合によるメリットを筆頭株主である商社的なところへ還元することにあるのだが、同時に、それは各企業の経営管理者にそれまでに蓄積されたネットワークをさらに活用して経営上の自立を促すことでもあった。
統合のうち、私の担当は人事に関する仕事である。たとえば、具体的には、A社の営業第一課長代理とB社の営業第二課長とでは、A社の総務部係長とB社の労務部主任とでは、A社の大卒新卒5年目28歳とB社の専門学校卒転職者32歳とでは、どちらの方の職責が重いのかを調べて根拠を提示したうえで、統合後における、配属、役職、給与等について提案することである。本来的には、この仕事を得意とするような大手コンサルティング企業に頼むべきである。これはある種の学問に紐付けられて発展した分野であろう。しかし、それには費用と時間があまりにもかかりすぎる。そこで、タイム・チャージの安い私が担うことになる。
仕事はとにかく従業員に対する聞き取り、聞き取り、そして、聞き取りである。月曜日の朝9時に名古屋駅に到着、そのまま駅目の前のxビルに入る。9時半から18時半までお昼休みを挟んで、1人につき45~60分、仕事内容を主に尋ねながら、やりがいや不満についてもお話しを伺う。次の日も同様、朝から夜までxビルに缶詰めである。夜に大阪へ移動して、次の日からさらに2日間、中之島で同じことを繰り返す。夜に東京へ戻って、翌日の金曜日、聞き取りを整理する。関係者の全員―株主、A社経営者、B社経営者、双方の労組、従業員―が納得できる落しどころを探っていく。社労士資格を持つ先輩と一緒に新しい人事、給与体系の構想を考えながらである。
聞き取りの対象者は泣き出してしまうこともあるし、怒りを露わにすることもよくあった。上役がじぶんを理解してくれず不当な扱いを受けている、伝統あるA社がなくなるなんておかしい、「系列」から離れるのは心配である、などと言われるのである。また、当たり前だとは思うけれども自らの仕事内容を「盛る」ように話されることもよくある。さらに、A社、B社の役員会議で報告すると、当方からの提案はともかくも、従業員の不満に関して憮然とした表情で反論されることもあった。それらのときに、私はどういう姿勢をとるべきなのか、後になって私はそれをどのように解釈するべきなのかだろうか。
当時、感じたこうした問いはそのままに残されている。今でもお話しを伺うという仕事をするとき、いつもこの問いを思い出すのだ。

工業高校とイノベーション

honto.jp

筆者は、大阪府内の工業高校(中等教育)において長年勤務し、そこで、「課題研究」や課外活動を通じて、学生(二宮注:生徒のことだろうか)とともに実践し、これまでに10を超える発明に至った。特許などは基本的に公開して、実際に民間企業で実用化されているものも多い。その長年の経験の観察から、創造性教育において、受講する生徒には一定のパターンがあり、また受講後、多くの生徒が積極的な性格となり、そして発明・発見に至るプロセスには共通のパターンが多くみられることがわかった。
そこで本書では、柔軟な創造力形成が期待できる中等教育段階に着眼し、中等教育機関における創造性教育の現状と必要性を検証するとともに、創造性の定義づけをおこなう。そして、創造的人材の育成に向け創造性教育の実践的展開と成果から、産業教育論、経営学の知見を援用しながら、その方法論と有効性を明らかにすることを目的とする。
2頁

本書は工業高校における実践研究として極めて優れた論考といえるだろう。高校の授業「課題研究(教科工業)」とそれに関連する課外活動に焦点を絞って、そこで生じる製品開発のイノベーションの特徴を産業教育論と経営学の枠組みを参照しつつ明確に描き出しているのである。
興味深いことに、本書では産業教育論を除いて教育学に対する言及がほとんどない。このことはおそらく教育学で参考にするべき文献があまり存在していないことに起因しているのだろうか。今となっては奇異に思われるかもしれないが、工業教育や産業教育においてそれぞれの分野では理論的、実践的な研究蓄積が積み重ねられてきた一方で、教育学がそれらに関心を持って検討するということはあまりなかった。教科が成立した事情の特質からして社会や公民が理科や専門科目に関するテーマよりも強く好まれてきたり、文部省・各種審議会・財界対日教組/国家の教育権対国民の教育権といった論争に関連して、それぞれの対立の後者の立場を取る教育諸学者が産業教育を前者に位置づけたりしてきたためであるといえるだろうか。また、本書の筆者も述べている工業高校への不本意入学者の増加についても、現時点から顧みれば、60年代に人気のあった工業高校が、70年代以降に徐々に偏差値序列の中に組み込まれて人気を落としていくようになる過程で*1普通高校(この言葉は誤解を招くことがある。「特に変わっていない」「ありふれた」「あたりまえ」という意味での「ふつー」という意味ではないので、ぜひ調べてみよう)への進学、その学校が足りない場合には専門高校(当時で言えば職業高校)ではなく普通高校の増設を願う生徒やその親に対して贔屓をした教育学の問題であったともいえるだろう―さすがに、労働に関することがらを卑しいものとみなす知識人固有の問題とまでは言わないものの。本書のキーワードは経営学由来のものが多く、そのために教育学者は本書を手に取る機会がないように思われる。しかし、その縁のなさは教育学の展開―それは、他分野の学問を嫌うという性格も含まれる―に由来しているものであって、そのことについて自省するためにもぜひ読んでおきたいのである。
私が関心を持った点を2つ挙げる。まず、第1に、筆者が40年間あまり変わっていない工業高校のカリキュラムについて問題視する点である。全国の高校生総数に占める工業科の生徒数の割合はこの20年ほど9%弱でずっと安定している、「就職内定率ほぼ100%」、大学に進学する場合でも推薦やAO入試などの利用によって「進学内定率ほぼ100%」が達成されている、それらのことからカリキュラムを変えるための動機がないのではないか、と推測されている。そのうえで、次のような問題が提起される。

しかし、求人の内容をみればその本質がみえてくる。大手製造業は新規高卒を見送るところが増加し、職種をみても専門的な知識を必要とする技術職ではなく、一般作業のような職務が増えてきている。これは企業規模が大きくなるほど顕著になる。ある中堅製造業者の人事部長は、特別な知識をもたず日本に出稼ぎに来る外国人労働者でも対応できる作業が8割あるという。つまり、製造ラインの自動化や産業機械の発達により、特別な技術や技能の不要な一般作業の割合が増えているのである。しいていえば工業高校卒業生は作業服を着るのに抵抗がないとか、大きな声で挨拶ができるとか、スパナやレンチなど、工具の名前を知っているということが評価されている。しかしこれらは技術でも技能でもない。つまり、本来、産業教育のなかで重視されてきた技術・技能が評価の主体(二宮注:対象、焦点のことか)ではなくなってきたということである。
このことは現役教員の発言からも見て取れる。「工業高校出身者は元気に挨拶ができて作業服や帽子をきちっと身につけることができることが企業で高い評価を得ている」と宣伝するのである。製造作業に従事するということを考えれば、作業服を着こなすのは安全作業の見地からは当然のことである。挨拶はもっとも初期段階にあるコミュニケーションの手段であり、社会人として常識である。これが評価指標のようにいわれること自体が問題である。
31-32頁

カリキュラムが変わらないのは、それだけ成熟した教科だということなのだろう。大学においても基礎的な工学の講義内容は(それは、実のところ工業高校の教科書と重なりを持っている)、戦前期のそれと変わっていないという話しを聞くこともある。したがって、私はカリキュラムについてはそれほど違和を覚えない一方、規律や立ち居ふるまいばかりが評価されるのはイノベーションという観点からはあまり好ましくないと考える(もっとも、普段私は挨拶をしない文系大学院生ばかりに会っているので、羨望の気持ちを持つこともある)。
第2に、筆者が「課題研究」を通じて「高校生という意識を払拭させる」と主張する点である。以下に見るように、もはやなんとなく想定される高校生の日常を超える負荷がかけられている。

評価について、「知識・技能」「意欲・態度」という点では、差がつくことがイメージできるであろう。しかし、「参加率」は授業でおこなわれることから、差異はないと思われるかもしれないが、実はそうではない。「課題研究」は年間3単位、つまり1週間の当たりの授業数が、50分の3コマということになる。無論、この時間では、製品開発などできるわけがない。実は、時間割上は50分×3コマであるが、実際には、毎日放課後、平均して3時間程度、土曜日は6時間程度の作業をおこなう。納期のひと月前あたりになると、放課後の作業時間が徐々に延長し、納期1週間前になると、放課後6時間、22時を超えることは恒例になっている。無論、教員は放課後の「残業」を強制しない。それゆえ「参加率」に差が出てくるのであるが、よほどの用事がなければ先に帰ることがないのも事実である。それぞれメンバーが自分の仕事を自覚し、納期を自覚すれば、おのずと時間は延長される。それとは逆に、集中が高まれば、作業中の時間の感覚は、かなり短縮されるのである。「学校に行っているのか、仕事に行っているのかわからない」。これまで何人もの生徒が、保護者にいわれたそうである。
118-119頁

このことは教育学で言えば、学習・評価観のパラダイム転換、「真正な学習」「真正な評価」につながる論点である。そのようなことは工業高校では以前から行われいたのであって、特に新しいことでもない。絶対的な納期があるのだから、それを守らなければならない、そのためには例に挙げられるような時間という資源を有効に利用しなければならない。この感覚は普通高校、あるいは、文系の大学ではなかなか身につかない―甘い「先生」は宿題の締切日を延長してくれる。他方、それは確かに「真正」である一方で、だからこそ教育社会学者からは過度の部活やアルバイトと同じ問題が指摘されるかもしれない。「残業」と表現されていることからもわかるように、ほんとうにそこは「現場」に近しい状況が再現されていて、ゆえに22時超えの作業が必要となる。このことは、「真正」性と「(保護されるべき対象への)教育」とのディレンマである。工業高校出身が企業から期待されるのはこうした姿勢が身についていることも一つの理由であるのだけれども、同時に、「納期」と「労働時間」を比較した際に前者を優先してしまうことの問題が覆い隠されてしまうこともあるだろう。
最後に、製品開発の一事例として「廃材燃料給湯器」の課題を紹介しよう。2011年3月中旬、ある工業高校の自動車部で被災地支援として何ができるかが話し合われた。過去に開発したものはいくつかあるものの、緊急に対応できるようなものはなかった。

何かできることはないか、テレビの画像をもとに出されたアイデアが、廃材を燃料として給湯する簡易のお風呂である。映像をみる限り燃料となる廃材は沢山あり、逆に処分しなければならない。飲料水は不足しているらしいが、場所によっては川や井戸の水がある。ペットボトルに入れて湯たんぽにするのであれば、汚れた水でも利用できる。震災後、はじめての活動日となる3日後。このことをメンバーと協議した。全員の賛同を得たあと、必要な機能を選定し、設計にとりかかった。避難所で寒さに震える人たちに、少しでも温かさを届けることが全員一致の目標となった。
3月15日火曜日、描き上げた図面をもとに、加工方法を確認した。設計に当たり出された条件は以下のとおりである。

1. 家庭用の風呂(200L)を1時間以内に沸かせること
2.現地では道具が不足しているため、廃材をできるだけ切断せず、投入できること
3.自動車が入れない場所でも設置できるよう、大人2人で移動が可能なこと
4.衝撃や水分に耐久性があること
51-52頁

さて、実際にはどのような設計になっただろうか。この後の展開と合わせて、本書で実際に確認してほしい。

*1:「一元的序列化」である(乾彰夫、1990、『日本の教育と企業社会―一元的能力主義と現代の教育=社会構造 』大月書店より)